私の好きだった曲⑳:プリーズ・ドント・リーブ・ミー
今週は、珍しく色々立て込んでいて、いつも以上に、音楽に救ってもらう必要のある夜が増えております。なんだかんだ言っても、私にとっての最高の音楽は、思春期に聴いた80's Musicですので、予定の記事を変更して、今週二度目の”私の好きだった曲”シリーズにします。第20回目は、ジョン・サイクス&フィル・ライノット(John Sykes & Phil Lynott)『プリーズ・ドント・リーブ・ミー Please Don't Leave Me』を語り尽くします。
私がレコード選びでギャンブルし、勝利した一枚
この曲は、タイガース・オブ・パンタン(Tygers of Pan Tang)、シン・リジィ(Thin Lizzy)、ホワイトスネイク(Whitesnake)、ブルーマーダー(Blue Murder)と渡り歩いた天才ギタリスト、ジョン・サイクス(John Sykes 1959/7/29-)のソロ・プロジェクトの一曲です。
サイクスは1984年夏、ホワイトスネイクの一員としてSUPER ROCK '84 IN JAPANに出演する為に来日しています。このアルバムは、その際に発売された来日記念盤で、2000円でした。私が、買うかどうか迷いに迷い、清水の舞台から飛び降りる心地で、覚悟を決めて買ったアルバムでした。その一つ前、事前リサーチ不足によるチョイスミスによってあるアーティストな駄作アルバム(タイトルは敢えて伏せます)を買ってしまって凹んでいたので、失敗は絶対に許されない状況でした。
家に帰り、緊張の面持ちでソニーのステレオセットのレコードプレーヤーに針を落とし、両面を聴き終えた時、私は、「この賭けに勝った……」と胸を撫でおろしました。懐かしい思い出です。
奇跡の一曲
この曲は、ロックの詩人、フィル・ライノット(Phil Lynott 1949/8/20-1986/1/4)が協力しており、哀愁漂う切ない雰囲気の作品に仕上がっています。大切にすべきだったのに、永遠に失われてしまったものへ想いを馳せるテーマにしたライノットの作品には、素晴らしいものが多数あります。
たとえば、ゲイリー・ムーア(Gary Moore 1952/4/4-2011/2/6)と共作したパリの散歩道 Parisienne Walkways 1978』です。フィギュアスケートの羽生結弦選手がショートプログラムに用いて、見事2014ソチ五輪を制したことで有名になりました。この『プリーズ・ドント・リーブ・ミー』も同じ系譜に連なる名作だと考えています。
ロック史に残る名バンド、シン・リジィを率いたライノットが、キャリア最後の相棒に選んだギタリストがサイクスでした。私は、サイクスがリジィ加入後の『サンダー&ライトニング Thunder & Lightning 1983』『ラスト・ライブ Life 1983』を聴きまくることによって、本格的にHR/HMへの道を歩んだ人間です。サイクスは、ランディ・ローズと並んで、私の好きなギタリストの1、2位を争う好きなギタリストです。ギブソン・レスポール・カスタム(ブラック)を、時に激しく、時に抒情的に弾きまくる姿に痺れてきました。
90年代にリバイバルヒット
90年代になって、この曲が突然リバイバルヒットします。デンマークのヘヴィメタル・バンド、プリティ・メイズ(Pretty Maids)が、1991年に発売した4枚目のフルアルバム『シン・ディケイド Sin-Decade』で、カバーしました。
当時、クルマを運転しながらラジオで偶然流れてきたイントロを聴いた時の印象は強烈でした。若いHR/HMファンの方の中には、『プリーズ・ドント・リーブ・ミー』はプリティ・メイズの代表曲だと思い込んでおられる人もいるかもしれません。しかしながら、この機会にジョン・サイクスのオリジナル・バージョンを聴いて楽しんで頂きたいものです。
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