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6.「令和の白拍子」 宝塚音楽学校へ〜戦いの中学生時代(前編)

「令和の白拍子」こと、花柳まり草(はなやぎまりくさ)こと、まりちゃんです。

さぁ、6本目の記事です。

余談ですが、私は数字の「3・6・9」、及びその倍数が大好きです。

日本舞踊のお稽古を始めるには「6歳の6月6日から始めると良い」という謎の言い伝えもあります。

「666」って、完全に「悪魔の数字やん」と思うのですが笑、そういうことも含めて何だか好きです。

駐車場でも、なるべくこの数字の場所に停めたりしております。

お釣りが「369円」だと、小躍りして喜びます(396円でも、963円でも!)。

「なんだか今日は良いことありそう」と何の根拠もなく思います。

ただ、この「何の根拠もなく」という感覚が、私の中ではとても重要なのです。

振り返って思うのは、この「何の根拠もなく」自分や他人を信じたり、「何の根拠もなく」確信して行動した結果が、思いも寄らない素敵な場所に自分を運んで行ってくれるということ。

ただ、そうしたいからそうする。
ただ、そう思う。

世界を小難しく解釈しないで、真っ直ぐに捉える感覚。

言葉では説明できない何か、意識下でははっきり自覚できない何かが、その根拠のなさの裏には潜んでいるなぁと思うのです。

そんな感覚をこれからも大事にしたいと思いながら、今日も根拠のない自信と共にまりちゃんは生きているのでした笑。

■「劣等受験生」だった中学1、2年生時代

さて、前回の記事でもお話しした通り、中学に入学すると同時に、宝塚にすっかり嵌ってしまった私。

家族にも「タカラジェンヌになる」と宣言し、バレエと声楽を習わせてもらえることになりました。

ですが、習い事をするにあたり条件がひとつありました。

それが「学校の勉強を、決して疎かにしてはいけない」という事でした。

その頃はダンス部に所属していたのですが、「プロになりたいのでやめます」と宣言し、退部。

その後は、学校が終わったらバレエのお稽古、学校が終わったら声楽のお稽古…というお稽古三昧の日々を送ることになりました。

もちろん、日曜日はバレエの後、声楽のお稽古へ直行です。

当時、バレエのお教室は神楽坂にありました。

「STUDIO PRIMARY」というお教室で、先生は元タカラジェンヌの朝比奈久枝先生

初めてお稽古場の見学に行った時、朝比奈先生の周りだけがキラキラ輝いているように見え、そのオーラに圧倒されてしまったことを覚えています。

ただでさえ人様とコミュニケーションを取るのが苦手な子供だったのに、緊張のあまり、口がきけなくなってしまいました。

きっと、側から見たら、超無愛想な子供だったと思います。

ちなみに、朝比奈先生のスタジオは、現在中目黒に移転されました。

お城みたいで、とってもかわいいスタジオなんですよ!

もちろん、今でも、先生とのご縁は続いております。

お声がけ頂き、宝塚受験生やジュニアクラスの皆さんに日本舞踊を教えさせて頂くこともあります。

今でも、受験生だった頃の私の「とんでもエピソード」を楽しそうにお話しして下さるのですが、それを聞くたびに「あぁ、私の門弟に自分みたいなヤツがいたら、大変だろうな。むしろ、自分みたいな生徒がいたら、私、嫌だ…」と思ってしまう様なお話しばかり。

先生には、沢山のご迷惑をおかけしたんだなぁとつくづく思います。

それにしても、なかなかの「とんでもエピソード」が沢山なので、これはまた別の機会に、ぜひ皆様にご紹介したいと思います!!お楽しみに!!!

