私の就活、そして新入社員時代
街を歩くと新入社員と思われる人たちの姿が目に入ります。緊張感あふれる初々しい様子に、また今年も4月になったんだなあとしみじみ感じます。新入社員と同じような姿には就活中の学生も混ざっているかもしれません。彼らもまた別の緊張感をもった表情をみせています。
私はかつて採用活動の中で様々な学生と向き合ってきました。そして新入社員を迎えても来ました。そのあたりについては過去の記事でも何度か振り返ってきましたが、今日は改めて自分自身の就活と新入社員時代を振り返ってみたいと思います。
バブル期の就活
私が就活していた時代はまさにバブル期でした。当時隆盛を極めていた証券業界に入った先輩が入社年の冬に驚くほどの額のボーナスをもらったと嬉しそうに話していた、そんな時代です。就活においても売り手市場真っ盛りで、何社から内定をもらったとか、学生の囲い込みのために催されあ贅沢なイベントに参加した話などが溢れていた、そんな時代でした。
そんな時代感の中で私はと言うと、非常に苦戦していたわけであります。
当時の私は、売上をあげる、利益を生むというような仕事に興味を持てずにいました。元々は博物館学芸員や図書館司書になりたいなんて思って文学部仏文科に進学したような少々変わり者でした。結局は学芸員の資格も司書の資格も取ることはなく漫然とした学生生活を過ごすことになるのですが。
そんなこんなで美術館とか美術展イベントに関われるような仕事がしたいなと思って、それらを主催する新聞社(の営業職)や、そこに絡む広告代理店(大手のみ)を受けまくり、そして落ちまくりました。
面接ではその会社に興味があるというよりも、美術展の仕事がしたい!しか言わないわけです。新聞社の意義も広告会社の役割も何にも分かっていない。質問された事にも支離滅裂の回答しかできてなかったと思います。
実際に面接官からも
「君はどんな人なのか。何をしたい人なのかがさっぱり分からない」
とか
「中途半端な知識と思いでやれる仕事じゃないよ」
などお叱りをいただくこともしばしば。
不採用通知ばかりが届いては凹む日々でした。
そこで領域を広げて、色んな会社の面接も受けるようになるわけです。
ちょっと横道にそれますが、その時に行った会社のひとつにカルチュア・コンビニエンス・クラブがありました。いわゆるTSUTAYAですね。当時はまだ若い会社で社名に「カルチュア」とあったので文化に関係できると思っていった記憶があります。
また美術展にはあまり関わりなさそうですが、JR東日本企画とかにも行ったかな。鉄道広告が主体との話しから、それきりにしてしまいました。
今になってみれば、この2社は非常に大きな会社に成長したわけです。当時そのまま受けても採用された確率は低かったと思いますが、先見の明があるのかないのか、自分の判断基準のいい加減さに苦笑いするばかりです。
こんな感じで悪戦苦闘をする中で、当時の新聞朝刊に掲載された新卒求人特集ページに出ていた美術通販の会社の採用試験を受け、入社することになったわけです。
これもまた時代を感じる話で、今時新聞紙面に学生向けの求人広告などでることはなくなってしまいました。
今改めて反省してみる
その数十年後に自ら採用面接を行なう側となり、ましてや採用の最終判断をする立場になるのですから人生は分からないものです。
もし今の私が当時の私を面接したとしたら果たして採用したでしょうか?
答えは否。
決して採用することはなかったでしょう。
それはなぜか?
