横浜での雑感
正月休み明け最初の週末が三連休ということで、横浜の自宅へ戻ってきました。本日は、軽い『横浜での雑感』を残します。
ツイている年... の罪悪感
昨日投稿した記事に、『2024年の私はツイている』という趣旨の内容を書きました。それは、首尾よく好運が舞い込むというプラスαの好運というよりは、偶然の無意識の行動や咄嗟の直感的な判断によって、未曾有の大惨事に遭遇するのを避けられそうだ、というマイナス回避のツキです。
損失を回避できることは、十分にツイています。2024年は最善を欲張らず、次善あるいは最悪を避けられたことを感謝して受け入れる寛容さが大切だ、とここまでの6日間を通じて感じています。
元旦の夕方に能登半島を襲った巨大地震と津波、翌日の羽田空港で起こった旅客機と海上自衛隊機の衝突事故、その他ニュースで報道される痛ましい事故や事件に、自分が現場で遭遇していないのは、単なる偶然だと思えます。
特に『令和6年能登半島地震』と名付けられた地震は、新年の祝賀ムードを、一瞬で暗澹たる気持ちに変化させるに十分残酷な出来事でした。地震発生時は、義母の家に親族が集まって新年会を行なっており、茶の間でテレビを観ていました。アナウンサーの繰り返しの絶叫に、少々大袈裟過ぎないかと感じてしまったのは事実です。あの時点では、事態を楽観していました。
数日経って被害の状況が次第に明らかになってくると、一転して気持ちが塞ぎ、自分だけ心底日常を楽しんではいけないのではないか、という精神状態になってきました。自分の力ではコントロールできない巨大な力によって、これまで築いてきたものが一瞬のうちに崩壊してしまう恐怖、自分の人生が翻弄されてしまう無情、を強く感じています。
今も我慢の日々を送りつつ、再起しようと頑張っている人々に対して『自分はツイている』という発言をすることは、甚だ不謹慎にあたるかもしれません。もしもあの災禍に私が遭遇していたら、平常心でいられるか、再び立ち上がる気力を振り絞れるか、大いに疑問です。無傷で生活できている幸運を感謝し、ささやかながら、義援金活動に参加しようと考えています。
横浜徘徊
『徘徊』の意味は、行く宛や目的もなく歩き回ること、だったと記憶し、このことばをタイトルに選びました。確認の意味でググってみたら、認知症患者が彷徨い歩くことに用いられることが多いという説明があって驚きました。ただ、私の認識も間違いではないようなので、このまま文作を続けることにします。
今日の昼間は息子が不在だったので、妻とランチに出かけ、終了後に私の好きな横浜エリアを『徘徊』して楽しみました。
関内で、セール中の中古CDを仕入れました。松本へ持って帰って、ドライブ中に楽しみたいと思います。
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