権限委譲の進め方
権限委譲、マネジメントについて考えた場合に必ず直面する言葉です。
トップの立場にある者としては、多くの権限を握ることは大事です。
自らが実現したい何かを進めて行く上で、権限は大きなパワーであり、スピードにも強く影響します。
しかし一方で権限委譲の必要性、重要性も語られます。
権限委譲について考えてみたいと思います。
権限委譲に積極的だった理由
私は基本的には権限委譲を積極的に行ってきました。
不確実性の時代、VUCAの時代に対応して、といった意識とは全く異なり、
みんなはどう思っているのかな?
みんなはどうしたいと思っているのかな?
それは自分と合致しているかな?
それともまったく異なっているのかな?
なんてことを考える気質だったからです。
自分が描くゴール、自分にとっての正解はそれなりにあります。
なので、それを目指して考え行動してはいます。
しかしそれは、自分ひとりでできるものではないし、
むしろひとつひとつの仕事は社員が行うことが圧倒的に多いわけです。
その社員がどう感じているのか、どうするのがよい結果に結びつきそうか、
といった社員の考えや判断は無視できません。
もし彼らの判断と真逆なことをトップダウンで求めたとしても、
決して楽しくはないわけです。
「仕事を楽しんでいる人こそ最強」説の私自身が、その社員の立場だったらモチベーションはちっとも上がってこないこと間違いなしです。
そんなことから、現場のことは現場の判断に委ねることで、
仕事を楽しんでほしいと思ったから、というのが権限委譲に積極的だった理由のひとつでした。
もうひとつの理由はというと、
これは今だから言える理由なんですが、
「自分の見立てに絶対の自信が持てない」というのがありました。
「これで間違いなし、もしダメでも悔いはない!」と考える自分がいる一方で、
「本当に大丈夫?あんたそもそもそれほど有能じゃないだろう?」と囁く自分もいるのです。
よく言えば、メタ認知能力が高いとも言えるかもしれませんが、
シナリオプランニングの記事でも書いたように、私は基本バッドシナリオの想像力が豊かなタイプ。
そんな私が全権を独占して、トップダウンオンリーの組織の長となるのは、
現実的に無理な話なのです。
だったら権限はどんどんと部下に委譲してしまおう。
リスクの判断とそのリスクを財務的に、組織的に許容できるか、
会社の進む未来に対しての影響はどれほどかの判断に絞る。
さらに自分自身がその判断にちゃんと腹を括れるか、
創業オーナーに対して申し開きが出来るか、
の覚悟を持つことに力点を置くことにしました。
う~ん、ちょっと格好よく書き過ぎました。
一言シンプルに書くと、
「ひとりで全部を決めるのが怖いから、みんなと一緒に考えよう」
というヘタレ精神とも言えます。
権限委譲のスタート
そんな私ではありますが、最初からそうだったわけではありません。
ヘタレな自分を認められず、且つそれではダメだと克服しようとしてました。
このnoteの書き始めはそのあたりの葛藤もあって悪戦苦闘した時のエピソードを綴っているので、興味のある方はぜひご覧ください。
色々と悪戦苦闘、試行錯誤した結果、
自分にとっても、皆にとっても上手く行く方法を考えたら、
「みんなと一緒に考えよう」となった、というのは確かなのです。
ひとつひとつの企画や改善提案などを判断する定例会議がいくつかあったのですが、
まずはその会議への出席を止めました。
そしてその判断はそれぞれの責任者である部門長に委譲しました。
部門長とは管理職会議を定期的に開催し、
会社の理念、現状の判断、今後の大筋の方向性、財務上許容できる予算の限度を確認し合いました。
それを受けて部門長が決裁することにしました。
私の精神的な負荷が減ったことは確かでしたが、
一方で「うわ、なんでこんなことやるんだ」「これマジか???」的なことも多々ありました。
その意味では私の負荷は変わらなかったか、かえって増えていたかもしれません。
しかし、一旦始めたからにはすぐに元にも戻せるわけでもなく
しばらくは静観という名の苦行が続くことにもなりました。
権限委譲は育ててからか、育てながらか?
権限委譲を考えるタイミングとして、
それに見合うレベルに達したと見極めた後で始めるか、
ある程度まで来たと判断したら、後は委譲して育てながら進めて行くか、
という選択が生まれると思われます。
判断基準を委ねるだけの実力はあるか?