美術展に関わりたいのはいいとして、そこで何をしたいかが全くない。
ただ、関わってあちこちの美術館に出入りしたいだけだったなと思うのです。
「美術館に関係者面して出入りしている自分がカッコいい!と思っているだけでしょ。それならうちの会社である必要もないし、そもそも美術展の仕事なんて、全体の極ごく一部でしかないのに、それしか興味のない奴はいらないよ」
といった印象しかもたれなかったはずです。
そしてまさしくこれは実際に入社した会社の先輩社員にも言われた言葉でもあります。
時代を戻すことはできないので今さら後悔はありません。バブル時代の超売り手市場という時代背景もあったとは言え、随分と舐めた就活生だったと恥じ入るばかりです。
実際に就職してみて
そして3月に大学を卒業。4月になり、実際に就職したわけです。一応は念願かなって美術展のミュージアムショップの仕事に関わることができ、あちこちの美術館に関係者面して出入りできるようになりました。楽しく感じることもあれば、実際に仕事としてやってみると簡単ではないなと実感することもありました。
その頃の一番の大失敗の話をひとつしたためてみます。
某大手メディアが主催した展覧会の案件です。そこで私が企画し販売した限定オリジナルグッズがえらく人気になりました。それは非常にありがたいことではあったのですが、土日のかき入れ時にも関わらず、私の段取り不足で土曜日のお昼早々に欠品してしまったのです。
慌てた主催者のグッズ担当者が土曜日に会社を通して私に連絡を取ろうとしました。(勤務先の本業は通販会社なので土日も出社する人がいるのです)
しかし私は土曜日ということもあって遊びに出掛けていて、全く連絡が取れない。当時は携帯電話どころかポケベルも普及していない時代ですから仕方ないと言えば仕方ないのですが、先方の担当者はカンカンに怒っています。
土日通せば、相当な売上が見込めるはずなのに肝心の商品が土曜日の午後に売切れとなったのですから、怒りたくなる気持ちはよく理解できます。
夜に遊びから帰ってきたら自宅に何度も電話があったと親から聞かされます。初めて知った状況に驚く私。
翌朝お詫びしに会場に向かってみると、そこはチケット売り場から大行列で、グッズ売り場にも人が殺到していました。その商品が品切れと知ってがっかりするお客様と、それに対して平謝りする店員さんや、その担当者さんの姿をみて、改めて事の重大さを思い知ることになったのでした。
忙しい最中に担当者に声をかけ、菓子折りを出してお詫びする私に、担当者さんの怒りが爆発。
「そんな菓子折り買ってる暇があるなら、なんとかするのが先だろう!!!!」
と余計に怒らせることとなってしまいました。
その上、上司とも連絡が取れておらず、私はなんの対応策も用意していませんでした。ただ菓子折りをもってお詫びに来ただけの状態。
「こっちは忙しいんだから、何も出来ないならとっとと帰れ!」
の剣幕に、何も出来ずにその場を去ることしかできませんでした。
結果としてその某大手メディアにはしばらく出入り禁止をくらう羽目となりました。
しかしこの経験が販売予測の大切さを肝に銘じる戒めとなった事に間違いはありません。
またその一方で自分が企画した商品、それは既存の商品にひと手間オリジナルの工夫をしただけの商品ではあったのですが、予想以上の人気となって欠品となってしまうくらいに売れたという事実に、心の中で嬉しく誇らしい気持ちを持てた始めての経験ともなったのでした。
今思うと、あの出来事が商品を企画する面白さ、売れる喜び、そして欠品させたら多くの人をがっかりさせることになるということを身をもって理解できた出来事だった気がします。まさに商売人人生の原点でした。
そして今思うこと
私の就活を振り返ると、当初の希望が叶わず挫折を味わった経験でした。特にバブル時代の当時、同級生たちの多くは名だたる大企業に就職していく人も多く、知名度の低い中小企業に就職となった自分を情けなく思う気持ちがあったのは否めません。
そんな中小企業に入っても前述したような大失敗だけでなく、他にもあまたの失敗を繰り返し、上司や先輩に迷惑をかけ続けました。若造の舐めた態度に上司を切れさせたことも何度もありました。
しかしその一方で、商売人の原点ともなる経験もすることができました。
その会社で出会った先輩社員が、その後に独立起業し、私に声をかけてくれたことから前職に転職。通販の立ち上げから始めたことで、ようやく真の意味での通販の面白さを知ることができました。その面白さはまさに私にとっての天職とも言える領域だったことに気づくことができました。
最終的には20代前半の私にはまったくもって予想もしなかった社長という立場を経験させてもらうに至りました。
「人間万事塞翁が馬」
私が好きな言葉を聞かれた時に答える言葉はこれです。
まさに私の今までを振り返ると、この言葉に尽きると感じます。
この記事を就活中の方が見ているかは分かりませんが、もし見ていたとしたら、どんな結果になったとしても今の自分目線だけでなく、未来の自分目線も想像して考えてみてもらえたらと思います。塞翁が馬と思える時がきっと来ると私は思っています。
また採用に関わる方、新人教育に関わる方も、「今年の学生は…」「今年の新人は…」と感じるシーンもあるとは思いますが、その一方で塞翁が馬の言葉をイメージして向き合っていただけると、結果皆にとってよりよい関係が作れるのではないかと、私は思っています。