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3周年。何がめでたい

多分、「何周年のバッジをいただきました」なんて言う記事にはもう辟易されていると思う。
お前が何周年だなんて知ったこっちゃねえ。
そう思われる方も多いだろう。
(僕は思いませんよ)

僕も、1周年目、2周年目と記事を書いてきた。
それが3年目になったからと言っても、何が変わるわけでもない。
去年の記事の2を3に入れ替えで読んでいただいても特に支障はない筈だ。
あと何年このnoteを続けられるかわからないが、そうだ、数字を入れ替えれば毎年使える、万年カレンダーならぬ万年記事でも考案してみようか。

現在の世界最高齢は、先日スペインの方が117歳で亡くなられて、日本の116歳の方らしい。
その歳になると何を考えているのだろうか。
でも、今64歳の僕が二十歳のころとさして変わっていないように、案外、同じような、碌でもないことをまだ考えているのかもしれない。

SNS発信の最高齢は何歳なのだろうか。

生きるために書く方は世の中に多いだろう。
でも、歳を重ねてくると、書くために生きていたいと思うようになる。

僕の父は、病気のために最後の数年間は俳句から離れざるを得なかった。
その時には、理解できなかっだけれども、自分が同じ俳句を始めてみてわかる。
父の悔しさが。

書けなくなったら、死んだ方がましだと思うほど潔くはない。
映画なら、主役を裏切ってでも生き延びようとする奴だ。
でも、少しでも長く主役の側にいたい。
(あくまでも自分が主役じゃない)

書き続けていたい。
書くために生きていたい。

3周年、何がめでたい。
書いている、生きている。
それが、めでたい。
今日は半年に一度の膵臓の検査。
問題なし。
それも、めでたい。


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