実力をより具体的に分解すると、判断力、経験値、知識、視野の広さ、時間軸の捉え方といった要素が頭に浮かんできます。
しかし、これらを満たしているという判断は
結局はやらせてみないと分からないよなあ、と思うのです。
日頃の会議や打ち合わせでの言動から、分かっているなと思えたとしても、
それは決裁者でないから言えたことで、
実際の決裁者になったとしたら同じ判断ができるかどうかは分かりません。
普段は迅速だったとか、冷静だったとかとしても、
いざ責任ある立場になってみると途端に判断力が鈍るということもあり得ます。
ならこちらが腹を括ってやらしてみるしかない。
そもそも私にまずは常務をやらせた創業オーナーも、
私にその実力があると判断したわけではないことは、
その後の私の迷走ぶりを振り返ってみれば自明な事です。
おそらく相当に冷や冷やしながら、時に苛立ち、立腹したこともあったはず。
それでも経験を積ませてもらったことで、
今があったはずなのです。
ならば信じて委ねてみよう!と決意しました。
権限委譲には理念の浸透と情報公開
実際に委譲してみてどうだったか、というと、
先述した通り、苦行のような時間もあったのですが、
段々となくなっていきました。
というか、なくなったのではなく、こちらが慣れてきたといった方がいいかもしれません。
「なんで?」と思ってイライラするよりも、
「その手を使うか!」「そっちで行くんだな」といった、
判断の多様性というか、自分ではしない判断による成功事例もあったからです。
「やっぱりなあ」とか「だから言っただろ」と
時に心の中だったり、言葉にしたこともありましたが、
もともと「自社の辞書には失敗という言葉はない」という社風も出来ていたので、
いい経験を積めた、やってはいけないことを実体験で理解できたという風に
ポジティブに共有する方向に務めました。
これができたひとつの理由には
情報の透明度という背景がありました。
まず判断ミスによる最大のリスクは、
不祥事やコンプライアンス違反による会社の社会的なイメージの棄損と、
財務上取り返しのつかない損失の2点に絞っていました。
前者はさすがに社員も認識できるので、そこまで不安視してはいませんでした。
しかし財務上のリスク許容度は社員にはなかなか分かり得ない分野です。
この点は以前も記しましたが、
自社で定義した「企画利益」という指標を用いて全社員に公開し、
企画利益の下限値を共有していたことで、
損失の許容度を理解できていたのが一番の理由だったと思います。
何かの企画やテストが最悪のゼロの結果だったとしても、
許容できる余地があるかどうかを判断できるからです。
全社員のすべてが理解しているかと言われると、流石にそこまでではないですが、
権限を委譲した幹部社員やリーダー層は理解できていたと思います。
結果として、何か大きな間違いがあったことはなく、
相応の失敗(という名の経験)も体験し、育っていったのではと思います。
関係性の質という土台作り
権限委譲が進む背景には情報と判断基準を公開してその透明度を高めておくことが大事だという話をしてきました。
しかし実際には、いきなり情報と判断基準を公開させすれば上手くいく、
というわけではないと思います。
なぜその情報が大事なのか、
その情報の中のなにをみて、なにを計って、どんな予測を立てて、
それらの状況からどう判断するのか、
という場面に日頃から参加できていたか、というのがあると思います。
この辺は日頃から対話の時間を確保し、
真面目な会社の話から、他愛もない雑談、社会的課題についての議論だったり
そうした結論を出すわけではない、お互いを知り、お互いに思考を深める時間を
業務の一環として割いて築いてきた関係性の質の向上という土台があったからと
私は思っています。
任せる側と任される側はもちろんですが、
任された側同士、つまり部門長間の関係性の質も実はかなり大きい。
ひとりのナンバー2に全権委譲ではなく、
それぞれの部門長に、それぞれの部門の権限委譲をすると、
当然部門間での意見の相違や対立も起こります。
そんな時に、それぞれの長が社長の私に判断を仰ぎにくることも当初はありました。
しかし一方の意見に与して判断をすれば、もう一方からの反発は大きくなります。
最初は双方を集めて話し合いをすることもありました。
しかし、関係性の質が高まってくると
当事者である部門長同士で話し合い解決するようになってきます。
しかもその解決案は私の考えにも、会社の方向性にも相応しいものになっている。
私からしたら、本当に有難くラクできる環境となってきました。
時に異なるプランが上がってきても、
経緯と理由を聞くとなるほどちゃんと考えた結果だと分かるので、
じゃあ、それで!となります。
結果私の思考もアップグレードされることになります。
時間はかかりますが、
こうした土台を作っておくことが、
権限委譲を進めやすく、且つその結果も上手く進めることができるのではと思います。