見出し画像

ギター、ドラム、鍵盤の完璧な三権分立。DREAM THEATERの"Awake"から30年。

「ムーアのいない DREAM THEATER は別のバンドになり、ポートノイのいない DREAM THEATER もまた別のバンドになった」

誰あろう、僕の言葉だ。

僕は DREAM THEATER の三権分立を誰よりも愛していた。そう、かつて DREAM THEATER は、ペトルーシのギター脳、ムーアの鍵盤脳、そしてポートノイのドラム脳、その三つの脳力が互いに抑制し、均衡を保つことによって権力の濫用を防ぎ、プログ・メタルの権利と自由を保障していたのだ。

ムーアがいなくなって DREAM THEATER は独特の荘厳やアトモスフィア、そして鍵盤脳による突飛でトリッキーなキメ・フレーズを失った。そして何より、ムーアは楽曲の色を決める天性の名画家だったんだ。

もちろん、後任のデレク・シェリニアンやジョーダン・ルーディスはムーア以上のテクニシャンだったけど、画家ではないし、彼らの中にはギター脳も存在していて、あまりにも奇抜な運指やギターらしからぬフレーズを作ることはなかったからね。

でも、例えば "Take The Time" の間奏みたいなギターに無遠慮で鍵盤脳なフレーズこそが、そんな弦飛びアリ?みたいなフレーズこそが、ギタリストにとってはチャレンジングでエキサイティングだったんだよね。

ポートノイがいなくなって DREAM THEATER はロック・スピリットを失った。僕が DREAM THEATER に求めていたのは、ミスのない完璧な演奏などではなく、あくまでもスリリングな演奏が生み出すロックやメタルの高揚感だった。僕にとって、マンジーニは初期のウォーズマンで、ポートノイはジェロニモだったんだ。

もちろん、ふたりを失っても DREAM THEATER は前へと進み続け、ついにはグラミーまで獲得した。ふたりがいなくても DREAM THEATER は素晴らしい音楽を生み出し続けていた。でもね、素晴らしいと大好きは違う。いつしか僕はどこか傍観者のような目で、かつてあれほど愛したバンドを見るようになっていた。

だからこそ、ポートノイが戻って本当にうれしいんだよ。

ポートノイ復帰後初のシングル "Night Terror"。最高にメタルしてるじゃない。最高にロックしてるじゃない。"Enter Sandman" でも、"Walk" でもいいんだけど、僕にとってそれまで感じられなかったメタルの高揚感や衝動がそこには戻って来ていたんだよね。メタルは上手い下手だけじゃないんだよ…

バンドの出発点、"Pull Me Under" と同じノーマル・チューニングで攻めてきたのもとてもよかった。そうなんだよね、本当にスゴいバンドって、チューニングを下げなくても、弦をやたら増やさなくても、これだけダークでヘヴィな世界観を形成することができるんだよね。OPETH はその素晴らしい例だし、なんなら "Enter Sandman" だってノーマル・チューニングだ。とにかく、なんだか僕の大好きな "Train of Thought" みたいなアルバムになりそうで今からワクワクしているよ。

それでもまだ DREAM THEATER は三権分立には戻っていないし、きっと戻ることもないだろう。だからこそ、ちょうど30年前の "Awake" は尊くて唯一無二の作品なんだ。

もちろん、DREAM THEATER といえば "Images & Words" だし、長い月日をかけ制作されたあの作品は間違いなく彼らの最高傑作だよ。だけどね、"Awake" にはあの作品とはまた異なる "緊張感" の糸が張り巡らされていた。そうなんだよ、実はあのころのバンドは、僕らが思うよりも相当、明らかな緊張状態にあったんだ。だからこそ、あのアートワークそのものの荘厳でダークな色合いが音楽に注ぎ込まれたんだ。

「口論が永遠に続くのは、境界線を引いてくれる人がいないからだ」

当時、ムーアはそんな言葉を残している。ポートノイも、「喧嘩になることはなかったが、64小節目の3つ目の音はどうあるべきかといった細かいディテールのような、あらゆる要素を巡って口論になることは多かった」と証言しているんだ。

つまり、当時の彼らはリーダーが不在で、創造性が壁に当たると、長い議論やいさかいにつながることが多かったんだよね。いや、正確には "I&W" の時期は、ムーアが少しだけ強い権力を持っていたというのが、大勢の見方だった。

