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手話通訳付きで地域おこし協力隊の初任者研修に参加してきました|2024.芒種・蟷螂生


蟷螂生(かまきりしょうず)

「おじさんがねぇ、あと半年と言われたのよ」

「おじさん」というのは、わたしの茶道の先生の旦那様。数年前に癌と診断され、途中何度かの入院を経て、そろそろ認知症の症状も現れ始めていた。だから、それなりに覚悟していたことだったけれども「あと半年」は、あんまりにもリアルだ。

というのも。わたしは、大学生の頃に同居していた祖母を、癌で亡くした。誰よりもエネルギッシュで、水環境のNPOの代表をつとめながら、世界中をひょいっと旅する彼女のことを、誰もが不死身だと思っていた。

彼女と同じ名前の孫「まりこ」が今、高梁川という大きな川の流れる流域圏に移住して地域おこし協力隊をしていると知ったら、彼女は何と言うだろう。大きな川を絆に活動する人たちに出会うたびに、幼い頃彼女の活動に連れられて川辺でたくさん遊んだことを思い出す。

彼女はいつからか痰の絡んだ咳をするようになって、梅雨のある日にお医者さんから「ステージⅣの癌です。余命は、半年でしょう」と言われたけれども、わたしはさっぱりピンとこなかった。

それでも。彼女は日に日に体力がなくなって、次の年のお正月を過ぎた頃に我が家で亡くなった。2月のあたま、大学生活最後の誕生日を葬儀場で迎えたわたしに親戚みんなが「今年1年がんばったまりちゃんのお誕生日を、家族中に祝ってもらえるように天国へ行ったんだね」と言ってもらって、わんわん泣いた。

「人って本当に死ぬんだ」という当たり前のことを、まじまじと突き付けられた半年だった。そして、お医者さんの言う「半年」は本当に半年だった。

あれから数年の間に、わたしの周りで家族を癌で亡くす友人が何人かいた。わたしたちは、家族を亡くした経験があるからこそ簡単に「分かるよ」なんて言えなくなっていったように思う。そして、本当に必要なときに周りができることがあれば、何でもしてあげたいと思う。

時間と命は、どう縋っても絶対に帰ってこないということを、痛いほどに味わったから。

だから、お茶の先生から「おじさんがねぇ、あと半年と言われたのよ」と告げられた日から、おじさんが大好きな桃をこの夏いっぱい食べてもらうんだ!と倉敷の桃農家を探すことにした。

誰よりも、わたしの先生がおじさんに桃を食べさせたがっているし、わたしが移住した岡山県は桃の国だから。わたしに今できることは、ひとつでも多くの桃をおじさんに食べてもらって、先生と痛みを分かち合うことなんじゃないかと思って。

SNSで今すぐ出荷してくれる桃農家の情報を募集したら、たくさんの人から情報をいただいたので、そのうち一番我が家に近い桃農家さんに今年一番の桃を注文した。わたしも桃が大好きなので、今年はおじさんに桃を送りながら私自身も岡山の桃を堪能していきたい気持ち。

まだまだ岡山の美味しい桃情報、お待ちしています。

【芒種】稲や麦など穂の出る植物の種を蒔く時期
初侯:蟷螂生(かまきりしょうず) 6月5日~6月9日
次侯:腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)6月10日~6月15日
末侯:梅子黄(うめのみきばむ)6月16日~6月20日

茶道手帳2024

手話通訳付きで地域おこし協力隊の初任者研修に参加してきました

前回のnoteでもちょこっと触れたのですが、5月31日に岡山市で開催された地域おこし協力隊の初任者研修に参加してきました。もちろん、手話通訳のお願いをして。

今回のnoteでは、研修の情報保障に手話通訳をお願いした理由を共有します。

・手話通訳の依頼をお願いした理由①:わたしのお耳では、聴きとることに限界があるから

わたしのことをご存知の方からしたら「何を当たり前のことを」となるかもしれないけれども。わたしには、聴覚障がいがあります。一対一で慣れた相手だったら口の動きを読み取ってコミュニケーションができるけれども、それも確実ではない。

