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徒然なるままに・・昨日の続きを・・長いので覚悟してください笑

今日は11月17日です。今朝、夫に、昨日の日記の内容を思い出しながら話していたら、夫がこう言った。

「うん、あっちゃんはなあ、ほんまに機能不全な子だったわ」って。

「でも、あっちゃんが大好きだったから、わーこの人、壊れてるというか、危ういところあるなあ・・不安定やなあ・・って思ったんやけど
そばについていてあげないと・・って、自然に思ったんやろうなあ俺も」

「え〜〜〜! ありがとう〜〜〜メグ。メグなしには、今日生きていないかもね。だれかと共依存になって、ぼろぼろになって、もう死んでたかも」

「そうかもしれんなあ・・」 爆笑

そうかもしれんなあ・・って笑・・・・
いや、それくらい、私は本当に痛んでいたんですね〜。

過ぎ去ればなんとか・・・って言いますけど、
今の自分にしてみたら、「そんなじだいがあったんだ〜!?」
ってかんじで・・
物語の登場人物の話みたいなかんじなんです。


これって、このパートナーに神様に巡り合わせてもらって
私はほんとうにすごく幸せものですよね(T . T)。

うちの旦那さん、メグってよんでいるんですけど
彼だからこそ、私は回復していけたんだと思う。
壊れて、ガタピシやっているロボットを想像してみてください。
しかも、感情も持ってるロボット。
幼少期からの傷がパックリ口を開けたら、血が流れて、わけもなく泣いたり

「もう、誰も知らない海辺の町に行こう!
メグ、漁師になって!わたしも魚を集めたり、干物作ったりするから」

って
大学の終わりくらいの時(劇団に入ると決める前)、真剣に、夜通し話していたらしいです。なんとなく思い出します。

それで、彼も、
「そっか〜 田舎の漁師か・・・
まあ、いいけどな・・」
とか思ったそうです。

で、ある時、私たちはどこか忘れましたが
千葉だったのか、淡路島だったのか、田舎の漁師町に行ったんですね、遊びに・・、とうか偵察に。
そうしたら、夏のせいか、もうめちゃくちゃ魚臭い!!
漁港は、鱗だらけで、ぶった切った魚の頭から血も流れていて
奥さんたちがそれを掃除したりしていたわけ。

そこに小一時間佇んでいた私は、おもむろに
「メグ、やっぱり、漁師はやめよう・・・」
と言ったそうです。
「や、やめるんか〜〜〜い!??」と笑えたそうです。
映画のシーンみたいで、私は、あんまりはっきり記憶がないのですけど笑


それと、これも理由を忘れたのですけど
とにかく、80歳くらいになるまでうちの父は、
ほんとうにお山の大将だったんですね。
それで、大学生の時に
フィリピンへのゼミ旅行の計画を立ててゼミの教授にもう料金も払っているのに、
いきなり徳島の実家から電話がかかってきて
「あの旅行はな、キャンセルしろ。今すぐに。マニラなんかにいったら殺されるかもしれない。それに、もしかしたら彼氏といくんじゃないんか?」って・・・!!!!!????

ガーン・・・・・・です。
ゼミ旅行に彼氏となんか行けませんし、行かないです。
それなのに言い出したらもう聞かない。
私は泣きながら、リームズ先生(ゼミの先生)に電話して、キャンセルをお願いしました。
あまりにも出発間近で、しかも急で、飛行機のキャンセルも大変だと聞いたので、大学の裏手にあった教授たちの住居(西洋の建物で美しい)まで、謝りに行ったんです。
その時の、先生のガッカリして、ちょっと困ったような顔・・・は忘れません。
帰り道も、泣けて泣けて仕方がなかった。

そのすぐ後のことです。
私はメグに(その時は彼氏)、
「ねえ、もう逃げて。わたしと。日本の果てでもいい、海外でもいい。貯金はちょっとしかないけど、土方したり、スーパーで働いたら暮らせるから」
と、夜の公園で真剣にお願いしたんです。これは、うっすら覚えています。

メグは、「どっひゃ〜〜〜」と内心思って、10秒くらいびっくりして黙っていたら
「え? 私と逃げてくれないん? 逃げてくれないっていうん?」
って泣き出したそうです。
(ここは記憶にない・・・都合よく忘れたのかも笑)

で、まあ、メグは、優しいので
「まあまあ、ちょっとよく考えてみようね」と、この逃亡計画を私たちの宿題にしてくれて・・・・・・・

そのうち・・・
《泣いたカラスがもう笑った》性格の私は、
「もう逃げる必要はないわ」なんて のたもうたらしい・・・
(ばかもんの私)


こんなはちゃめちゃな私だったので
普通の彼氏なら、とっくに「変なやつ・・ちょっと無理だ、これは」って
そうなっても、おかしくなかったはずですよね。

でも、メグは、私のその機能が壊れているような状態を、
なぜかそれほど深刻にも、不可能だとも受け止めず
真剣に対処してくれ、ケアもしてくれ、優しくしてくれただけなんです。
忍耐強いですよね(T . T)。
私が元気になれるように、彼とすれば「あっちゃんが好きやからなあ。だからごく自然と助けていただけ。そんなもんやろ、好きなら」・・・。あ〜〜〜もう 感謝しきれないです。
こんな人、いますか?


そういうわけで・・
大学卒業後は東京に出て、一緒にミュージカルをし、
その後は神戸に自分たちの劇団も立てて、
そのときもいろいろ怖いことがあったのですけど・・守ってくれて
「もう、演劇界はいやだ」・・・となって、
昔、留学した英語を生かして私は英語学校に勤めはじめたのです。
バブルのときは給料も月50万とかすご〜〜くよかったけど 
それが1991年ごろ始めに、一気に日本経済はバブルが弾け飛び
倒産が相次ぎました。英語学校も次々クローズ。
メグの勤務していたアパレル会社もついに倒産。
うっは〜〜〜となって、やけになってサイパンへ旅行しました。
(気晴らしです。サイパンは安く行けたので)

「じゃあ、もう子供も私できないし、メグはアメリカ生活も経験した方がいいので、もうアメリカ行こう!」
と私が提案し
メグは、土方(分かりますか?穴を掘ったり、めちゃ危険な日雇い)のバイトを毎日必死でして、私は私でダブルワークし
その頃にはだいぶん穏やかみを増してきていた親の助けも少しだけ借りて、アメリカのジョージア州の大学へ。

すると 「私は不妊の体だ」と信じ切っていた私がなんと夏には妊娠!
(長男のSです)
ニューヨークやロスでも就職は探したのですが、
現地周就職では給料も足元を見られるからとても子育ては無理・・・
と踏み、帰国・・・・
etc,etc…………..

その後、日本で就職し娘が生まれ・・・etc,etc……..

でまあ、その後もいろいろあったけど、


今は 幸せ!
ということなんです。
めちゃくちゃはしょって話しましたが笑。


長すぎますので今日の結論は

「パートナー」選びが人生の幸せと不幸せを決める。

名言かもしれません笑。


また書きます。日記なので、思いつくままに書いていますがあしからず・・・