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「私、パパに嫉妬してたんだ。」2泊3日母娘瞑想リトリート。
2泊3日、吉田香代子先生の宿泊瞑想リトリートへ行ってきました。
もともと告知を見たときは、かよ先生に会いに行きたいなぁと思いつつ、「3日間旦那に娘を預けてまで行くほどの、集中した瞑想時間が私に必要かなぁ。。」と悩んで申し込みページをそっと閉じました。
ただでさえ最近私に対しての癇癪がひどい娘。
3日間離れたらまたまた私への癇癪がひどくなるのでは、と怖かったのが大きな理由でした。
しばらく経ったあとに、子連れで参加できるというお知らせを見てからも、3日間パパなしで過ごして癇癪の嵐になったらどうしよう。。。と母娘で過ごせる自信がなくてなかなか申し込めませんでした。
託児枠がもう最後の一枠、というタイミングになってやっと、なにかのきっかけになるかもしれないから娘と行ってみよう。と踏ん切りがつきました。
だから私は今回、瞑想をしにいくというよりは、娘と一緒に母娘で非日常的な時間を過ごしてみること、が大きな大きな目的でした。
元々我が家はパパの方がフットワークが軽いタイプで、パパと娘で遠方の友達の家に泊まりに行くことは1歳前後から何度もありました。
でも私の方はあまりそういう機会がなく、どちらかというと家に人を呼ぶタイプなので、娘と2人で泊まりにでるのは初めて。
初めての母娘お泊まりにドキドキしながら、ここ最近の娘の癇癪を思うと「多分娘はお腹のベビーにやきもちを焼いていて、ママと非日常を過ごすことをきっと必要としているに違いない。」と思って家を出発しました。
自然豊かなブラウンズフィールドでのリトリート
ブラウンズフィールドで過ごす3日間は、ちょっとの物質的な不便がありながら、自然でのんびりしていて、心豊かになる時間。
瞑想を終えて戻ってくるたびに、娘がちょっぴり成長していて驚きの連続。
いつもの癇癪もほとんどなく、うんうん良かった気分転換になったんだ、と思いながら最終3日目を迎えました。
さいごの慈悲の瞑想での気づき
3日目娘を託児のお兄さんに預けて最後の瞑想時間。
慈悲の瞑想で急に涙が止まらなくなってしまいました。
娘がベビーに嫉妬している
娘にはママと過ごす非日常が必要
そう思って参加したリトリートだったのですが、本当はそうではなかったことに、瞑想をしていて気がつきました。
私は夫に嫉妬している
私には娘と過ごす非日常が必要
本当の主語は私でした。
娘が
「パパがいいの!ママはあっちいって!」
と言うことに
ワンオペのたびに
「パパがいいのに」
と癇癪を起こして泣かれることに
娘が寝起きに大きな声で呼ぶのが
「パーーーーパーーーー!!」
であることに
私が抱きしめても泣きやまないのに、
パパに抱きしめられると娘が早々に落ち着くことに
ずっとずっと傷ついて、落ち込んで、夫に嫉妬していました。
夫は人間関係の天才。憧れてやまない尊敬できる人。
思えばそれは、結婚前から何度も繰り返してきたこと。
しょっちゅう飲みに誘ってくれる人がいる人気者であることに
毎週末のように遊びに誘ってくれる友達が何グループもいることに
結婚式に呼びたい友達が私より多いことに
何度となく夫に対して嫉妬してきました。
夫は私にとって、私とは真反対の憧れの対象。
あんな風にありたい、あんな風に言えたらいいのに、あんな風に何かをしたい。
いつもいつも、すごいなぁと尊敬すると同時に、「私にはそれができない」と比べて落ち込んでしまう比較の対象。
娘に対する言動、子育てに対する適度な割り切り、気持ちの切り替え方。
彼が自然にできることは、私がひっくり返ってもできないようなことばかりなのです。
それを心から尊敬しているし、世界中の人にに話したいと思う自慢の夫だし、一晩中でもノロケていられるくらい私は夫が大好きなのです。
でも、その裏で嫉妬して、夫に対してコンプレックスを抱えていた。
非日常を娘と過ごしたい「私だけを見て。」と思っていた私。
だから
嫉妬の対象である夫から離れて娘と過ごすことが私にとって必要だった。
娘と非日常に出ることは
「私だけを見て。」
という私から娘への願いだったんだと最終日に気がつきました。
いつもいつも夫と比べてばかりで余裕のなかった私。
「ママー!」と呼ばれても、「どうせパパが1番で私は2番なんだから」と、どこかそっぽを向きたい気持ちをいつも心のどこかに抱えていて、娘に呼ばれても甘えられても素直に応えてあげられない私がいました。
でも最終日、「ママー!」と呼ばれて、
ああこの声に応えたい。そばにいきたい。
と自然に応えられるようになっていました。
(呼ばれた理由は、食べてたおかきがなくなったからもっと出せという用件でしたが笑)
日常にもどって
リトリートから家に帰ってみたら、娘が今までものすごく私に遠慮していたのだとわかりました。
3歳なりに、私に余裕がないことを分かっていて、パパを呼び、パパに甘えていた。
そんなこと、ことばでなんかうまく言えないから、私に対して癇癪を起こすことでしか伝えられなかった。
余裕を取り戻して帰ってきたら、娘はいつになく私に抱きつき、なんでもない瞬間に「ママだいすきなのよー」とキスをしてくれました。
何度も。
夫に嫉妬していること
その嫉妬の表れとして娘にどこかきつく当たっていること
本当はきっとわかっていたけれど、「ひと一人の親でありながら、32にもなって私はなんて子供じみたことを」とずっと否定し続けて受け入れていなかった。
瞑想を通して、ひとの親になろうが何歳になろうが、私はひとりの人間であって、嫉妬や怒り、悲しみ、幼い感情もそこには必ずあっていいんだと受け入れることができました。
まだまだこれから何度だって、こうして感情に振り回され、見失い、迷路にはまることがあるだろうけれど、元通りに戻れる方法があること、元通りに戻れるのだと知れたことが、瞑想と出会っての大きな収穫だったようにおもいます。
またいつもの平凡で愛おしい毎日を、大好きな娘と夫と穏やかに過ごしていこうと思います。
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