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トランジットタイム・人生の移行期

不思議ですが、
秋は、特に10月、11月、そして12月って
私たちの足の下のマグマが、どくどくと動いている気がしてしかたがないんです。
特に個人的には、2016年にそれを劇的に感じました。
それから毎年、秋の気配を感じる頃から年明けにかけて
具体的に、人生で大きなシフトが起きたことをいろいろと思い出せます。



現在、自分の周囲を俯瞰しても
そのシフト、
トランジットタイムが起きているように感じます。
それは一見、不安な光景にも感じます。
でも、
そのトランジットタイムの終わった先には、新しい未来があるという
実は、素晴らしい変化へ向かう時なんです。


空港での乗り換え=トランジットをしたことありますか?
海外の空港では、長時間のトランジットを経験した人もいることでしょう。
私も、何度も、いろんな空港内に長時間とどまった経験があります
乗り遅れて、さらに何時間も次の便を待ったことが三回!
でも目的地に、最終的には行けました。ということは、待つべき時間だったんだと思います。偶然はない、全て必然だと思うんです。


今日、急に思いだしたのは、
2000年の秋のこと・・・。
たしか9月の終わりだったように思います。
バンパスさんという、人格的にも尊敬していた年上の友人の通訳の仕事で、テキサスのダラスに行く用事がありました。。


関空~サンフランシスコ空港(こちらでトランジット6時間)~米国の国内便でテキサスのダラスへ。
空港に着いたら夜9時。そこからタクシーに約100ドルを支払い、1時間半くらいで、素敵な街オースチンのホテルまで行きました。


着いたのは確か、ハイアットだったと思います。
天井がやけに高い、優雅で美しい大きなホテルでした。
そこで待ち合わせたバンパス夫妻と、その他全米から飛んできたという夫妻数組と、真夜中にホテルのレストランで食事をしたんです。
みんなビジネスにある程度成功した人々らしく、高揚した雰囲気に満ちた夕食の席でした。


オースチンでの4日間の会合の後、彼らと別れバンパスさんたちとLAに飛行機で向かったのですが、
LA空港でバンを借りて、高級住宅地ともいわれているパサディナのバンパス御殿(まさに御殿!)へ行きました。


そこで、すでに集まっていた各国の友人たちと気楽に滞在させてもらい、数日間パサディナをぶらぶら散策したりして満喫しました。
各国から来た友人たちは、当時、あるビジネスで成功していたか、成功の途中の段階にあったように思います。


みんなとってもフレンドリーで、優しくていい人たちでした。
と同時に、やはりお金を求める人の匂いというのでしょうか・・、
成功を渇望する人のひりひりと胸に刺さるようななにかが漂っていたのも覚えています。
チャンスを求めてギラギラする何かが、パサディナの夕暮れの中、通りに面した夕食の席の、幸福に満ちた雰囲気の中にも、それが揺らめいていました。
(私はただの通訳笑)

あれから、24年。
すっかり連絡が途絶えていたので、あのみんなはどうしているのだろう?と不意に思って、中年以上の方はよく利用するFACEBOOKを、ある日たどりました。しかし、ほとんどの人は消息不明。99%の人々は・・・。
だけど、バンパス夫婦のことだけは、ご家族とも親しかったために、大体のことを知ることができたのです。

あの御殿で毎月600万円以上の収入を手にして、毎日外食をし、ジャガーに乗り、好きなものを好きな時に買って、世界中の好きな場所にファーストクラスやビジネスクラスで飛んでいたバンパス夫婦は、その後、ビジネスの破綻によって残念ながら離婚したと知りました。

奥さんのお姉さんによれば、奥さんは(私より2歳だけ年上)それからは精神を病み、今はLAのお姉さんの近くに一人暮らし。
当時幼かった息子は、LAでホームスクールをしていたけれど、台湾に憧れたのか台湾大学に留学後、有名な東海岸の大学ジョンホプキンスで学び、そして今は大きな企業の研究職についているようで、安心しました。甘えっ子の、可愛い一人っ子さんでしたし・・。


そして、あらゆるビジネスで成功していた優しいあのバンパス氏は、LAの南のロングビーチという海辺の町に引っ越して、そこで再婚していると知りました。
ポーカープレイヤー(ギャンブラー?)になったのか
私にはその世界はよくわからないのですが、ポーカーのプロになったみたいです。
お姉さんからいろんな試合での写真と、アジアのどこかで脂肪吸引手術を受けて、その結果を「とても安価で良かったです」と紹介しているビデオも見せてもらいましたが、お元気そうで安心しました。が、コロナの後はまた得意な不動産業に戻ったかもしれませんね。


