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『ジョーカー』がヒットするって事は

大変な映画を観てしまった。芸術とは触れた人を傷つけ、もう以前の自分ではいられなくなるものだというのを思い出す。もう観る前には戻れない。つらかったけど間違いなく観てよかった映画『ジョーカー』

内容はもうずっと暗くて悲しみと悔しさと怒りに満ちていた。
僅かな希望が生まれるたびに打ち砕かれる絶望。
胸が苦しくなるようなシーンが続くけど途中信じられないほど美しい画がある。
それは彼の笑顔だったり母親に添える手だったり憧れのコメディ番組を見つめる輝いた目だったり絶望の淵でゆらゆら揺れる立ち姿だったり。
けしてきれいな場面ではないのに深く胸に刻まれてきっとこの先事あるごとに思い出してしまう。

些細なことで空回り必要以上に期待して、善意に気づかず1人で生きていると錯覚するけどまるで孤独としか感じられない時。
自分が取るに足らない存在だと確信し、まるでピエロじゃないかとふと気付いた時、鮮烈に思い出すだろう。

ああ彼は私だと感じ、同じように感じる人がきっと世界中にたくさんいる。
だからこそこのヒットに繋がってるんだと思う。
だって、「あんな犯罪者共感なんかできるか」とか「気持ち悪い変な奴」、「自分は彼とは違う」と言ってしまったらまさにそれが彼を追い詰めて行った人々と同じということ。こんなに流行るわけない。
そうやって見ないふりで無視をして、あるいは見下し、蔑まれて当たり前の存在だと決めつけ、彼の気持ちを考えない態度がどういうことか。

無視するな!彼はここにいるぞ、ちゃんと見ろ!!あいつは俺なんだよ!!という声が世界中から聞こえてくるよう。それが数字となって現れているんじゃないのかな。

この暗くてつらく、とてつもなく寂しい映画がヒットする意味。
それは世界はまだすこしだけ優しいということではないだろうか。
観終わっても考えてしまう。

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