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なぜこの仕事をしてたんだっけ

昔々の、別ページで続いていたブログから読んでくださっている方がもしいらしたら大変申し訳ないのだが、以前からあの昔のブログを数ヶ月後や数年後に読み返した際に、本当に穴があったら入りたいとはこのことぞと思うような気分になっている自分がいた。
あの、全方位に気を遣い、全方位に忖度し、全方位に阿り、全方位に可もなく不可もなくな言葉しか登場しない、今なら「AIが書いたんですかね」と思ってしまうような、あの「全く問題のない全方位配慮しまくり文章」たち。器用にそれらを量産していた私が過去に存在していた。なんだったのだろう。私は一体何をしていたのだろう。

決して嘘ばかりを書いたわけではない。けれどもあれが私自身なのかと問われると、言葉に詰まるものばかりだった。求められるままの良い子を徹底的に職業としてこなし続けてきた自分がいた。別に反骨心を隠していたとか、悪ぶりたかったとか、そういうことではないのだけれど、それにしたって何か違うでしょあなたは、と過去の自分に言いたい。

私はそんな「全方位忖度AI」みたいなことをするために、仕事をしてきたのだろうか。
「そうじゃないだろう」と、去年の末くらいから自分を励ます「天の声」的自分を感じるようになってきた。

私は自分の考えを、自信を持って述べられる人でありたかった。
どこで誰に対して何を述べるのかは、しっかり考えられる人になりたいとは思っているので、ある部分はもしかしたら「忖度しているじゃないか」とも言えるかもしれない。しかし誰かを傷つけても構わないということと、自分の気持ちをしっかり持ってはっきり述べられる人になることは、違うとも思っている。
自分の主張を通すことによって、気分を害する人を世界中でゼロにすることは困難かもしれない。いろいろな文化的背景があり、いろいろな思想がある。その多様性こそがこの世界の魅力なのだから。
それでも、わざわざすぐに「これ言ったら暗い気持ちが広がるな」と思うことを放出したいとは思えない。もしもそれが自分の本音であったとしても、何かもっと伝えるための良い方法があるのではないかと、最後まで諦めずに探してみたいとも思う。

正直であることと誰かに元気で前向きなことを届け続けることを両立させるだなんて、綺麗事かもしれないけれど、それでもギリギリまでやってみたい。

私はどこかの誰かに、穏やかで幸せな空気を届けたくて仕事をし始めた。それは過去の自分が暗い沼の底で必死に身を守りかろうじて呼吸はしていたような時、「リアルに憧れられる人がこの世界に、今自分の目の前に具体的に現れていたらどんなにか救いになるだろうか」と思ったことがあったからだ。20代前半で鬱になって通院を続けなければならなくなった私は、当時自分が前進するための目標として掲げられる女性像を発見することができなかった。私は部屋で沈み込みながら、なんとかして希望の灯台を探そうとしていた。結局私は、投薬治療を終えるまでに時間はかかったけれど、徐々に回復する中で「いないなら、わたしが成ればいいんだ。」と思うようになり、仕事に繋がってきた。

よりたくさんの仕事を獲得し、よりたくさんのギャランティをいただき、しっかりと地に足つけてこの道で生活していくことが重要だった労働者としての私が、全てダメだったとは今はまだ言いたくない気持ちがある。それもまた、一つの必要なことだったはずだと思いたい。

でもわざわざ仕事の状況を変化させ、少しスローペースにしたのだから、この機会にちゃんと自分のことを考えて、大切なことを思い出したかった。

私は私の在り方を、何かに何処かに届けたかった。そして実はその何かや何処かは、あの過去の辛かった時期の自分自身に他ならないのだろう。

静かで穏やかで幸せな振動を拡散したい。そういう中で尊敬できる世界中の素晴らしい人たちと本質的な良い協働をしていきたい。

そのためには、何よりも自分自身の在り方が非常に重要だ。
今年は私は私の在り方を、より注意深く都度確認して、前に進みたい。

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。

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