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足跡を延ばしていくだけ

本日、無事に53歳の初日を迎えることができました。私がこの世に生を受けてから53年間も生きてこられたことに、感慨があります。この時代に生き続けているだけでも結構な奇跡であり、「思えば遠く来たもんだ」です。

私のこれまでの人生に関わってくれた全ての人たち、この世の中を作ってくれてきた全ての人たち、休みなく働き続けてくれる私の肉体に、深く深く感謝します。

「未来」について

最近読み終えた、古市憲寿『絶対に挫折しない日本史』(新潮新書2020)の中に「12.未来と予測の日本史」という章がありました。(P245-264)

古市氏は、現代人は「未来」という言葉をやたら使うものの、

現代人が語る「未来」と、過去における「未来」はまるで違った
〈略〉
現代における「未来」は、科学技術の進歩によって実現される、よりよい社会として描かれることが多い。
しかし古代や中世における「未来」は違った。そもそも当時は、進歩という概念自体がなかったと言われる。おそらく昔の人は、世の中が変わっていくという発想を持ち合わせていなかった。まるで季節が巡るように、日々はその循環の中にあると考えたようなのだ。

古市憲寿『絶対に挫折しない日本史』P246-247

と書いています。確かに「世界の終わり」「末法思想」など、未来を悲観的に予測する説も多く存在します。それが科学技術の目覚ましい進歩によって、技術の力で様々な夢が「未来」に実現するような錯覚を生んでいます。

私は、将来の成長や進歩を目指さないことが、イコール「よくない態度」「駄目な人」のように描かれる風潮が好きではありません。私は、意思でもって楽観的な気持ちを保とうと努力していますが、よりよい未来の到来は諦めています。自分にとって望ましくない最悪の未来を覚悟しながら、日々を精一杯過ごしています。これからもこのスタンスはおそらく変わりません。

私の53歳への思い

53歳で亡くなった有名人をネットでざっくり探ってみました。

諸葛亮(181-234)政治家・軍人 
陸奥宗光(1844-1897)外交官・政治家
ジュリー・ガルシア(1942/8/1-1995/8/9)”グレイトフル・デッド”リーダー
平尾誠二(1963/1/21-2016/10/20)ラグビー選手・指導者
ジョージ・マイケル(1963/6/26-2016/12/25)”ワム!”
古賀稔彦(1967/11/21-2021/3/24)柔道家

私は、「人生百年時代」と言われ始めた時期から、同じような月日の繰り返しが続いていくことに息苦しさを覚え、「人生五十年。そこから先は預かった命、生かされた存在として、一年一年を感謝して生きる」という価値観へと転換していくようにしました。

もはや必要以上の高望みはしません。流れに任せます。これまでの53年に、一日、また一日と足跡を延ばしていく…… 苦難に立ち向かうもよし、羽を休めるもよし、日々を後悔なく、愚直に過ごしていくだけです。

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