「がんばれ」の小話
「がんばれ、がんばれ。穏やかに、楽しんで、がんばれ。」
最期に祖父が私に言ったことば。
舌の筋肉も衰えてしまっていて一言一句全て聞き取ることはできなかったけれど、「がんばれ」だけは力強く何度も伝えてくれた。目も片方しか開かなくなって、ベッドの上から動けなくなっても、どうしても伝えたかった、祖父の信念みたいなもの。
車を走らせたらいつかは停まらないといけないように、人も生まれたらいつかはこの世からいなくなる。
でも停まった車はまた走り出すように、今度はあの世で元気にヨイヨイとやってくれたらいいなと思うのです。
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で、「がんばる」ってどういうことなんだろうって考える。
がんばったら、何になれるんだろうか。
そもそも何をがんばればいいのか。
私の1日の大半を占めるのは仕事だけど、仕事をがんばる、は多分少し違う。
そりゃもちろん生きるにはそれなりにお金が必要で、仕事をしないとお金は手に入らないし、仕事を頑張ればお給料はその分上がるし。
でも、それは本質ではない。
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結論、「今日という日に感謝して、精一杯生きる」ということが「がんばる」なんだと解釈することにしよう。
この解釈に則って、「がんばったら何になれるか」という問いについて考えてみる。
多分、何にもなれない。
私は私のまま、何者にもならず、ただ安全と平和をちょろりと願うだけのちっぽけな存在として、いつかこの世から消えていなくなるだけ。
でも最期に、私のために時間と涙をわけてくれる友人が1人でもいたら、それはそれは幸せなことだろう。
がんばった甲斐があったな、ときっとそう思う。
10年先どころか明日がどうなるかもわからないのに、1週間後に遊ぶ約束をしたり、数ヶ月後のライブを心待ちにしたりしているのです。
人間は不思議な生き物です。
そして私はそれらの約束を楽しみに、これから毎日をがんばって生きるんです。
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「なむあみだぶつ」について
「なむあみだぶつ」は、インドの言葉で「そのまんま 助ける」という音を日本語っぽく読み直したもので、
あなたはあなたのまま、お釈迦さまから救いを受けられるんだそうな。
(宗派によって解釈が違うかも。しらんけど。)
お釈迦さまは急に私たちをプロサッカー選手や石油王にはしてくれない。
それでも、煩悩だらけのありのままの自分たちをを救ってくださるんです、とお坊さんは教えてくださいました。
それからもうひとつ、「ありがとう」の意味もあるそうです。
直接言えなかった「ありがとう」も、「なむあみだぶつ」を唱えれば伝わるんだって。
ほんとか?って普段なら思うけど、なんとなくこういう時はスッと腹落ちしてしまうものです。
なむあみだぶつ。ジィジ、ありがとな。
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バァバの話
どっちかっていうと、私は祖母が心配で。
家も車も身体もガタがきているし、祖父が骨になる前は「首持って帰る」って駄々こねてたし(それはそれでどうなのか?)、しまいには「あの世行くときは一緒だよって約束してたのに」って。
たくさん会いに行ってあげないとなぁ。
寂しいもんな。
まぁ一晩明けたらごはんもモリモリ食べてたし、遺影見て「男前やなぁ」ってにこにこしてたから多分大丈夫……かな?
私にはまだよくわかんないけど、2人の間には確かな愛があったと、その事実だけがサクッと胸に刺さった気がした。
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memento mori
『死を忘れるなかれ』
いつからか、常にうっすら、ヴェールが掛かったように死について考えています。
もちろん今すぐどうのというわけではないけれど、「不安だけど確かなゴール」は必ずあるので。
この身体が動かなくなり、身体という器から魂が零れ落ちたとき、果たしてどうなるんだろう。
どこに向かうんだろう。
そのとき、この世には私のために泣いてくれる人はいるのだろうか。
自分で自分の葬式イメージしてる奴なんて、多分私しかいないけど。
予行練習みたいでいいよね。
だって、その日がいつかなんて誰にもわからないからね。
そして、わたしはこの曲を聴くのです。
あなたの生きる大切な3分半を、大切な人を想ってこの曲と一緒に過ごしてみてください。
「メメント・モリ」大森元貴
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いとこの話
人間って、何歳から「死」を理解するんでしょうね。
私には3歳のいとこがいるんですが、その子がこんなことを言っていました。
なぜか持参した星座早見表を指差して、
「おはか!これ、おはかだよ!」
祖父の入院中、足の悪い祖母に向かって、
「ジィちゃんがバァちゃんの足になるんやで」
本意は彼にしかわからないのですが、なんともハッとさせられるのです。
まぁ、葬式は早々に飽きてポケモン図鑑で遊んでいましたが。
自論ですが、こどもはこの世界の全てを、生命や宇宙の本質を知っているのではないかと思っています。
それを伝える言葉を知らないだけで。
そして、大人になると忘れてしまう。
ト●ロみたいですね。
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本を買ったよ
「『死』とは何か」著:シェリー・ケーガン
葬式が終わり、ひとりでの帰り道、岡山駅のコンビニで見つけたこの本。
読めって言ってるような出会い方だなと思って、Amazonでポチー。
今年の夏の愛読書になりそうです。
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おわりに
こんなに辛いことを、大切な人の数だけ残りの人生で経験しないといけないのかと思うとそこそこしんどいです。
でも、心に居場所を作って忘れなければ、みんな私の中で生きるんです。
会える時に会う、伝えられる時に伝える。普通に生きて、普通に食べて、普通に喋るなんてことは当たり前のことではないと身に沁みました。
穏やかに、楽しく、がんばって生きることを、わたしは大切にしたいと思います。