これは想像だけど、だからこそギター脳とドラム脳は焦ったのかもしれない。このままだと、鍵盤脳のほうにどんどんバンドが引っ張られてしまうとね。だから、ムーアに対して突き上げのようなものがあったのではないか?そしてムーアはそんな状況に嫌気がさしたのではないか?ゆえに、これも想像だけど、ムーアが牽引した "I&W"、完全な三権分立の "Awake" と言う図式が成り立つのかもしれない。

実際、ペトルーシは "Innocence Faded" "無邪気さは色褪せた" で、幼馴染のムーアとの消えゆく友情について歌詞を書いている。「...それだけをテーマにしているとは言えないが、それに触発されたのは間違いない。今までと同じようにはいかないという感覚があったし、物事がいつも同じように進むとは限らないということを実感したんだ」

ムーア自身も、アルバムの冒頭を飾る "6:00" の歌詞の中で、彼と他のメンバーとの距離が離れていっていることを仄かに暗示しているよね。事実、彼は作曲に対するアプローチ (おそらく、自分とバンドの両方) が変わったので、バンドを辞めることにしたと語っている。

「一度は乗り越えたと思ったよ でも私はどうやら遅すぎた
それでも守らなきゃいけない場所があるんだ

人を溺れさせるたくさんの方法
引きずり落とすたくさんの方法
速い方法もあれば、何年も掛ける方法もある…」

もちろん、ムーアが嫌気が差したのはそんなバンドの状況だけじゃなかったと思う。レコード会社からは、"Pull Me Under" 以上の成功を求められていたし、時代に即したヘヴィな作品を作ることも求められていた。長いツアーでプライベートな時間も失われた。ポートノイは、「ムーアはプライベートをとても大事にする人。音楽ビジネスというしくみ全体が彼の好みではなかった」 とその脱退を嘆いていた。だからこそ、ジョン・ミュングは彼の脱退を「青天の霹靂ではなかった」と評しているわけだよね。

ただし、そうやって少しバックオフした中でも、DREAM THEATER の "色" を決めていたのは自分だという矜持をムーアはしっかりと残していったんだ。"Space-Dye Vest"。ムーアによって書かれ、持ち込まれた楽曲。

ムーアはファッション雑誌で、宇宙色のベストを着た美しいモデルの写真を見て、彼女に恋をした。彼はその雑誌をずっと持ち歩いていたけど、無邪気さを保つには、彼女への愛を保つには、彼女がそのページの中にいるしかないと悟ったんだ。まさに、誰よりもイノセントなムーアらしいエピソードはそのままこの楽曲に封じられた。彼らしい宇宙の色と共に。

「バンドの他のメンバーが最初にこの曲を聴いたとき、とてもとても異質な曲だと思った。完全に100%ムーアの曲だった」

ポートノイは後にそう語っている。だからこそ、バンドはこの曲をムーア抜きでライヴで演奏することはなかったんだ。

"Awake" のテーマは自分の存在を認識し、自分自身とより親密になり、より深く触れ合うようになること。そして最終的には、人生を生き抜く中で、自分にとって何がベストなのかを発見し、"目覚める"こと。皮肉にも、ムーアはこのアルバムで自分の居場所がここにはないことを発見し、新たな探求 CHROMA KEY に目覚めてしまったんだね。

こんな経緯があったわけだから、もう DREAM THEATER の三権分立が復活することはないだろう。というより、残念ながらムーアはもはやその音楽さえほとんど発表しなくなってしまった。

でもね、"Night Terror" を聴いて、僕はまるで呪いが解けたような気持ちになったんだ。いや、"Lifting Shadows" のように仄暗い暗闇から光を見つけたような "目覚め" の気分かな。30年前、僕をこの世界に引きずりこんだ5人のうち4人が、また同じ方向を向いて歩き出してくれた。こんな幸せなことがあるだろうかってね。そう、僕はもう、過去を儚む傍観者ではなくなったんだ。

最後に、僕が DREAM THEATER と同じくらい愛する DEATH のチャック・シュルディナーの言葉を記しておこう。「"Awake" と DREAM THEATER は素晴らしいよ。彼らの音楽は非常に複雑だが、間違いなく強力なフックを持っている」


いいなと思ったら応援しよう!