自己肯定感の呪い
「自己肯定感を高めろ」と、言われる。
「もっと自分に自信を持て」と、言われる。
「自分を卑下するな」と、言われる。
それでも、僕は自己肯定感が低い。
桜が美しい、綺麗だ。あいつはいきなり現れる。ただ咲いている。
僕は桜になんてなれやしない。あいつみたいに、主役になんてなれない。
人生の主役はいつだって自分。そんなことはわかってる。
それでも、僕は人生すらエキストラでしれっと通り過ぎる。
通り過ぎる瞬間がノイズのように映る。
自信を持てない自分は嫌いかな?
もっと自信が持てるようになりたいのかな?
そうさ、誰だってパワーがほしい、希望だけをエネルギーにしたい。
幸せだなあと思えること。生きていることが、美しいと思えること。
僕には当分、できっこない、見えやしない。
語り手はいつだって、あいつじゃない。そんなことはわかってる。
それでも、僕には当分、明るい光はやってこない。
願わくば、あいつにしかない、桜色の輝きを。
そう願っても、僕はいつまでもくすんだ青い淀みを滲ませる。
明るい未来がほしいのかい?
明日も、美しくありたいのかい?
美しくなんかない。汚いままで、路地裏にもたれかかる。
1人で立つこともできない。
だから、青いままで、汚れた悲しみのままで。
片耳の聴こえないイヤホンは、それでも音を流し続ける。
それでいいじゃないか、僕はそれを、握り締めるしかない。
「自己肯定感」を高めろと言われる。
「もっと自分に自信を持て」と、言われる。
「自分を卑下するな」と、言われる。
そんなこと、不良品にはできっこない。
だから、良品になることはやめた。
映画の主人公じゃなくても、たとえ2秒しか出番が来なくても。
それでも、それでいい。
自己肯定感という名の呪いに、とらわれたままでもいい。
一生桜になれなくていい。梅にもなれなくていい。
呪いだけが僕を、ここから離さない。