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映画「長崎の郵便配達」の公開直前に『ナガサキの郵便配達』を読み終えた

書籍『ナガサキの郵便配達』との出会い

数年前にある年上の友人から、「あなたに読んでほしい」と、1冊の素敵な装丁のハードカバーの本をいただいた。彼女の古い友人である編集者が、心を込めて作った本なのだという。『ナガサキの郵便配達』(2018)。どうやら原爆に関係する話らしい。

実はちょうどその頃、私の長崎への関心が急速に高まっていた。ただしそれは原爆に関してというわけではなく、宗教弾圧と潜伏キリシタン、「信徒発見」などのキリスト教に関する歴史と、当地出身の英国人ノーベル賞(2017)作家カズオ・イシグロへの関心だった。2018年の春先にごく短い旅で訪れた長崎では、もちろん原爆資料館と平和記念公園にも行ったのだけれど、ちょうど開催中だった幻想的な春節行事「ランタン・フェスティバル」やカズオ・イシグロの本や大浦天主堂・西坂二十六聖人記念館等の方が深い印象を残した。長崎という町は、あまりに多くのテーマが混在している。

その旅をきっかけにイシグロ作品にのめり込んでいた私は、そういうわけで、申し訳ないと思いつつも、せっかくいただいた美しいその本を、他の「積読本」の山に加えてしまった

それが、4年を経た今年の春になって、何かでこの映画『長崎の郵便配達』の宣伝を見て、あっ、と思い出した。未読のまま放置していたあの美しい本。読むなら、今しかないではないか!と。長崎原爆忌直前の8月5日に映画が公開されるというから、まずは本を読んでから、ぜひ観に行こうと決めた。

まず開いた「あとがきに代えて」には、原作『The Postman of Nagasaki』が書かれた1984年の直後、フランス語版を底本に翻訳された日本語訳が翌年の1985年に早川書房から発行されたのだけれど、内容が少々異なっていたため、このたび、英語原書をもとに完全版として訳し直したという経緯が書いてあった。それは、他ならぬこの本の主人公で核廃絶運動家であった谷口氏の切なる願いであったという。本の完成が、2017年の谷口氏の逝去に間に合わなかったことへの悔しさも、この文章は素直に滲ませている。

ピーター・タウンゼンドとタニグチ・スミテル

読み始めてみると、なかなか不思議な本だった。原爆投下当時に16歳の郵便配達員だった谷口稜曄(すみてる)さんを主人公に、その幼い時のことから綴っているのだけれど、彼の日常と後の被爆体験の物語に、唐突に、まずは長崎という町の歴史から、日本の軍部や天皇・政府等中枢の動き、太平洋戦争が辿った経緯、そして連合軍やアメリカ、とりわけ原爆開発から投下へのの動きなどが織り交ぜられる。どちらかだけではなく、マクロとミクロの視点が混在することで、一人の人間の人生は、歴史と分かちがたく結びついているということを、読者はあらためて突き付けられる。

作者のタウンゼンド氏は元英国空軍のパイロットで、後にジャーナリストとなって長崎を訪れ、被爆者たちと出会う。その中でも谷口さんに最も深く取材をし、彼を中心に物語を紡いでいく。訳書で谷口さんの名前は「スミテル」と片仮名で表現される。おそらく訳者は、漢字だと「さん」付けをせずに呼び捨てすることに違和感があったのだろう。でも「さん」をつけてしまうと、まるで小説のようなストーリーテリングの趣が損なわれる。だから片仮名にして呼び捨てにしたのだろう。あくまで私の想像だが、原文が英語だからという以上の理由が、ここにはあるように思える。

被爆者の苦悩を描くということ

原爆のことを、私も一応は知っている。広島でも長崎でも原爆資料館に行ったことがあるし、なんなら昔、原爆を落とした側の米国軍人の手記を翻訳したこともある。アニメ「この世界の片隅に」をはじめ、いくつかの映像作品を見たこともある。でも、この『ナガサキの郵便配達』を読んで、初めて本当の意味での被爆者の思いを理解できたような気がしている。

