【ひとりずもう】いつか親友にみてもらうために。
子供の頃、毎月毎月、楽しみにしていた雑誌「りぼん」
いつから買うようになったのだろうか?お小遣いで買っていたのか?買ってもらっていたのか?毎月ではなかったのか??
細かい事は覚えていない。
連載漫画が多かったなか、ほぼ一話完結で読める「ちびまる子ちゃん」は
わたしの一番のお気に入りだった。
少女漫画誌を読んでおきながら、学園ドラマや恋愛話にほぼほぼ興味が無かったし、どちらかと言うと男の子達が読んでいる「ジャンプ」が好みの漫画が多く載っていた。
だけど、「りぼん」は買ってしまう。
可愛い絵柄とほのぼのした話、、、、と思いきや、面白おかしい話や、ときにシュールな話も飛び出す「ちびまる子ちゃん」が見たかったから。
「ひとりずもう」はそんな「まるちゃん」だった、さくらももこの小学校高学年~短大生になるまでの話。
ちびまる子ちゃんはあくまでフィクション。
だけど、親友のたまちゃんは実在するし、何人かは実際にいた人をモデルにしている。
父ヒロシは本当にあのヒロシっぽい性格だが、八百屋をしているし(実家は八百屋?)
まるちゃんの最大の味方祖父「友蔵」。
実際には祖父は漫画のような優しく面白いおじいちゃんではなく、まるっきり正反対の性格であったらしい。
こんなおじいちゃんだったらよかったのに、が「友蔵」にはふんだんに盛り込まれていたのかな。
そんな「ちびまる子ちゃん」のその後、、、、という訳でもないけれど
ちょっと錯覚してしまいそうになる、さくらももこの悩める青春時代。
誰でも通る道なんだろうけれど、やっぱりそこは人それぞれで
人と同じような「学生時代」や「青春」の枠から外れている様に感じる事、「将来」がなかなか決められない事。「やりたい事」は何なのか、みんなが楽しいと思う事を楽しめない自分はなにかおかしいのか?
悩みながら、だけど結局、高校生の時点で天職である「漫画家」になる事を決めている。
どれだけ才能があっても、それを見つけようともがかないと見つからないのだろうし、簡単に選べる道を選んでしまい、後になって深く後悔する事もあるのかもしれない。
だけど寄り道しながらでも見つけられれば、それもいいと思う。
さくらももこは、そこに行くまで早かったと思う。
だって、高校生の時点でもう「漫画家」になる道を選んでいたのだから。
だけどそれは、なろうとしてなれるものでもないし、なによりなったとしても将来が決められている訳でもない。
あの頃、グチャグチャ悩んで悩んで「見つけた」からこそ、その期間の長さは関係ないのだと思う。きっと「決めた」のではなく「見つけた」のだから。自分の中にあった宝物を。
そういえば、ひとりずもうってどんな意味だっけと少し調べてみた。
漫画を読んでみると、なるほどな~と納得(笑)
だけど、さくらももこ先生。十分すぎるほど実りはあったよ。
国民的アニメとまで謳われるようになった「ちびまる子ちゃん」を生み出しているんだから。
「ひとりずもう」の最後には、アメリカに留学しているたまちゃんに、いつかきっとたまちゃんと過ごした楽しかった日々を描くよと約束している。
あの頃の日々の楽しい思い出をたくさん詰め込んだ名作は、時代が変わっても、ずっとずっと残り続けて、私たちを癒し、笑わせ、時に泣かせてくれる。
まるちゃん、ありがとうね。