![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130649338/rectangle_large_type_2_b533cd9461d1ef706b013704aee736a7.png?width=1200)
朝が来る【読書記録No.4】
「朝」という漢字は「十月十日」から成っている。
十月十日かけてお腹から出てきたとき、そのとき赤ちゃんがみた光が「朝」なのだろうか。
それともお腹に命が宿った瞬間が「朝」なのだろうか。
命が宿っていることを、お母さんが知った時、心に灯る光が「朝」なのだろうか。
この本に出てくる佐都子にとっての「朝」は、赤ちゃんと「出会った」瞬間だった。
長く終わりのない不妊治療。子どもを授かりたいのに授かれないもどかしさ。
その時の佐都子の感情は「永遠に明けないと思っていた夜」と表現され、それが特別養子縁組で結ばれた子の存在によって「明けた」のだと、「朝」が来たのだと、表現されている。
でもその話を描きたいだけなら「朝が来た」というタイトルにすればいいのだ。
「朝が来る」とは、誰にとっての「朝」なのだろう?というところが、この話の真髄だと私は思う。
おそらくこれから来る、
ということは
まだ来ていない「朝」。
人生で見ている景色は、朝か昼か夜か。
そんなの分かりきったこと。
でも、たとえば、悩んでいる時や辛いことばかりの時、朝なんて来ないんじゃないかと思ったり、ずっと闇の中にいるみたいな気持ちになったりする。
この話の中に、佐都子のほかにも、そんな人がいる。
その人にはまだ「朝」は来ていない。
朝は来るのだろうか。
来たとしたら、それはどんな朝だろうか。
本を読み終えた時、この本に出てきたいろんな人たちに、「幸せになれ…!!」と切に願った。
2024.2.12