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noteのスキ沼から這い上がるまで

noteを始めてから、5ヶ月。
まだまだnote界のひよっこ
です。ぴよ。
最初はスキのつけ方に戸惑いました。

スキをつけるのは良いと思った記事だけなの?
それとも挨拶代わり?

ルールがあるわけではないから、自分の解釈でスキをつければいい。

ただそれだけのこと。

でも…

スキのつけかたは大切なんじゃないかと思った話をシェアしたいと思います。

この記事は自分がつけるスキのはなしです。
相手がつけるスキについての話ではありません。


note|はじめたころ〜1ヶ月


書き上げた記事を誰かに読んでもらいたい!
承認欲求がめちゃ強かった時期です。

誰かに読んでもらうにはスキをすること。
スキの足跡から自分の記事にきてもらうことを強く、つよーく望んでいました。

スキさえすれば、誰かが読みにきてくれる、そう信じていました。

はじめた頃のスキをつける目的:
私の記事も読みにきてね❤️

愛嬌をふりまく

この頃はスキを返してくれるのはnoter初心者さん、初心者noterをターゲットにしている商売屋さんでした。

もちろんスキを返してもらえると嬉しいです。

ただ思った以上にスキも増えない。
フォロワーもなかなか増えません。

スキの数=自分の記事の価値だと思い落ち込みました。

スキしまくり作戦

次に私がしたことはスキしまくり作戦です。スキする数が多ければ、記事をみてもらうチャンスも増える。

そしてスキも増えていくだろうと安易に考えたのです。

スキをし続けると、noteのスキ制限機能で一時的にできなくなります。

そこで少し時間をおいてから、再びスキしまくり作戦を繰り返します。

この時期のスキする目的:
スキしたから私の記事もスキしにくるのは当然でしょ?
つまり、要求のスキでした。

意味不明な焦りもあり

この頃の私は少し頭がおかしくて、誰がどんな内容の記事を書いているのか、よく把握しないままロボットのようにスキを押し続けていることもありました。

スキしまくり作戦の意義はいったい何なのか自分でもよく分かっていなかったと思います。

この行動にはただただ疲弊するばかりだったので、この作戦はながく続きませんでした。

意味のないスキをしてごめんなさい。

note|3ヶ月め


やっぱりスキの安売りはしないと決め、自分が読んで何かしら感じた記事はスキを、読んでも何も感じられなかったものはスキを残さなくなりました。

けちスキ作戦のはじまりでした。

この時期のスキする目的:
あなたの今日の記事はよかったよ❤️
上から目線でスキをつける、つけない判断をしていた

俺様になりかけていた


あの時の私 偉そうでした。ごめんなさい。

note|4ヶ月めから現在


けちスキ作戦はやっぱり気分がおちつかない。

スキを考える病に堕ちってしまいそう。ヤバイ。

このままじゃ、note沼じゃなくスキ沼にしずむー。

危険な状態に陥りそうになりましたが、noteが楽しくなってきたこともあり、あまりスキを考えなくなるように。


スキでわかったこと

スキをつけた記事に関連したものがnoteのアルゴリズムでおすすめで表示されるようになります。

ということは

ろくに記事も読まずに、あたりかまわずスキの押し売りを
押していると、いつまでたっても自分と同じような興味をもつnoterさんと繋がりをもつチャンスを失うことになります

逆に自分が本当に興味がある記事、好きなnoterさんの書いた記事にスキをすると、素敵なnoterさんの記事に出会う確率がより高くなっていきます。

その事がやっとわかってきました。

私好みの記事を書くnoterさんがおすすめにでてくる数が
増えてきました。

とっても気持ちがいいものです。

ここで小池一夫さんの一節を引用させてください。

この一節を読んでnoteのスキも同じだなと思ったからです。

ひとりの人とつき合うことは、その人の後ろにいる人とも、人間関係を持つということです。

その後ろにいる人と新しくつき合うということは、またその後ろにいる人とも、つき合いがはじまるということです。

著:小池一夫 人生の結論から引用

私のスキの意味


「やあ こんにちは」
挨拶のスキ

「どうもありがとう」
お礼のスキ

「今日も記事更新お疲れ様」
応援のスキ

「うん 分かるよ」
共感のスキ

「最高!すごく好きな文章だった」
憧れと称賛のスキ

あなたのスキはどんな意味がありますか?

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