【メンタル休職日記#1】きっかけはインフルエンザ
もともと感受性が強く、いろいろキャッチしすぎてしまい、人より疲れやすい自覚はありました。
なので、ひとりで自分と向き合うような、具体的には読書をしたり文章を書いたりする静かな充電時間が必要なタイプです。
そんなわたしに、フルタイムでの仕事と育児は、そもそもキツイのでした。
一方で、刺激追求型であるHSS型HSPの気質も持っているため、ルーティンワークでは物足りず、希望通り、ルーティン業務の多い部署からルーティンの少ない部署に異動していました。
異動1年が経ち、やっと慣れてきたと思った頃。
人事異動で、さらに業務範囲が増え、次々と変わる既存業務に加え、新規部署立ち上げ準備の業務まで担当となりました。
いくら変化が多い部署を希望したとはいえ、変化が激しすぎるし、業務量が多すぎる…。
そう思っていましたが、周囲も大変そうだったので、やるしかないと思っていました。
今までやったことのない業務の連続。苦手な業務もたっぷり。
数カ月経って、涙があふれるようになっていました。
子どもの前でも、突然泣き出してしまう。
かと思えば、大目に見てやれずブチ切れる。
自分でもおかしいと思って、かかりつけの内科で漢方を処方してもらいました。
上司にも伝え、新規部署立ち上げのマネジメントはお願いします、と頼みました。
それでも。
すでにもう限界近かったのですね。
免疫も下がっていたのか、人生で初めてインフルエンザにかかりました。
リモートワークって便利ですよね。。。熱が下がれば、身体を起こすだけで仕事ができる…。
今では思います。あそこで休むべきだったと。
インフル療養しながらの在宅勤務の最中、上司である課長から、「異動になりました。お世話になりました。」という連絡があったのです。
…待って。もう無理です。
それで張りつめていた糸がプツンと切れてしまいました。
その翌週、出勤はしたものの、このままだとまずい、走り切れないと思ったため、同僚に相談しました。
「不在期間を最小限にするためにも、今休ませてほしい。2週間ください。」
同僚は、わかった、やっておくから休んでいて、と言ってくれました。
相当キツイだろうとは思ったのですが、わたしよりも同僚のほうが、わたしのポジションに適任だと思ったのも、休む決意ができたのでした。
しかし、休職は2週間では終わらず、結局4カ月続くことになりました。
適応障害との診断でした。
振り返ると、インフルエンザが「もう無理だよ、限界だよ」と教えてくれたのだと感じます。
人生の貴重な寄り道期間となった病気休職期間。
これから休職中に考えたこと、過ごし方、どう回復していったかなどをちょこちょこと投稿していきたいと思います。