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自他境界線はこうやって引く

私が暮らすフランス南西では、現在インフルエンザやら溶連菌やら普通の風邪やらありとあらゆる菌やウイルスが蔓延っている。特に幼稚園や学校へ通う子どもを持つ親は、あちこちで囁かれる「〜ちゃんが熱だって」「〜くんもおやすみだったらしい」という報告に、「次はうちの番か」と戦々恐々としている。

例に漏れずわが家も、先週末に3歳娘が発熱。続いて私が2日間高熱にうなされた。インフルエンザだったものと思われる。

わが家でこういう病の流行りにいち早く乗るのは夫のはずなのだが、どういうわけか今回彼は難を逃れ、珍しく起き上がることさえもできずにひーひー苦しむ私をせっせと看病してくれた。微熱を残しいつも以上に終始不機嫌、しかしそれでも「遊びたい遊びたい」と懇願する娘の相手もうまくしてくれる。

結局計3日間もベッドで寝ていることしかできなかった私は、大半の時間を朦朧としながら、病床から夫と娘のやりとりに耳を傾けていた。まだまだイヤイヤ期真っ盛りの3歳。加えてうちの娘は「我は一国のあるじだ!」と言わんばかりに気が強く、何か思い通りにことがすすまかった時の癇癪はすさまじいものがある。そんなわけで彼女と1日でも過ごすのはなかなか骨が折れるのであるが、夫はそんな彼女の気の動きにも本当に上手に対応する。私は自分に突撃してくるハリケーン(娘)に直進し、同じパワーで真っ向から出向いて戦おうとして収集がつかなくなる。一方夫は、そんなハリケーンをパタパタと大きなうちわで誘導し、ハリケーンは誘導されている間にすっかりサイズダウンしている。そんな感じである。

「何事も起こっていないように思うようにするんだよ。目の前で起こっていることは、自分に何も影響を与えないことなんだってね」

夫は娘の癇癪を見ながらこう考えるよう努めているのだという。目の前にハリケーンが渦巻いていても、「このハリケーンが直接的に自分を脅かすことはない」と考えるということである。そう、私にはこれが難しい。

娘のことに限らず、機能不全家族で育った私はもともと自他の境界線認識がぼんやりとしてしまいがちだ。他者が不機嫌な顔をすれば瞬間的に「私のせいか」と自分の粗探しを始める。他者が怒っていれば「やはり私が余計なことを言ってしまったんだ」と自分を責める。これがこと娘のこととなるとまるで境がなくなってしまい、些細なことで「私は親として、人間としてだめだと否定されている」「私の話など娘だって聞きたくないのだ」とぐじぐじモードに入ったかと思えば、自己防衛でイライラや怒りが発動してしまうことが多々ある。これについてはトラウマセラピーを受けていて少しずつよくなってきてはいるものの、30年以上自分に染みついた自己防衛の癖とあって一朝一夕でなくなるものではない。

しかし夫の言葉を聞いて思うのは、どんな人間関係の悩みも、多かれ少なかれ人は認知の癖ゆえに他者との境界線をうまくひくことができずに生じているものなのではないか。みなが夫のように「目の前で起きている事象は、直接的に自分に危害を与えることはない」とスパッと境界線を引くことができたら、それこそ他人軸で不安になることもイライラすることもぐんと減るのではないか。

ただ、実際どれほどの人が「あ、私は自他境界線が引けていないな。ひとの感情を受け取ってしまっているがゆえに怒ったり泣いたりしているな」と自覚できるだろう。それはごくほんのわずかの人々である。

なぜかといえば、私たちはそうするすべを教わってこなかったから。どうやって自分の心を守るのかだとか、中庸である方法とか、そういったすべを誰にも教えてもらうことがなかったからだ。

逆説的ではあるけれど、私は自分がこんなにも悩み苦しんできたからこそ、そしてその姿を残念ながら娘の目に晒してしまっているからこそ、娘が幼いうちからこういったことを伝えるようにしている。感情がうまくコントロールできずに娘にあたってしまった日などは、自分が落ち着いた後で「ママは今日とても眠くて、自分で悲しいの気持ちをうまくコントロールすることができなくて、あなたに八つ当たりをしてしまった、ごめんなさい。でもママがイライラしているというのは、決してあなたのせいではないの。ママの問題、ママのせい。だからあなたは、あなたがさっき泣いて大きな声をあげていたように、気持ちを表現しても大丈夫だよ。もう少し、気持ちの表現の仕方は学んでいかなければいけないけれど、それはママみたいな大人になっても同じことだね」という感じでお話をする。娘は頷き、「(娘の名前)じゃない、ママ(の問題)」と私を指さす。「そうだよ、ママの問題」私は申し訳なさに消えてしまいたいという思いに駆られながらも、彼女の言葉を繰り返す。

トラウマ断ち切り世代というのは本当に苦しい。これまでの何世代分もの思考のくせやトラウマをぶった斬ろうとしているのだから、一筋縄では行かない。少なくとも私の場合、すぐ近くに自他境界線をはっきりとつけられるパートナーがいてくれること、そして彼の姿を通して娘にその方法を示してあげられているということは大きな救いだが、私も自分が自分と戦う姿ではなく、「境界線はここよ」と体を持って示してあげられるようになりたいものだ。

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