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読書日記*HSP『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』若林正恭 著

オードリーの若林正恭さんを、わたしは姉弟のような目線で見てしまう。たまに会うと笑って話せるんだけど、なんとなく似た者同士だし、でもあぶなっかしくて見てられないというかなんだか落ち着かない、みたいな。

その繊細なこころでよくお笑いという世界を選んだねー、と姉はすごく尊敬する。

お笑いがわからないわたしは、この本を読みながら、笑いのツボはわかったし、それがとてもうれしかった。もし一緒にその場面にいたら、同じことを考えて笑ったかなと。

この本のレビューを見ていると、みなさん「同感した!若林さんの言葉に救われた」と言われてる。言葉にならない気もちを言語化してくれて救われた感じは、わたしもたくさんの本からいただいてきたし、もちろんこの本からも伝わったことがある。

あえて引用はしないけど、”承認欲求”のことについて書いてある部分は、よくぞ言葉にしてくれたと思った。
いかに信用を得てリアルでもネットでもフォロワー数を増やすという競争が、ほんとうは「どれだけお金を持っているかの競争になっていないか」ともやもやする、と。

まさにそう思っていて、そんな競争から外れたいと、いま引きこもりをしているわたし。

競争しないで「わたしの場所をつくる」と始めたことなのに、やっぱりnoteもフォロワーさんやスキの数を気にしてしまう。目に見えることだけに、とらわれてしまう。

この国で、生き辛い人とはどういう人のことだろうか?
(中略)
この国で世間の空気を読まなくていい人間は、一目でわかるほどの圧倒的な何かを持っていなくてはならない。それを持っていないならば、多数派に身を寄せつつ自分の位置を把握して空気を読んでいればそう生き辛くはない。だがしかし、自分の位置を弁えず少数派の意見を貫こうとする時に、空気はもの凄い勢いで頭を揃えようとしてくる。(P326)

相互フォローの必要ない人は、圧倒的な何かを持っていて、それがないならサークルなどの多数派の中で、自分の位置を把握して空気を読むと承認欲は満たされるんだと思う。

でもわたしは私の場所をつくる!と少数派の立場を貫くと、無理に決まってるといろんな情報が入ってきて、頭を揃えてと教えてくれる。

圧倒的な何かを持っているか、圧倒的に空気が読めない鈍感さを持ち合わせていれば、やっていける。でも、少数派のくせに繊細で、出る杭のくせに打たれ弱くて、口が悪いのにナイーブで、それなのに多数派に賛同できなかったら、こんなに生き辛い国はない。そういう人間を世間は本当に放ってはおかない。(P327)

「それわたし!」と叫びそうになった。
ただこの一文→”そういう人間を世間は本当に放ってはおかない。”
これはどうなんだろ。むしろ世間から放っておかれて忘れ去られるのではないかと、わたしは思ってしまう。

「空気を読めばいいのか、個性が大事なのか、どっちなんだよ。」(P327)

悩んで苦しんでやめたくなったり、どうしてこんなことしてるんだろと考えたり、いろんなことを考えた。
でもそれが欠点だけど繊細で、HSPのいいところ。

自らの欠点にずっと生き辛い思いをさせられてきた。だから、苦しみから逃れようと寄り道をたくさんした。その寄り道の先で”血の通った関係や、勝ち負けが届かない次元にある仕事や趣味”に出会ったのだ。真っ直ぐに歩いていたら、そのどれとも出逢えなかっただろう。(P332)

「ちゃんと傷ついてきた人の顔」って表現がどこかのレビューであったような(うろ覚えでごめんなさい)ほんとうにちゃんと傷ついてきた人は、ちゃんといまを生きてる人なんだ。
寄り道かもしれないけど、だからこそ出逢うことができることが、この世界にはたくさんある。

まさか、自分の欠落に苦しんできたことが、誰かを生かすなんて思いもよらなかった。初めて自分の欠落に感謝した。(P332)

自分の欠落に感謝できますか?
自分を責めてばかりじゃないですか?

あなたのその言葉が誰かを生かしているのです。
少なくともわたしはあなたの言葉に救われて、いまここにいます。
ほんとうに感謝しかありません。

引きこもってから定期的に言いたくなる「ありがとう」です。
ほんとうに読んでくれて、そして言葉をわたしに送ってくれて、ありがとうございます。

この本を読んでいたら、ふわふわスピリチュアルな「人はだれもが存在価値があって、誰もが輝かしい存在」ってのもやっぱりありだなと、笑って言える気がしました。


▼わたしの読書日記、タレントさんの本が多いよねw


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