彼とは、親しく交流させてもらった2年間がありました。
その時のことを思いだしても、
彼はいつも誠実で、気前がよく、とにかく、とってもいい人でした。
日本にビジネスできた時には、いつもヒルトンホテルの一番いい部屋に宿泊していました。

うちの子供達(4歳と6歳)を、一度大阪のヒルトンに連れて行ったら、
バンパスさんが
「君たち退屈だろうから、あっちの部屋にある大きなベッドでジャンプして遊んだらいいよ」
と言って、
彼の寝室のキングサイズよりも大きな、真っ白な船のようなベッドで、うちの子供達にぴょんぴょんジャンプして遊ばせてくれたりしたものです。ぴょんぴょんしながら、ゲラゲラ笑っていた二人笑。楽しそうでした。

あの頃のバンパスさんは、いつも上等のツイードのジャケットを着て、ピカピカした靴を履き、ヒルトンでは上客としてどのレストランに行っても特別に丁寧な扱いを受けていたものです。
それがいいとか悪いとかではなく、そのような人生の船に、あの時期は、彼が乗っていたとう事実。
綺麗な奥さんともとっても仲良しでした。
ちょっと子供みたいな奥さんを、それはそれは可愛がっていましたね(^^)。


20年以上の歳月でいろんなことが変わったことには、あまり驚きません。
20年あれば、変わらないほうが珍しい・・と、私には思えるのです。
経済力が以前ほどなくなったバンパスさんが、今、不幸だとも思いません。

それよりも
彼はむしろ、あの大金持ちだった時期よりも、
今の方が自由で、気楽かもしれません。
仮に、経済的にはちょっとばかり厳しいことがあってもです。
人生って、人間、働いていたら、それなりに生活はできます。
それに、のんびりした人々が多く住む、ちょっと田舎町ともいえるロングビーチで、彼は、幸せなのでは?
そんなふうに、感じるのです。



今、どうでしょう? 人生で揺れ動いている時期の人もいますか?
みんながみんな、そうではないと思うけれど・・^_^。
でも10月、11月って、シフトが起きる時期なんですよね。
新しい年に向かう頭の切り替え時期。


旅や、引越しで、移動をする時に、
ある空港から、
次の空港まで行くには、
トランジットという待機時間が生じますね。
6時間だったり、
12時間だったり、2日間待つ人もいます。


そして、目的地についたら
そこで新しく生活を始めるわけだけど
落ち着くまでには
数週間、
あるいは数ヶ月はかかるかもしれません。


田舎から出てきて
東京に小さなアパートを借りる新大学生が、
4年後に卒業するまでに、
どれほどの変化を経験するでしょうね。
どれほどの揺り動かしが、
その間に、あるでしょうね。

社会に出てからも、
周囲を見て揺れたり
転職や留学、ひっこしなどという時期がきます。
何回、飛行機に乗り、
何回、空港で待機し、
どんな時間を経て
全く未知の、遠い目的地へと向かうのでしょう?


変化は、不安です。
でも
「大丈夫」・・と心の奥で信じていると
きついトランジットタイムがあっても、
結果は大丈夫だった、、そんな経験ばかり、あります。

飛行機がどんなに遅れても、死ななかったし
空港の硬い椅子の上で、めちゃくちゃに疲れたって、回復しました^_^。

渦中はクタクタ、フラフラでも
いつか目的地に着く。
大丈夫だと信じていれば。

そして、そこであったかいシャワーを浴び、ぐっすり眠れる。
そのシャワーを浴びて、気持ちが良い自分を、映画のシーンのように想像することが、とってもとっても大切だって、思いますね。
だって、心に思うことって、ほんとうに実現していくからです。


生きるって、旅だなあと感じます。
トランジットタイムも、どんな変化も、私はこれからも、「だいじょうぶ」と信じていきたいです。

それを声に出して自分に言ってあげているんです。
いつも、意識的に声に出して
「だいじょうぶ!」って、何回も自分に言うんです。

実はこの二日間くらいも、今は親の介護とかいろいろあるので、定期的にくる不安な気持ちになったので笑😆
だから、今朝「だいじょうぶ!」と何度も自分に声に出して、言い聞かせました。
そうしたら、元気がむくむく湧きました。


声に出すと、ほんとうに”大丈夫さ”・・が強まります!笑
声に出した言葉の力ってすごいですよ^_^。

又、人生の変化の時に
寄り添ってくれる友がいたら、なおさらいいですね。
私の場合は、幸運なことに、いつもそれが夫でした。
旅の友の存在は、ほんとうに有り難いものです。

夫以外にも、今、時にかなって励ましてくれる女友達が何人かいます。
ひとりでは、きつい変化は不安でも
そっと、静かに応援してくれる友がいれば、
勇気100倍、安心100倍です。


おやすみなさい。



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