手書き性と時の空気について『津軽』から考える
年末の図書館で、タイトルが見えないように紙に包まれた2冊の本が借りられるという企画があった。司書さんたちによって選書された、紙袋に入れられた2冊にはそれぞれキーワードとなる単語が書かれていた。
自分の脳みそからのフィルター無しで手元に来る本は面白い。
もちろん、その中には、これはやっぱりなんだか読みづらいなと思うものもあるけれど、意外にも出会えて良かったと思うことの方が多いように感じる。自分1人では探しきれなかっただろうものばかりだ。
その年末の企画で出会った本の中に、太宰治の『津軽』があった。
津軽は、多くの人が知るように、現在の青森県にある地域の名前だ。元々は江戸時代に津軽氏が支配していた地域というのが現在津軽と呼ばれることになる場所を指しているようなのだが、かつてたった6年だけだけれども青森県に住んでいたことがある身としては、津軽は決して遠く北の果ての知らない場所というわけではない。
とは言っても私が実際に住んでいたのは青森県の八戸市という場所で、ここは津軽ではなく、南部というエリアになる。青森県が未知の世界という人たちにとっては、津軽だろうが南部だろうが同じじゃないのかと感じると思うのだが、暮らしてみた私の感想で言えば、津軽と南部は全く違うエリアである。人の雰囲気も、街の感じも違う。気候も同じ冬の寒さでも種類が違う。例えば乱暴に言えば津軽は雪深く、南部は氷に覆われる場所である。寒いには違いないのだが、暮らしの中の寒さという点では大きな違いを感じるのだ。
元々私は秋田県秋田市出身、祖父母の家は青森寄りの白神産地の近くだったため、気候は津軽に似ているような場所が馴染みがある。冬の空は灰色で、雪が降ると少し温かく感じる。太平洋側の八戸市は冬は肌が切れそうなくらいの痛い暴風が吹き続け、それでも空は真っ青で、歩く道は昼間に溶けた氷が再凍結された凸凹道になり朝から捻挫しかけながら通学するのが冬の常だった。
あえて太宰治を避けて読書してきたわけでもないのだが、絶対に読まなければという切迫感もなく過ごしてきたため、『津軽』はこれまで読もうと意識したことがなかった本だったのだが、年末の図書館企画により読む縁ができた。この本は太宰治が、津軽について何か書きませんかと依頼を受けたことから自分の出身地である津軽を旅してみようと思い、ゆかりのある土地を中心に、知人を訪ねながら旅をするという話である。ずいぶん昔の話が書かれているのに「そうそう、青森(東北の北側)ってこういうの、あるある」と懐かしいような気持ちにさせられる部分も多く驚いた。
さらに驚いたのは、読書の記録を書いていた時である。
図書館で借りた本は、いずれ返却しなければならないので、読み終えてからしばらくして、あの本で書かれていたあの話はどんなだったかしらと見直したいと思った時に、実際の本をすぐめくることができない。それもあって、私は以前しばらく読書ノートを書いていた。本のタイトルや著者など奥付けにある情報に加えて、本の中から気になった部分を数行ずつ書き写しているだけのノートだ。特に感想などはそこには書き込んでおらず、淡々と読んだ本の情報だけが手書きされている。
その読書ノートに、いつものように太宰治の『津軽』を読み終えてから、ポツポツと気になったシーンなどを書き写していた。すると、これまで書き写してきた他の本にある文章との、圧倒的な違いを感じたのである。
太宰治の『津軽』の文章は、手書きをしやすい。手書きの文章として完成されたリズムが埋め込まれている。当然のことながら『津軽』が完成した頃はPCもタブレットもスマホもなく、原稿は手書きが当たり前の時代。太宰治の文章を書き写していると、漢字とひらがな、句読点のリズムの全てが、身体的にスムーズに流れていくのを痛感する。
「ああ、これは、人間が手で書いた日本語の文章なんだな」と書き写す自分の手が感じているのがわかる。
