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3.「令和の白拍子」コロナ災で思ったこと

「令和の白拍子」こと、花柳まり草(はなやぎまりくさ)こと、まりちゃんです。

前回の記事では「令和の白拍子の現在」ということで、私が普段どんな風にお仕事をしているのかを中心にお話しをさせて頂きました。

興味を持ってくださった皆様、ありがとうございます!

こちらで3本目の記事となります。わーい。

さて、今月に入ってから師匠のお稽古場も私のお稽古場も再開致しまして、徐々に日常生活が戻りつつあります。

ですが、以前だったら何ともない仕事が「異常に疲れる」という謎のステータス異常

明らかに、自粛期間の影響で「仕事許容量」が減っております。

なので、ここ最近は久しぶりに「バタンキュー」で寝ておりました。

昨日なんて、ベットに到着する前に息絶えておりました。

母曰く、「ソファーにセイウチがいた」そうです。

…ひどくないですか?

でも、そんな風に「バタンキュー」状態になるのさえ久しぶり!!!「あー、仕事してるなぁ!」と、喜びまで感じてしまう始末。

とにかく色々な意味で、コロナ、恐るべし!です。
ブルブル。

ということで。

■自粛中の生活

前回の記事でも触れましたが、この自粛期間が始まってから私は「ニート」になりました。

本当は、市川海老蔵さんや土屋太鳳さんと共演できるイベントに出演予定でした。

めっちゃ尊敬する中村獅童さんと、大好きな初音ミク様がW主演の舞台にも出演させて頂けるはずでした。

「今年は昨年以上に頑張るぞ!!!!」

…しかし、そんな誓いは完全に打ち砕かれました。

出来ることに手当たり次第挑戦致しました。

お片付もお稽古も勉強も。
普段は等閑にしがちな家事もしました。

「お、自分頑張れたな」という日はとても嬉しかったです。

ですが、毒を吐くようで申し訳ないのですが、見たくもないSNSをウッカリ見てしまい、なぜか無駄に心が折れてしまい、一日中動けない…なんて日もございました。

そんな日の万歩計は「171歩」でした(ある意味すごい)。

ささいなことで気分の起伏が激しくなりました。

それを制御出来ないことで、更に自分の無力感を感じました。

■ちっぽけに思える自分にも「語れるストーリー」がある

5月21日、お誕生日でした。

そういう訳で、悩みのどん底で迎えたお誕生日となりました。

何も成していない、何も出来ていない、実力もない、私は何者なのか自分自身でも分からない。

そんな状態のまま、年だけ重ねていく。

…お祝いできる様な気分では全くありません。

ですがそんな時に、いつも応援してくださる方とたまたまお話しする機会がありました。

ダークサイドモードの私は酷いもので、とにかく「あれもできてない」「これもできてない」「私は宝塚で回り道をしてから舞踊家になった」「まっすぐに舞踊家の道を歩んだ訳ではない。それがコンプレックスだ」とか《今更どうにも出来ないこと》についてグチグチと話し出すんです。

本当に面倒くさいやつです。

でも、そんなひどい状態の私に対して、その方はこんな風に仰ってくださいました。

「それも含めて、全てまりちゃんでしょ。まりちゃんが羨ましいと思う人がいたとして、その人の人生をまりちゃんは歩むことはできない。それと一緒で、他の人もあなたの人生を歩むことはできない。かけがえのない人生なんだからもっと大切にして、誇りを持っていいんだよ」

と。

そんな時に思ったんです。

「ドキュメンタリー映画」とかNHKの番組でも「72時間」ってあるじゃないですか。

その作品の主人公になるのって、ニュースになる様な特別な偉業をなした訳でも、有名な訳でもない、いわゆる世の中の大多数を占める「普通の人」が主人公の場合がほとんど。

視聴者である私は、その人の人生の悲喜交交に心を動かされたり、その人の「心のふかーい所」や「愛」や「誇り」が垣間見られると、感動して泣いてしまったりするのです。

他にも、ゲストが自分のこだわりや好きなことについてひたすら語る番組があります。

その方々の話を聞いているマツコ・デラックスさんと同じ様に、私もその方々のお話をとても面白いと思うし、ゲストの方の「なりふり構わない激しい愛情」に胸打たれるのです。

