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出逢いと学び、そして繋がり~2020年を振り返って~

こんにちは。音楽家の鈴木未知子です。

あなたにとって2020年はどんな年になる予定でしたか?
あなたにとって2020年はどんな年になりましたか?
全世界が未知のウィルスと闘った一年。
音楽業界も大打撃で、様々なことが変化した一年でした。

今年は演奏活動はほとんどキャンセルになり、家からあまり出れない日々が多い一年でした。
でもそんな中『出逢い』や『再会』が多い一年でした。
そして『学び』が非常に多く、兼ねてからいつか学びたいと思っていたことをどんどん学び、どんどん『スタート』させていく年になりました。

なにより、母の病気を通して<どんな時も自分の人生を生きる>ことを学び、そしてトルコに行くはずだった秋からの日々を東京に残って暮らすこととなり、<暮らしと音楽の可能性>や<街とアートの融合>など、日々大切に暮らす街とのかかわりの中で見えてきたことがたくさんありました。

自分が思い描いていた一年とは違ったけれども、
ここ数年の大きな変化があったからこそ、乗り越えられた一年だったかもしれません。

多くの出逢い、そして多くの方の応援と支援を頂きまして、音楽家として生きれた2020年を感謝します。本当にありがとうございました。
せっかくなので、1年を振り返ってみたいと思います。

「トルコへ学びへ行く」
長年の夢を叶えるための1年の始まり

今年の演奏はじめはマリンバのソロコンサートから。
新年会の余興として、コンサート。バッハやオペラ名曲から昭和のうたまで。実家のある船橋でのマリンバ未知子活動。
お客様と近い距離で楽しめるコンサート。オリンピックイヤーをお祝いして、最後は「世界の国からこんにちは」をお客様と一緒に歌いました。

「わたし、秋からトルコに勉強しに行きます。」
長年の夢を果たすべく、様々なことを乗り越えてきた2019年。2020年は奨学金が通っても通らなくても、何としてでも行こうと決めていました。

世界への夢をキラキラとさせて、ワクワクとした2020年の幕開け。
それがすべて覆る世界になるとは夢には思わず。

母校での演奏「自分の果たすべき役割を思う」

母校、洗足学園音楽大学時代、私が中東音楽に出逢うきっかけとなった、クリストファー・ハーディー先生のワールドミュージックゼミのコンサートに、ゲスト出演。卒業以来、初めての母校での演奏でした。

クラシックのみならず、ジャズ、ロック、ポップス…様々な音楽を専門的に学ぶ学生さんたちが一緒に作り上げる音楽は、クリス先生のカラーもあり、自由な発想で音楽に取り組み、演奏技術も高く、まとまりのある演奏ばかり。私自身もとても気の引き締まる演奏機会となりました。

カーヌーンで先生とのデュオから、FJの中東音楽を中心に様々なジャンルと融合してアレンジしたメドレー、そしてトルコ古典音楽をマリンバカルテットとカーヌーンのコンチェルト風にアレンジさせて頂いて演奏したり。

将来の音楽家としての人生に悩む学生さんたちに近い存在として、何か影響を与えることが出来たなら嬉しいです。
クラシック、ワールドミュージック、30代の音楽家として、夢に希望に輝かしい若い学生さんと演奏しながら、自分の果たすべき役割についてとても強く感じた夜でした。

母の入院「どんな時も自分の人生を生きる」

2月連休中の沖縄のフェス。中国、イタリアを中心にコロナが広がる中、香港からの沖縄入りの予定が中止に。行く直前の大使館の仕事も前日にキャンセル。どこか「この旅が終わったら、こんな生活はしばらく出来なくなる」
と感じていました。楽しかった沖縄の旅。羽田空港を降りるとやまないキャンセルのメール。ああ、仕事が無くなった。どうやって生きていけば。

そんな3月の頭、いつものように実家の教室でレッスンをしていた私に電話がかかってくる。
「お母さん、大きな病院での検査が必要です。明日仕事ありますか?」
町のお医者さんからの電話だった。無口で有名なのに、すごく心配そうに電話してくださった。とにかく朝一に病院に行って、検査検査検査。
結局入院して、詳しく検査することに。そのまま1か月入院。
まだ60歳になったばかりの母。まだまだ元気だと思っていたのに、降りかかる「介護」。東京の家を引き払うことも主治医に進められたけれども、母のことも心配だけど、自分は自分の生活があって、母は入院しても変わらずマイペース。祖母が亡くなってから私に頼ってきて苦しかったのに、ようやくいい距離感になったのに。「どんな時も自分の人生を生きる」と決めたことによって、大きく秋から自分の生活が動いていくことになりました。
人生って決断の連続。どんな時も、自分が自分らしい選択をしたいと気づいた時でした。