手書きだから良い文章、キーボード書きだからなんか違う、と言うことではなく、文章がその道具によって影響を受けざるを得ないのだという事実を、確認することになってしまった、と言う話だ。あらゆる芸術が、その道具によって影響を受けることは避けられないのだろう。絵画もアクリル絵の具の出現、チューブ入りの絵の具の開発で、大きく変わったと言われている。デジタルの表現が簡単になった今はAIも絵を作れるし、そのAIアートの蔓延によってこれはAIアートだなと出現当時は目新しかったはずなのに既にAIアートを退屈で見慣れてきたと思い始める感覚も現れ、どれが良いだとか悪いだとかではなく、表現はどんどん道具と共に変化していっている。
この環境の中で仮に私たちが今、手書きと原稿用紙の文章に戻ったとしても、おそらく戦前戦後の手書き文章のリズムにはならないのだろう。書き手も読み手も社会も変化している。
しかしそれにしても、どこもかしこも世界中の均一化が進み、アジアはちょっと大きな街ならどこにいってもコンビニエンスストアがあって、世界の人が多そうなところにはマクドナルドやスターバックスが大体あって、郊外は郊外で似たような大型スーパーが名前こそ違うだけで内容は同じような感じで店内の作りまで似たようなものでドカンドカンと建造されていて、はてこれはどこへ行ったらオリジナルで興味深いものが見つかるのだろうかと思うのだけれど、調べてみれば津軽ならまだ、そんなユニークな何かが残っているかもしれないという気持ちになってきた。
私が場所を調べる方法は、主にインスタグラムなのだが、ハッシュタグ検索から連想ゲームのようにして調べを進めていく手法をとっている。津軽について言えば、まとまった観光を促進したいようなサイトもあるにはあるし、それはそれで綺麗にまとまっているのだが、この観光を促進したい人たちはこんなふうに見せたいんだなという強い信念が伝わるものが多く、完成されたウェブサイトでは、なかなか私が知りたい空気感というのは掴むことができない。なので、一般の人がオンライン上にアップしている一見映えない感じの写真やそれにつけられたコメントが、私が求めているものを探し当てるのにとても役に立っていることが多い。
『津軽』の中に木造駅という駅が出てくる。これは「キヅクリエキ」と読む駅名なのだが、私はすんなり読めたもののおそらく初めてこの駅名を目にする人は「モクゾウ駅」と読むだろう。実は「キヅクリ」と「モクゾウ」については太宰治もこの本の中で触れているので、気になる方はぜひ読んでみてほしいのだが、この木造駅をハッシュタグ検索していくと、駅周辺の様子が面白い。遮光器土偶という歴史の教科書で一度は見たことがあるであろう、かの有名な土偶が駅にババンとディスプレイされている。ディスプレイというか、もはや土偶が駅である。土偶に入りながら駅舎に行く。そして多くの観光情報では、周囲の道や電線も映り込まないように工夫してそれはそれはこの遮光器土偶の駅だけを綺麗に切り取って提示しているのだけれど、私が必要としているのは、周辺も写り込んでしまっている様子なのだ。道の遠くからこの駅を移した写真などは観光情報サイトでは見つけることができない。他にもなんの観光地でもない普通の道の様子も、その時の雰囲気を掴むのに役立つ情報であり、見れば見るほど、木造周辺などは、観光に蹂躙されていない魅力に触れられる貴重な場所なのだろうなと想像する。昨今コロナが終わった途端に世界中に旅立つ人が増えすぎてオーバーツーリズムが問題として取り上げられているが、私たちが今暮らしているすぐ近くの鎌倉にも似たような現象が起きつつある。もちろん鎌倉は昔から観光地だったし、修学旅行先に選ばれやすい場所で、そういう私もかつて初めて鎌倉に来たのは中学生の修学旅行の時だった。まさかそこが生活エリアになってスーパーに買い出しになんて言いながら歩く場所になろうとは、当時全く想像もつかなかったのだけれど。