その確実ではないというのは、声質や口の動きでどうしても読み取れない相手もいるし、それから今回の研修のような長時間相手が一方的に講演をするスタイルの研修は、資料を見たりメモをしたりしている間に話題が変わっていってしまったり口の形を読み取るにも集中力がもたないという意味で。

相手の口の形を読み取るというのは、文字通り口の形を読みながら相手が話すであろう内容を推測して想像と見えている口の形をマッチングさせているだけなので、的外れな読み取りをしていることも、ある。だから、確実に話の内容を理解せねばならない場面では、情報保障をお願いしている。

・手話通訳の依頼をお願いした理由②:わたしの次に情報保障が必要な地域おこし協力隊が誕生したときの前例として必要だから

これは、学生時代や前職でも、周りから口酸っぱく言われてきたこと。

世の中の人たちは、そんなに高頻度で「障がい者」には出会わない。人によっては(わりと多いけれども)「聴覚障がい者とじっくり話をしたのは、初めてです」と言う人もいる。彼らにとって「聴覚障がい者=高石真梨子」になってしまう。

そんなわたしが「補聴器から聴きとれた音声と読み取った口でだいたい理解できるので、情報保障はいりません」と言ってしまったら、その人が次に出会った聴覚障がい者がわたし以上に手話などの視覚的情報を求めても「真梨子ちゃんは大丈夫だったし……」と必要な支援を受けられなくなってしまう可能性もある。

わたしの良くないところは、周りの反応を伺って「あ、でも補聴器でも音入ってきますし、口も読めるので皆さん気にしないでくださいね」と遠慮しすぎてしまうこと。本当は理解できていないのに「わかったフリ」をしてしまうこと。

「わかったフリ」はその場をうまくしのげる処世術だけれども、わたしには何も残らない。わたしに続く障がいのある協力隊にも「わかったフリ」はしてほしくないし、そうならないためにわたしたち聴覚障がい者には手話通訳という情報保障が必要なものだということを周りに知ってもらわないといけない。

・手話通訳の依頼をお願いした理由③:合理的配慮を求めることは、わたしたちの権利だから

障害者差別解消法が改正されて、2024年4月からは一般事業者も合理的配慮の提供が義務付けられた。

この法律を知らない人は、今の時代に「障害者差別」を「解消」するための法律があるなんて……とびっくりしていた。でも、この法律が現存していて、この法律を根拠にわたしたちの権利を求めねばならない場面が、まだまだ存在するのが現実だ。

わたしに地域おこし協力隊の活動を委嘱してくれている倉敷市も、岡山県の地域おこし協力隊を支援してくれているOEN(岡山県地域おこし協力隊ネットワーク)も、「障がいの有無に関係なく、等しく研修を受ける権利がある」という考えをもっていて、わたしが合理的配慮について相談をすると親身になって最善の策を考えてくれる。

だから、わたしも安心して権利を求めることができるし、他の受講生と等しく学びを得て、活動をしている。

真摯に向き合ってくれる人たちのいる倉敷に来て、岡山県の地域おこし協力隊として活動できて本当によかった。これを「よかった」で終わらせるのは、もったいない。

倉敷の人たちに、岡山の人たちに、地域おこし協力隊たちに、合理的配慮の提供について検討している事業者に、合理的配慮が受けられずに悩んでいる仲間に、これから社会に出る後輩たちに、「こんな方法で、倉敷市の地域おこし協力隊をしている人がいるよ」と知ってもらうこと。

わたしの後に続く誰かが「こんな先行事例があるみたいですよ」とわたしの事例を活用して少しでも大きく息を吸ってほしい。そう思いながら、今日も次侯も、noteを書き続けています。


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