はっきり言って、苦しいことを「苦しい」と表現するのは、小説の作法としてはあまり出来のよいものではない。だが、スミテルの痛みと苦しみは、その言葉以外のもってまわった表現を探している余裕などない。スミテルはあの日、命だけは助かったものの、背中に大やけどを負った。だから起き上がれるようになるまで、そして仰向けに寝られるようになるまでに何年もかかったし、生涯何度も手術を繰り返した。痛みが辛すぎて、何度も死にたいと願い、口にした。それほどまでの苦しみが、ただ真面目に生きて来ただけの16歳の少年の人生に、いきなり降りかかったのだ。理不尽以外の何物でもない。ただし、それは現実だ。

スミテルの苦悩は身体的苦痛にとどまらなかった。年頃になっても、誰も結婚しようとしてくれない、そのことがもたらす苦しみは、想像するしかない。被爆者は戦争の犠牲になっただけでなく、そのせいで差別や誹謗中傷の的となった。あからさまではなくとも、被爆の遺伝という根拠なき(でも容易に受け入れられてしまう)理由で、人々は被爆者を遠ざける。福島の原発事故の被害者たちを今なお苦しめているものと同じだ。外から見れば理不尽な!と怒ることはできる。でも、当時のあの地で、私だったら、真の意味で差別意識を持たずに接することができただろうか。とてもやるせない問いだ。

父の足跡を辿る、映画「長崎の郵便配達」

就寝前の数分間ずつ、亀の歩みのような速度で数カ月かかってしまったけれど、数日前に本を読み終えた。映画の公開はもう目前だ。映画はこの本の直接的な映画化ではなく、著者タウンゼンドの娘イザベルが長崎を訪れて、父やスミテルに縁ある人々を訪ねるという話のようだ。

1年半前、谷口さんら被爆者の願いであった核兵器禁止条約が発効したという喜ばしい出来事があった一方で、今年、ロシアがウクライナに戦争をしかけ、核兵器使用の危機が再び現実の脅威となりつつある。この時期に、長崎のことを考える映画が公開される意味は大きいと思う。

イザベルさんが長崎を訪れ、谷口さんの子孫にも会うという。前段では困難があったと記したが、スミテルは結局結婚し、子どもにも恵まれた。その経緯もとても感動的なので、ぜひ書籍を読んでみてほしい。

冒頭の私の友人の友人である、この訳書の発行人・齋藤芳広氏は、「あとがきに代えて」の最後にこう記している。

私たちは、本書がこれからも版を重ね続け、「平和の教科書」として一人でも多く人々に読み継がれるよう、永遠の出版を目標として、皆様のお力添えとご寄付に支えられ発行し続けて参ります。この書籍が世界中の人々に広く読まれて行くことで、核兵器の廃絶と恒久平和に少しでも役立つことを願っています。

『ナガサキの郵便配達』p.251

美しいこの本の裏には、小さく「定価809円(税別)」とある。一見、めずらしい端数の値段だな、と思ったけれど、もちろんそれは「8.9」という長崎原爆忌を覚える数字なのであり、しかも10%の税込みでは890円になる。ケース付きのハードカバーでこの値段は出版社には実現しにくいのではないかと思うが、やはり、ここにはクラウドファンディングや寄付という形で多くの方の思いが込められていた。(ちなみに今はアマゾンで買うと1380円になっている。)

谷口スミテルさんやその遺族、多くの被爆者や核廃絶運動の方々、著者のピーター・タウンゼンドさん、娘のイザベルさん、映画の監督である川瀬美香さん、編集者の齋藤さん、そして私にこの本をくれた友人――。多くの方の平和への思いが、この貴重な本と映画に詰まっている。77年目を迎える長崎原爆忌。これを機に、たくさんの人が核兵器の真実の姿を知ることができたら、と願う。

あまりに多くのテーマを擁する長崎。まだまだ知りたいことはあるし、まだまだ行ってみたい場所がある。またいつか行ける日がくると信じて、まずは映画館のスクリーンでその風景を見に行くのを楽しみにしている。


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