さ、話を戻しましょう。

そんな訳で、中学一年生の時に初めて「STUDIO PRIMARY」の門を叩いたのですが、何せバレエを踊るのは生まれて初めて。

日本舞踊とは全く違うお稽古スタイルに戸惑う日々が始まりました。

私が入門した頃、高校生と中学生の受験生が沢山お稽古をしていました。

高校生の受験生は、当時の私にとってはまさに「雲の上の存在」。

お話をするのだけで、とても緊張してしまいした。しかも、信じて頂けないかも知れないのですが、私は「筋金入りの引っ込み思案」なんです。

今は後天的な訓練の賜物(多分宝塚での集団生活がだいぶ効きました)で、何とか物怖じせずに人様と話せる様になりました。

そんな訳で、お姉様たちに自分から話しかけられる筈もなく、お稽古場にも当然馴染めず、めちゃくちゃ浮いておりました。

バレエを踊るのも初めてです。

レオタードを着た時は、恥ずかしくて死んじゃうかと思いました。

しかも日本舞踊をずっとお稽古していたので、足を外側に回転させる「アンデオール」が出来ない。どうしても「内股」になってしまうんです。

そらそうです。

「太ももの間に紙を挟んで、落とさず歩け!!」と言われて育ったのに、足の筋肉を外側に回さなきゃいけないなんて・・・。

ですから、一年目はお稽古に通うのが苦痛で苦痛で仕方ありませんでした

いま初めてこの事実を暴露致しますが、ズル休みをして宝塚を観に行ったりしておりました(あぁぁぁぁ、ついに言ってしまった!先生、申し訳ございませんでした!!!)。

「何事もはじめから上手くいく訳がない、しかも自分で言い出したことなんだから何とか頑張ろう…」と、テンションだだ下がりの自分に言い聞かせつつ、お稽古に通っておりました。

中学二年生の夏頃までは、エンジンがかかりきらない「生温い状態」でお稽古に通っていた様な気がします。

でも、安心してください。

とある出来事から、私のエンジンは暴走族並みに走り出すのです。

■テストは「戦(いくさ)」

中学校生活はどうだったかと申しますと、学校から直ぐ帰ってしまうこともあり、友達は少なかった様に思います。てへぺろ。

でも、同級生との間に大きなトラブルもなく、ちゃんと仲良くしていましたよ。

ただ、あくまで「学校は勉強するところ」という認識でした。

勉強は頑張っていました。

私には「一番でないと気が済まない」という厄介な性質がありまして、「これぞ!」と思うことはめちゃくちゃ頑張る事ができました。

家族からも宝塚受験をするための条件として、成績を維持することは提示されていましたし。

私の場合、この負けず嫌いな性質がプラスに働いたこともあれば、自分で自分を傷つけてしまう、というマイナス方向に働いてしまった事もありました。

今でも思い出すと面白いなぁと思うのは、「テストは戦(いくさ)」と強く思い込んでいたことです。

全科目の教科書とノートを丸覚えする勢いでした(だから、暗記で勝負できない数学はちょっと苦手でした)。

テストの前日は、テスト範囲の全てに目を通し、睡眠時間は二時間。

テスト用紙が配られる時には

「私は大丈夫。私は大丈夫。私は勝つ。私は120点をとる。」

とブツブツ心の中で唱えていました。怖い。

確実に、目はキツネの様に釣り上がっていたと思います。

でも、この頃くらいの集中力と、やる気と、思い込む馬鹿力が欲しいなぁと思う今日この頃です。

■グリークス・ショック

そんなかんなで中学二年生になったある日、母に誘われ、とある演劇作品を観にいくことになりました。

それが、蜷川幸雄先生演出の「グリークス」です。

この作品を一言で説明するならば「上演時間9時間の、ギリシャ悲劇詰め合わせ豪華バリューセット」といったところでしょうか。

一日あたり3時間の上演を三日間…母と二人で、渋谷のシアターコクーンに通い詰めました。

こちらの作品には、麻美れい様、安寿ミラ様、久世星佳様といった、名だたる歴代の宝塚トップスターの方々が出演されていました。

そして三日目。

ラストシーンを観ながら、私は震えながら涙を流していました。

そして改めて、強く、強く、強く思ったのです。

「私は、あの光の中に立つ」

と。

それから、私のエンジンは暴走族並みに発進する事になりました。

私を突き動かした舞台はどんな舞台だったのか。
その時、私は何を感じたのか。

それについては、また次の機会に。

ということで、本日はこれ切り…。
是非、次回も逢いにいらしてください♪

まり草

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