ちゃんしーのサンシーブルな人生#11 クラス
高校入学までのエピソードはこちら(勉強が好きだなんて思ってなかった2)にあるので、ここではクラスでの日常を綴っておきます。
私が入った家庭科専攻のクラスは女子37人、男子3人の40人1クラスでした。部活は学科やクラス関係なく入れたので、他の学科にも友達ができました。
私は仲良し4人組で過ごすことが多かったです。同じ吹奏楽部の子2人と、後ろの席で仲良くなった子でした。部活が同じ2人とは一日中一緒だったし、もう1人の友達は同じ大学の同じ学科に進むことになり、3人それぞれと長く濃ゆい時間を過ごすことになるのでした。
被服制作
勉強が好きだなんて思ってなかったシリーズにあるように、普通教科(国語とか数学とか)にプラスして、家庭科の専門科目があります。
1年生のうちは、普通科もやるような家庭科の他に、被服制作やフードデザインという授業を、クラス全員で受けました。
栄養士になりたい、という漠然とした夢はあったものの、知識や技術はほぼゼロ。それに中学の家庭科をそこまで一生懸命やっていなかったので(笑)、私は早くも壁にぶつかりました。
被服制作でした。被服の先生が怖かったというのもあるのですが、苦手意識が強くて作業も遅かったから、よく注意されていました。(後々、この先生と一緒にお仕事をすることになります😳)
先生は、10年以上その学校で教鞭を執っていて、当時から大ベテランだったんですね。
ボビンに糸を巻くだけなのに、何故だかミシンの中に糸が巻かれてしまって「10年以上やってこんな事になるの初めてなんだけど!」と歴史に名を残してしまったり(笑)、ロックミシンをかける時にも、怖気付いたらむしろガタガタになってしまったり。
だから火曜日の5,6時間目は憂鬱でした。(苦手すぎて覚えている笑)
実技がだめなら、筆記でカバーせねば!との思いで、定期テストで点数を稼ぎ、成績を維持するようにしていました。それは先生も認めてくれていて、我ながら涙ぐましい…(笑)
フードデザイン
私の本命である食物系の科目は、苦手意識はありませんでした(笑)楽しくて仕方なかったですね!
授業の内容をスポンジのように吸収しては、勝手に発展学習みたいなことをノートに書き足したりして、成績はよかったです✌️
調理器具や食材の扱い方、下処理などの調理のキホンから、野菜の色素や性質といった科学的なこと、食品衛生に配慮した保存や清掃など、かなり仕込まれました。(掃除が不十分だとやり直しのこともあった!)
フードデザインの調理実習では、4人で1班になるので人間関係が課題になったり、一人一人が周りを見て、考えながら自分の仕事や役割を果たさないと、時間内に終わらないんですよね。
今振り返ると、授業の内容で得る知識や技術も大事だったけれど、社会に出てから必要なこと、大切なことを教わっていたなと思います。
フードデザインに限らず、3年間この高校で過ごしたおかげ!と思うようなことが、本当に多いです。
検定
授業の一環で、外部の検定を受けることがありました。合格しないと修了にならなかったから、それはそれは死ぬ気でやりましたよ!笑
2年生になると服飾系コースと食物系コースに分かれるのですが、1年生のときは服飾と食物どちらの検定も受けないといけませんでした。
1年生で受検するのは4級と3級。学年が上がるにしたがって検定のレベルも上がっていくものでした。
被服では、時間内にボタンつけやミシン縫いから始まり、3級では甚平を縫う。
食物では、30秒以内にキュウリの半月切りを何枚以上とか、汁物とゼリーを制限時間内に作るなど。
被服制作の壁にぶち当たっていた私は、被服の検定は半泣きでしたね(苦笑)
被服も食物も無事に合格しましたが!!
コースに分かれてから受検した、食物コースの2級と1級はさらにレベルが上がりました。自分で献立を考えてお弁当をつくる、ホワイトソースを使った食事を用意するなど。
常にそんなレベルの授業と検定があったので、否が応でも知識と技術は身につきました。
普通教科の授業、専門科目の授業に実技、課題やレポート、校外実習、さらには部活。学年が上がれば進路選択も見えてきます。
「こんなに忙しい女子高生ウチらくらいだよ!」なんて声をみんなでかけあって、励ましあって、3年間を過ごしました。
この3年間をともに過ごした仲間たちとは、見えない何かで強く結ばれているというか、あれだけやってきた強者たち!みたいなものがある気がします(笑)
▲高校自体に作っていたノートたち!私の血と涙と汗の結晶。
整理して、ある程度はサヨナラしたのですが、どうしてもこれは捨てられずに持っています!私の宝物です💎
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