介護のために親戚や友人に手伝っていただき、実家をものすごい勢いで片づけました。結果とても薬が効き、今は介護は必要ないくらい元気になりましたが、親の介護について大切なことは「自分の生活を変えることはしない、親の介護は親のお金で」でした。これは非常に重要な事で「自分がやればいい」と思ってしまいがちですが、それをするのはかなり苦しくなります。病気の種類や軽度、重度にもよると思いますが、民間でもサービスもあるし、節約しようと思えば自分や親が我慢しなくても出来るやり方はたくさんあります。もし、急な介護で「自分がどうにかしなきゃ」と思ってしまう、ひとり親一人っ子の方がいたら、「慌てないで」と伝えたいです。

緊急事態宣言「前を向く仲間たちとの繋がり」

母の退院と同じタイミングで、世の中は緊急事態宣言でした。
退院したばかりの母はまだ一人で出来ることも少なかったし、東京での仕事は全キャンセルになったので、ひとまず実家にいることにしました。
大好きな私の東京の部屋。商店街。戻れないまま。

緊急事態宣言の夜。ふと弾きたくなって弾いた「小さな祈り」。
それをFacebookに載せたところ、友人たちがその続きを繋げて下さり、世界中へと広がりました。多くの人に繋いだ平和への祈りによって、私は多くのマリンバ奏者に出逢い、再会し、改めてマリンバの美しさと可能性を感じました。

そして国立音大の院時代の友人、鴇田くんの誘いで、河野さん、井口くんというとっても前向きで、素晴らしい音楽家4人と一緒に『どうする音大生』というトークイベントを開きました。混迷するステイホームの中、毎週未来の音楽家を目指す人に、今まさに音楽家として働いている人に向けたたくさんの議題、みなさんとのディスカッション。たくさんの刺激になりました。
落ち込んでいる暇がないくらい、ワクワクする時間を過ごせました。

そしてかねてからやりたいと思っていた、中東音楽ポータルサイト「MEMOS-J」を立ち上げ、まずプレイベントとして、インスタライブを始めました。海外に住む音楽家さんをゲストにトークイベント。ソリストとしての活動が多い私ですが、サポートする側も好きな私。
ゲストさんのご協力を頂き良いスタートを切ることが出来ました。

その他、同世代の音楽教室経営の方のイベント参加や、音楽家や他業種の方とのトークライブや、YouTube番組にゲスト出演させて頂いたり、以前からやっていたshowroomでのライブ、バースデーライブをフェイスブックで開催したり、レッスンや発表会をオンラインで開催しました。

これまで出逢ってきた方や、やってきたことを、より深く、より違った視点で、前向きにそしてスピード感のあるステイホーム期間でした。

学びの年「世界の何処にいても働ける環境作り」

もともとトルコに行く準備として、上智大学の大学院研究生として半期学ぶことは決まっていました。そしてトルコ語。
でも、院が始まる5月終わり時点で、「しばらくトルコには行けない」と気づき、それよりも行ったときに少しでも多くのことを学べる基礎力をつけていきたいと考えるようになりました。なので、トルコに限らず、中東音楽にかかわる知識を広く浅く、そして音楽にかかわらず、自分が生きていくための様々な事について本当にたくさん学びました。

大学院研究生(スーフィズム、トルコ史、アラブ史、ペルシャ史・中東音楽全般)
トルコ語(文法・オスマン史翻訳)
アラビア語(フスハー読み)
英語(コーチング英会話)
ABCash(お金の勉強)
Shelikes(ライティング・デザイン・マーケなどキャリア全般スクール)
オスマントルコ史

それは、日々切り崩していく貯金がただただ生活費に消えていくのが辛かったからです。アルバイトをするにも母の状態を考えると難しいし、他の仕事をするより今までの経験を生かして音楽を使って働きたい、貯金を使うなら将来のために使いたい。そう思ったからです。すっごく怖かったけど、はじめてみると助成金が聞いて何割か補助して頂けたり、パソコンを譲って頂いたり、当初の予定よりかなりお得に学べることになりました。
シーのコーチングや、お金や院での個人レッスン、大先生によるオスマンのお話、語学を通して感じる世界。ほぼほぼ実家の千葉と、目黒の家から出ていませんが、学びを通して多くの刺激と出逢いがありました。
人生は選択の連続です。「決めたら動く。」いつもそう感じます。

東京に残った意味を知る「AYの制作」

母の病気も良くなり、緊急事態宣言も解除されて、東京に戻ったとき、あたたかな小さく大好きな街はそのままでした。
パン屋さんのおばあちゃんに勧められてふと店先で演奏し始めたことがきっかけとなり、毎週末の定例イベントなった商店街での路上ライブ。
多くの人にマリンバやカーヌーンを知ってもらうだけでなく、様々な出逢いの中で、私の活動範囲も広がりました。

カーヌーンでのポピュラー音楽のレパートリー増
卓上木琴の演奏レパートリー増
ミニマリンバでの演奏レパートリー増
街で「木琴のお姉さん」と呼ばれること
街に暮らすアーティストさんとの出逢いやコラボ
街を舞台にしたMVビデオの制作
初めての宅録・自分で編集
街をテーマとしたMVの上映会とトークショー
初めてのPA

https://note.com/marimbamichiko/n/n7073e8f63d88

恐らく多くの音楽家さんがそうだったように、とにかく機材を触った年でした。機会音痴ながら、自分でレコーディング、編集、イベントも自分でマイクのセッティング。演奏よりも機材を操作することのほうが緊張疲れをしてしまうほどでしたが、来年はより積極的に機材を使っていきたいと思っています。

また、今回のMVは私の作った曲を使って映像を制作してもらいましたが、2021年の新作では映像が出来てから音楽を作曲します。これも新たな挑戦です!

