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【俳句】飾焚く どんど焼〜碧 萃生

飾焚く飾少なくなりまして

どんど焼地に残るもの消えるもの

朝、散歩に出た時に、15日なのでどんど焼きでもやっているかと近くの神社に立ち寄ってみたら、やっていた。
子供の頃から「どんど焼き」だと思っていたのだけれども、その神社の入り口には「とんど祭り」と書かれている。
歳時記では「左義長」が主季語で、「どんど焼」「とんど」は傍題に上がっている。
むしろ左義長こそ、聞いたことがない。
歳時記を引くようなことがなければ、一生耳にすることも目にすることもなかったのではないか。
しかし、調べてみると、京都の神社にもイベント名を「左義長」としているところもあるので、僕が不勉強なだけだったのだ。

さて、その今朝のどんど焼き。
イメージしていたような、櫓を組み、神主さんが祝詞をあげる前で炎が空高く舞い上がる、そんなものではなかった。
トタンの上で、係のおじさん数人が、火の番をしている。
規模としては、焚き火だ(タイトル画像)。
集まっている参拝客の話を聞いていると、年々焼かれるものの持ち込みが少なくなっているらしい。
まあ、そうなのだろう。
正月飾りをする家庭が年々減っているだろうことは容易に想像がつく。
最近は、インスタで上げたいばかりに飾りをする人もいるだろうけれども、それでも、もうしないという家庭の方が多いのではないか。
それにそんな若い人は、飾り付けをしても、「燃えるゴミ」で出しているのではないだろうか。
どこで焼こうと火は同じだと思えば、それも「どんど」と言えなくもない。

我が家も、正月飾りは特に何もしていない。
せいぜい鏡餅くらいだ。
それも、パックになって中に切り餅がいくつか入っているあれ。
実家にいる頃には、さすがに門松はないけれども、玄関にしめ飾りをしたり、車にも飾りをつけていた。
昔はタクシーも正月はしめ飾りををして走っていたのを思い出す。
鏡餅も、本物の大きな二段重ねで、15日までにはひび割れて、うっすらカビが生えていた。

そう言えば、昔はよくカビが生えていた。
鏡餅もそうだが、普通の餅も、サトウの切り餅なんかないので、確かお米屋さんに頼んでいた。
年末になると、木の入れ物に入った餅が届いていたのを覚えている。
その餅も、数が多かったのか最後の方はカビが生えていた。
みかんも、箱で買うことが多かったので、底の方にはカビが生えていた。
今では、我が家はスーパーの餅を必要な量だけ買ってくるので、カビが生えることもない。
みかんも、最近は高くてとても箱買いなんかできない。
生活からカビがどんどん消えている。

話がそれたが、鏡開きと言えば、関西では15日と決まっていて、ずっと全国そうだと思っていた。
東京で学生生活をしていた頃は、そんな行事に関わることもなかったのでわからなかったけれども、その後、四十代で東京に単身赴任していた時に、事務所に飾っていた鏡餅をみんなが11日に突然善哉にしようとするので「何するねん」
事情を聞いて納得。
その時に、初めて鏡開きの日も地域によって違うのだと知った。
その後、これも単身赴任した名古屋でも11日だった。
境目はどの辺りだろう。

若い頃には、風習なんて、伝統行事なんて、クソ喰らえだくらいに思っていた。
しかし、歳をとるにつれて、そんなものに親しみを抱くようになっている。
流れて行くだけの人生に、ストーリーを作る、目次を作る、そのためにそうした行事は必要なのだと思うようになってきた。

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