時々買い物に行っている店の前も郵便局の前も、絶対に中学生の私が通っているはずで、なんだったら未来に住むことになる家も視界に入っていたかもしれない。人生何があるかわからないものである。しかし鎌倉は古い建物がどんどん壊されて、新しくピカピカな白いビルが建造され、そこには東京にもあり、なんだったら太宰府天満宮エリアとか京都とかにも出店しているような古都っぽさを作り込んだチェーン店が地名シールだけ変えて出店しているような店がたくさん並ぶようになっていて、それは日々どんどん加速している。駅は昔のサイズのまま変えられないけれど人はどんどん増え、通りも昔の幅のままこれ以上広げられないけれど歩く人もどんどん増え、とにかくパツパツである。街がパツパツになると地価が上がって不動産価格が高騰して、成立できる商売もしっかりがっちり儲け続けられるものじゃなければ生き残れない。もしくはどこかに母体となる資本がしっかりあるなど、兎にも角にも、できる商売とできない商売が決まってくることになる。故にこの街の変化は当然の結末なのかもしれないし、日本中、世界中、どこにでも同じような「ジェントリフィケーション」という名の波が襲ってくる可能性がある。木造駅周辺も、何かのきっかけで「映え!」と思われて、一瞬にして変化していく可能性もある。どこもかしこも、どんな辺境でもインターネットで瞬時に発見される時代。交通の便が悪かったはずのところは、目をつけられ次第なんらかの方法で便利になる。「こんな僻地ならばオーバーツーリズムに絶対にならない」とは誰にも言い切れないのが現代なのだろう。
タイのバンコクに、ソンワットという地域がある。ここは地元の人たちが静かに暮らしながら魅力的な商売をしていたようなエリアなのだが、そのすぐ近くのヤワラートというエリアからソンワットエリアにかけて、数年前からタイ人経営の可愛いカフェなどがちらほら出来始め、コロナが終わったらさらに急速に情報がシェアされ、今やなんら珍しい地域でもなくなったそうだ。先月タイに行ってきた夫の報告によれば、もはやソンワットからヤワラートのエリアは観光の欧米人だらけで、丁寧に入れられたコーヒーを飲みながら一息つけるような場所じゃなくなってしまった、とのことだった。私が行った2年前も、夫が前々回に行った1年前も、まだこのエリアは落ち着きがあったはずだ。こうやって、あっという間に、地域が変わっていくのである。ソンワット、もはや観光激戦区に変貌しつつあり、新しいカフェもどんどん増えているという。そういう賑やかさを求めている人にとっては面白くなってきた地域と言えるかもしれないが、私たちがのんびりしにいく場所は、どうやら他にまた探しに行かなくてはならなくなったようである。
本州の北の端である青森に、ソンワットのようなことが起きるには、少し時間がかかるのかもしれないし、理由が必要かもしれないのだが、それでも絶対に今のまま変わらないとは言い切れない。だからこそ、いいなと思う場所には、早めに行っておかなければならないのだろうと思う。永遠には続かない。太宰治が見た世界、その空気感が少しでも残っている可能性があるのは、今だけかもしれない。
だからと言って、全ての変化を悪者にしたいわけでもない。
変化しないことは不可能であり、生きることは変化することでもある。
それでも、今日ここにしかない空気を、残してみたいと思うのは、ただの郷愁と片付けるには浅すぎるようにも思えてしまう。昔は良かったなあとぼやくのではなく、昔は昔、今は今とは思うのだけれど、もしも目の前に好きな空気があるのなら、それを何かの形で留めようと努力しなければあっという間に消えてしまうものなのだということを、受け入れて認識し、じゃあどうするのさと小さな行動をしてみるしかないのだということを、思う。
だから今日の空気がどんなだったか、今日の私がどんなだったかを、私はなんらかの形で記録してみたいと思っている気がする。