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手帳の余白、続かない手帳
私は昔は日記が苦手だったし、似たような感覚で手帳も苦手だった。それは後から見返した時に、微妙な気まずさを感じるからであり、それはつまりは概ね「良さそうな」ことを書いていたからに他ならないのだと気がついた。
例えば手帳はスケジュールだけを淡々と記入してあるものならば、数年後に開いても、何も嫌な気持ちになることはない。けれど、雑誌の手帳特集のようなものを見てからなんとなくそれを真似して「映え」そうな手帳ページを無理してやってみた場合は、もう目も当てられない。なんじゃこれは、と即座に破り捨てたくなる。自分が生み出した嘘くささに私は耐えられない。過去の自分を、今それを読んだ自分が、鼻で笑うしかない状況に心底呆れ果てる。
「手帳が続かない」という話題を2025年用の新しい手帳が発売された頃からちらほら見つける。私も似たようなことがあった身なので、そういう体験談は頷きながら読んでいる。
私の場合は、何月何日にどこどこに行く、何の展覧会のオープニングは何日の何時から、展覧会内覧会出欠返事締切日、オーディションや撮影のスケジュール、大切な友達の誕生日、図書館で借りた本の返却期限、そういった連絡事項のようなことなら、手帳に書き続けられる人だった。逆に、何か可愛いページにしようとしたり、何かの切り抜きを貼って見ようとすると、突然手帳を開くのが億劫になって続けられない原因の一つになっていたように思う。
要は、楽しいと思えないことを無理にやろうとしていたから、続かなかったのだ。手帳が続かないというのは、今まで試してみた方法が自分に合っていなかっただけかもしれない。手帳デコの達人のインスタグラムやブログ、雑誌での紹介記事などをみて憧れて、真似をしてみるものの、結局本心から自分が楽しいと思えていないから、どうしても続かない。
そうは言ってもせっかく買った手帳が何も書き込まれないページが続くと寂しいと感じるものだ。特にその「せっかく新調した手帳」がちょっと奮発して買った場合などはさらに「もったいない」という気持ちが大きくなる。
とはいえ、毎日毎日約束もないし予定もない。
手帳は白いページがどんどん増えていく。
高かったのになと思うと、手帳を見るたびに書けない自分に落ち込むようになる。
以下その年が終わるまで負のループが続く。
それって、どうなのさ、と思ったので、私はまずそもそも余白があっても気にせずにいられるような出費の範囲内に手帳予算を納めることにした。
さらに余白があっても、気にしないことを徹底した。
私はいつでも世界最高のオファーを即決で受けられるような余白を持っている。それでいいと思うことにしたら、随分と気が楽になった。
実際、成功者の本などを読んでいると予定を詰めすぎないようにしているという話を時々見かける。そうそう、ほらね、先人も言っているではないか、と自分を肯定し、手帳の余白を気にしないことにしたのだ。
収納も、紙面も、余白があると何かで埋めてしまいたくなるのが人間の性質というものらしい。よって部屋を片付けたければ収納を増やすのではなく、棚ごと捨てよ、ということであり、とにかく物が多い人の部屋を思い出すと収納グッズですでにぎゅうぎゅうなところにさらにその中にものを詰め込んで、という様子が容易に想像できる。
けれどもそこで、グッと堪え、余白を埋めたい衝動にストップをかけ、余白を余白のまま堪能できるようになれば、新しい世界に突入できるのだ。なれないうちは余白が落ち着かなく感じてしまったり、無意識に埋めたくなったりする。けれどもその度に「余白、余白が重要」と思い直し、気を引き締めて挑めば、次第に余白が心地よいものになってくる。
私は徹底した余白と、そこに最高級のものをひらりと置くような生き方をしたい。
手帳の余白をそのまま受け入れられるようになることは、その生き方のトレーニングの一環だと思うことにしている。
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