今ある感情を、心でなく「身体」で感じてみる
喜びや興奮、楽しさ、悲しみ、怒りにイライラ、不安。こういった感情を抱く時、みなさんは身体にどのような感覚を抱くでしょうか。
これは昨年、あるセラピストさんとお話をする中で、私自身が受けた問いかけです。具体的には、「Marikoさんはイライラする時、身体のどんな部分に何を感じますか?」と質問を受けました。
私は一瞬戸惑い、少しの間黙り込んでしまいました。「イライラって身体で感じるものなの?心ではなくて?」と。
しかしそう問われて思い返してみれば、噴火するように激しくイライラしてしまう瞬間、下腹部を内側からギュッと掴まれるような感覚になることがあると気がつきました。(「噴火するように激しくイライラしてしまう瞬間」に限って思い出したのは、おそらくそれだけ強い感情だからこそ、身体の感覚もはっきりと記憶に残っていたからだと思います。)
セラピストさんは続けて、「これから少しずつ、自分の感情が動く時、身体のどこがどんなふうに感じるのか、注意を払ってみてください」と言います。うれしい時、不安になった時、怒った時、ワクワクする時。「心の声を聞こう」とはよく耳にするところですが、「身体に意識を向けてみて」と言われたのは初めてのことでした。
身体の声を聞くのが苦手な人
「身体に意識を向けてみる」というのは、トラウマとなるような経験をした人、また複雑な幼少期を過ごした人(機能不全家族育ちや虐待経験者など)にとって苦手なことなのだそうです。なぜかというと、サバイバーは心身に受けた傷の痛みを「感じないようにすること」で毎日を生き抜いてきたから。日常的に痛みや悲しみを感じる出来事が起こるため、痛みに鈍感になることで自分自身を守っていたのです。
これを当たり前のように続けて生きてきてしまった私たちは、結果として心と身体が乖離状態になってしまうのです。感じないようにしてきたその痛みがたとえ心の傷であったとしても、実際に身体のどこかで痛みを感じている。でも、その痛みに気がつかない力ばかりが上達してしまったのですね。これはポジティブな感情であっても同じです。ポジティブな感情を生き生きとしたそのままの状態で表現できる機会が極端に少なかったため、同じく鈍感力ばかりが高まってしまうのです。
自分をネグレクトしてきたという事実
ワークとしてその課題を与えてもらってから、私は少しずつ自分の身体の声に耳を傾けてみるようになりました。
すると、怒りは頭や肩、首に熱を帯びた収縮系の痛みをもたらすことがわかりました。ワクワク喜ぶようなことがあると、お腹がふんわりと浮くような軽さを感じました。不安が広がると胸のあたりがざわざわし、悲しみが押し寄せてくると頭がずんと重くなることに気がつきました。
まだまだ気がついていない身体の声は無数にあるかと思いますが、こういった声に気がつき始めただけでも、「私はこんなにも自分自身をネグレクトして生きてきたんだ」と驚愕しました。同時に、そりゃあ心身に支障が出るよなぁと心から納得したのです。
こういった声に気がついたら、シンプルなことから少しずつ、自分が心地いいと感じることを実践していきます。それは本当にシンプルなことで、たとえば「寒い」と身体が感じたらお茶を作り膝かけをかける。お腹が空いたと感じた時に、その時の自分が本当に食べたいと望むものを食べてみる。イライラしてお腹に不快感を感じたら、そこに手をそっと載せて「不快感があるね」と共感してあげる。こういうことを少しずつ少しずつ実践していく中で、私は30数年間生きてきて初めて、「自分を大切にするってこういうことなのかもしれない」と知ったのです。
自分の感情を「身体」で感じること。忙しい日々を生きているからこそ、忘れずにいたいものですね。