また、多くのチャンスを頂き、YouTubeに私の演奏を公のサイトに載せて頂きました。これまでもそうだったように、ネット上の情報は数年たって生きてくるので、この活動が効いてくる日が楽しみです。

目黒区アーティスト支援事業

「小さな祈りれー」

https://youtu.be/t_Q4kYxfzpI

アートにエールを
フェイマスジャパニーズ

オールオンラインの可能性「MEMOS_J」

中東音楽をより気軽に楽しむために企画した、オールオンライン完結のオンラインサロン「MEMOS-J」。
noteでサロンを運営し、講座ごとに先生をお呼びして、わかりやすく楽しく、専門的な講座の入り口に気軽に触れられるイベントを企画しています。
サロンメンバーにはより深い学びの時間も作り、参加者のみなさまと楽しく活動しています。私自身が始めるとき「こんなサイトがあったら」と思って始めたこともあり自信があったのですが、なんとかみなさまのおかげで順調に回り始めました。
来年はインスタライブの再開や、ホームページの制作など、より分かりやすい「中東音楽ポータルサイト」としての役割を果たしていきたいと思っています。コロナ禍の間に基礎を築きつつ、細く長く、続けていきたいプロジェクトです。

リアルに会えなくてもそれぞれの形で「オンライン発表会」

6月に開催予定だったウードの加藤吉樹さんとの名古屋での合同発表会をオンラインで開催。12月の未知子音楽教室恒例のクリスマス会もオンラインとオフラインの併用で開催しました。
船橋教室だけでなく、東京・名古屋・大阪と各クラスのマリンバとカーヌーンの生徒さんの演奏を互いに聞き合うことが出来て、この時代で無いともしかしたら出逢うことが無かった生徒さんもいたと思うと考え深いです。

ジャンルや、年齢や、目的もレベルも違う皆さん。互いに色んな演奏や楽器との距離を聞くことが出来て、刺激になったようです。

新しい時代へ「具体的な目標よりも、今出来ることに身を任せる」

私は毎年9月に大きな神社に行って、来年の目標を具体的に決めてそのための準備に10月~12月を使います。
でも今年は具体的な目標を持つことを辞めようと思いました。コロナは昨日までの常識を覆すことを繰り返してきました。これは来年も、もしかしたら再来年も変わらない気がします。なので、今できることを大切にしていきたいと感じています。

学びを深めたところで、秋に急に仕事が忙しくなったとき、体力的にも精神的にも仕事以外のことを考える余裕がなくなってしまいました。
授業にも復習も予習も出来ず、トルコ語はまた休んでしまって悔しい想いをしたのですが、同時に社会人になって9年。何度も「もっと学ぶ時間があったのではないか」と思っていたけど、私には無理だったという事実を受け入れることが出来ました。何かを始める度、仕事が忙しくなって出来なくなってしまった自分を責めて落ち込んでしまったりしていました。
でも落ち着いたら何事もなかったの用にまた粛々と始めればいいという単純なことに気づきました。

ここ数年大きく変化し、たくさん手放してきましたが、今年もたくさん変化しました。祖父母の想い出の品を思い切って手放し、母の病気と向き合い、自分の音楽や自分が音楽と掛け算出来るものをたくさん見つけ、学び、育ててきました。たくさん嫌な自分を見ました。その度に、前向きで明るい友人や、広い視野を持った人との出逢い、再会、仲間、音楽が広がりました。

そして「多様性」について学んだ日々でした。自分が見ていた世界がどれだけ小さい世界だったのかと毎年感じていましたが、大好きなアベマのアベプラの討論や特集はかなり勉強になり、社会的なイベントにも実は多く参加しました。

私にとって今は音楽が一番大切なので今以上学びに行くことは叶いませんが、音楽以外の刺激や、尊敬できる人に出逢えたのも、たくさん時間があったからこそな気がします。

先日、来年出版予定のエッセイ集の写真撮影のため、東京の友人と千葉の海や想い出の地を巡りました。
離れてみて見る生まれ育った場所の景色はまた違って見えて、東京に引っ越して2年。随分と自分が見える景色や感覚が変わったことに気づきました。

34歳、良い歳の取り方を出来ている気がします。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

2020年たくさんお世話になりました。たくさんの愛をありがとうございました。どなたにとっても変革の年だったと思います。苦労した分、次の時代はより強く、そして楽しく生きれると思っています。私もとっても頑張りました☆本当に本当にお疲れさまでした。

来年のことはまた来年。どうぞ良い年をお迎えください。
2021年、皆様にとって良い年になりますように☆

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鈴木未知子|音楽家
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