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ジョーカーは誰なんだ〜映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」

公開から1週間になるし、このnoteでも多くの記事が書かれている。
映画の内容については、そちらを見ていただいた方がいい。

さて、その記事を見ていただければわかるように、賛否両論あるようだ。
ただ、僕は見た映画は、どんな映画であってもつまらないとは思わないようにしている。
その映画と自分が出会ったことを、自分の世界の中にその映画がひとつの出来事として立ち現れた、そう思うようにしている。

こう書くと、遠回しにこの映画はつまらないと言っているんじゃないかと思われるかもしれないが、そんな意味ではない。
むしろ、僕はこの映画に対して好意的だ。

意味を語ろうとすれば、こうなるだろうか。
前作でヒーローに祭り上げられたアーサー・フレック、ジョーカー。
社会的な弱者が、ヴィランとして持ち上げられる。
しかし、そんなものは、ひとときの幻にしか過ぎないというアンチテーゼ、それが本作なのだと。
だが、堅苦しく考える前に、ひとりの哀れな男の物語をまず味わうべきだ。

現実でも妄想でも、歌唱シーンが多く出てくる。
ここにも、賛否あるようだが、ドラマ「不適切にもほどがある」の突然のミュージカルシーンで免疫のある僕は、違和感なく受け入れられた。

ただ、ひとつ思うのは、「ジョーカー」はあの一作でよかったのではないか。
それは、この映画がどうこうと言うことではなく、あれは、たった一本の映画として完結して欲しかった。
さすがに、3作目は無いだろうが、「ジョーカー」のハーレクイン版なら見てみたい気もする。

僕はDCコミックのことは詳しくは知らない。
どちらかと問われれば、マーベル派だ。
だから、ずっとバットマンやジョーカーを追いかけてきた方は、また違った受け止め方をされるだろう。
ただ、基本的に映画は、いや映画に限らずどんな物語も、あらゆる人を受け入れるものだと思っている。

さて、ラストは衝撃と言っていいだろう。
いったい、ジョーカーは誰なんだ。
もしかして……そんな終わり方だ。

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