私は、「他人様の人生」はこんなにも感動して尊く思えるのに、どうして「自分の人生」は尊いと思えないのか。

ですので、自分の人生をドキュメンタリー映画の様に客観視してみることにしました。

もちろん、自粛生活の毎日でも。

今までは「何かちゃんとしたことをしていないと、実績がないと、成功者でないと、何かを人様に対して発信してはいけない」と思っていました。

それに、私には人に胸を張って言える様なことは何もないと思っていました。

でも「私が見てきた景色」「体験したこと」「感じたこと」は紛れもなく私自身だけの財産なんです。

サメについて熱く語ったり、死ぬほど宝塚のビデオを見ていた時期があったり、お稽古用着物の裾が破れちゃったりしたのも、私の大事な人生の一ページなんです。

私にも、我を忘れて必死に愛を語れる「愛着のあるもの」があるんです(そういうものについて語っている時は、大体「変わっているね」と言われてしまいますが!笑)。

「自分自身というより、『自分が歩んできた道』をもっと大事にしよう」

「人より優れているとか劣っているとか、そういう価値基準ではない。誰かや何かに対して、意味もなく引目を感じることはないんだ!」

至極当たり前のことなんですが、今まで気が付けなかったのですね。眼から鱗。

ちなみに、吹っ切れた末に迎えたお誕生日の様子はこちらです↓↓↓
https://www.instagram.com/p/CktWLE_v1Pz/?igsh=MWQ2am1xOGo0YXdlNw==

■誰もが発言権を持ち、手軽に繋がれる時代

コロナ中の自粛生活で出来ることが減ったと同時に、盛んになったことも増えた気がします。

特にインターネットの世界は盛り上がりましたよね。

芸能人の皆様も、SNSを駆使して発信を盛んになさっていましたし。

最近は、歌舞伎役者の方が「zoom」で対談をし、その観覧チケットを視聴者が購入するというサービスも始まった模様です。

視聴者側も、今までよりインターネットに費やす時間がたっぷりありますから、これからもこういった試みはどんどん増えていきそうですね。

ちなみに、ハイテクとは程遠い世界に生きているという一方的なイメージを持たれがちな日本舞踊家ではありますが、沢山の先生方が「YouTubeチャンネル」を開設なさったので、ぜひご覧になってみてください!かく言う私も、超絶こっそり動画をアップしてみました。(→ https://youtube.com/@marikusahanayagi?si=__cRJrWU756udkoT

他にも印象的だったのは、普段は表には出ない裏方のお仕事をなさっている方や、クリエイターの方も、決してお見せにならないご自身のスキルを惜しみなく公開されていたこと。

そして、作り手の知名度は関係なく、面白い動画であれば、瞬く間に拡散されます。

今の時代は、何かを発信したり、何かを創ってみようとすればそれを具現化できる様々なツールがあるスゴイ時代です。

代表者のみが発信するのではなく、一人一人が声を発することのできる「窓口」があるのです。

しかも、パソコン一台あれば何でもできてしまうので、171歩も歩く必要すらない。

受入れられるかどうかは別にして、私も皆さんとお話ししたり、ちっぽけな自分の「ストーリーと哲学」をお伝えする勇気が湧きましたので、こうして一歩を踏み出すことが出来ました。

今自分が持っているものの価値に気がついたら、一歩を踏み出すこと。

それさえ出来れば、生き方の可能性は自ずと広がるような気が致します。

さ、本日はこれ切り…。
是非、次回も逢いにいらしてください♪

まり草

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