手話オンリーで活動報告をしたり、地域おこし協力隊のコラボ記事に挑戦したり|2024.春分・桜始開
■ 桜始開(さくらはじめてひらく)
2024年3月現在、倉敷市では12名の地域おこし協力隊が活動をしている。
私と同じように倉敷市全域を活動拠点として情報発信をしている隊員もいれば、特産のひとつ倉敷薄荷の製造や販売に関わる隊員もいれば、町屋の改修や管理をする隊員もいる。
共通しているのはみんな「倉敷」という街を主語に活動をしていること。
3月21日には、倉敷美観地区にある倉敷物語館で隊員それぞれが自分の言葉で今年度の活動の報告をした。
・まだ4か月、もう4か月
わたしも、地域おこし協力隊になってまだ4か月目だけれども、この4か月間の歩みを発表させていただいた。
「まだ4か月」と言ったけれども、地域おこし協力隊の任期は3年しかないのだから。そのうちの10パーセントがもう過ぎてしまったわけで。報告会の資料を作りながら、「まだ」なんて言っていられない時期に入り始めてしまったのかもしれないなぁと慄いたのもまた事実。定期的に振り返るって、大事なのね。
発表のしかたも、いろいろと悩んだ。発表のしかたというのは、コミュニケーション面のこと。
・今回は、声なしの手話で発表をしました
わたしには、日本語と手話という二つの言語がある。どちらもわたしの人生においてなくてはならない存在。だけれども、この二つの言語は異なるものだから両方で発表するということが難しい。
もちろん、手話をしながら声を出すことは物理的に不可能なわけではないけれども、わたしはとっても不器用なので手話に集中すると声がおざなりに、声に集中すると手話がおざなりになってしまう。大切な報告の場でどちらかの言語が中途半端になってしまうのは嫌。
手話で発表するメリットは
一方でデメリットは
などが考えられた。でも今回は「聴覚障がいのある地域おこし協力隊がいること」を知ってもらい、応援してもらうきっかけにしたかったので手話で発表することを選んだ。
当日までの間、この会を運営する市の職員さんとも入念に打ち合わせを重ね、手話通訳の誤訳を減らすために読み取り通訳用の日本語原稿も用意して本番に臨んだ。
当日はとっても緊張したけれど、自分の言語で今の私の活動を報告できて良かったなと思う。
・「通訳」は誰のため?
それから、この4カ月の間に知り合った人たちがたくさん会場に足を運んでくれたこともまた嬉しくて。その中でも印象残っているのが、何人かから「まりこちゃんが音を聴くために手話通訳を必要とするように、わたしたちも手話が分からないから通訳をしてもらうことが必要だった。とても新鮮な経験だった。」と感想をいただいたこと。
そうなんですよ。
通訳って、「障がい者のために」健常者が「用意してあげるもの」のように捉えられがちだけれども。実は、お互いがお互いと繋がるためにその場にいるみんなにとって必要なものなんだよね。
そういう「通訳とは何か」「支援とは何か」みたいなことまで感じてもらえるきっかけになったのなら、こんなにも嬉しいことはないなぁと心がホクホク。
これからも、障がいのある当事者が地域おこし協力隊として活動することが誰かの・何かを考えるきっかけになってくれたらいいな。
そうそう。3月は倉敷市内の地域おこし協力隊の内2人とのコラボ企画が実現しました。
■ 水島焼肉マップ ~ 地域おこし協力隊が移住者視点で食べ歩いた地元の名店をご賞味あれ
倉敷美観地区から7キロほど南下したところに「水島」という地域がある。
ここは、1943年に名古屋から三菱重工業の航空機製作所が進出してきた軍需産業で栄えた地域。倉敷市から水島にのびる電車「水島臨海鉄道」の駅名にも名古屋の地名が使われていて、その名残が今でも残っている街。
この街は、戦時中に朝鮮から移住してきた人が多いこともあり、個人経営の焼肉屋さんがたくさんあるんだとか。その焼肉屋さんがどこも美味しくて、たくさんの人に知ってもらいたい!と動き出したのが、水島地域で活動する地域おこし協力隊の村上さん。
地域の人たちからも「ぜひ、村上君を取材してみて!」と勧めてもらったこともあり、焼肉マップを作るに至ったストーリーを教えてもらった。
このインタビューはかしこまった形ではなく、村上さんと一緒に水島の街を歩きながらゆかりの地を一緒に巡ってそのなかでお話を伺った。
地域おこし協力隊として街と密に関わる彼と一緒に歩いたからこそ、どのお店に行っても「村上君と同じ、協力隊なの?がんばってね!」と声を掛けてもらい、美味しいものをたくさん食べさせてもらい、楽しい取材だった。
わたしも一年後には、彼みたいに「あら、まりこちゃんいらっしゃい」と言ってもらえるような存在になれたらいいなぁなんて思う。
この記事をあげてからも、別件で水島には何度か行っているのだけれども、行くお店すべてにこの「水島焼肉マップ」があってびっくりする。
ある焼肉屋さんで
「わたしも地域おこし協力隊で。このマップの紹介記事を書かせてもらったんです。」
と話したら、店主の顔がぱあっと明るくなって
「こんな素敵な冊子に載せてもらって、今とても嬉しいの。宝物だわ。」
と教えてくれた。
街の人たちの宝物を、こうした形で紹介させていただいたこと、すごくすごくありがたいことだなぁと思っている。
どのお店も美味しそうなので、わたしも全店制覇すべく水島に通うことになりそう。
■ しもつい横丁オープニングイベント ~ 港町のおいしいものと音楽を楽しもう
倉敷は、海も山も平地もある豊かな土地で。そんな倉敷の港町のひとつ児島地区の下津井でも地域おこし協力隊が活動をしている。
彼女との出会いは、12月1日。わたしが倉敷市の地域おこし協力隊として着任したその日に市役所で偶然ご挨拶ができた。話をしてみると、なんと同い年。
その後も、倉敷市内の地域おこし協力隊が集まる機会があるといつも、「まりちゃん、みんなの話についていけてる?」と確認してくれる頼りになる存在で。そんな彼女から
「私が今携わっているお店が改装中で。土壁塗りのお手伝いを募集しているから下津井に遊びに来ない?」
と誘ってもらったのが1月のこと。
「なんだかおもしろそう!」と飛びついたわたしは、バスに揺られて下津井まで足を運んで、土壁塗り体験をした。
土壁を塗るという作業は今では数が少なくなっていて、貴重な技なんだとか。当日も左官職人の後継者のかたが「僕も今日は、学びに来たんです!」と言って作業に参加されていた。
土壁を塗るという体験も、ここで出会う人たちも、美味しいごはんも、どれも倉敷に来なかったら、地域おこし協力隊にならなかったら、中臣さんがここで活動していなかったら、出会えなかったものたちばかり。いろんな偶然が重なって、とっても楽しい体験ができたこと。
さらにこの土壁を塗った店主は元学校の先生だというじゃないですか。
学校の先生を辞めて、地域のために。そんな店主から「先生を辞めて次のステージに地域のための活動をするなんて。もっとお話ししたいわ。」と声を掛けてもらって、この記事の執筆が決まった。
焼肉マップもしもつい横丁オープニングイベントの告知記事も、「地域おこし協力隊同士でコラボしようよ!」と言ってはじまったわけではない。
どちらも、彼らの周りの人たちが協力隊として活動している二人を「もっと応援したい」と、そして協力隊として活動しはじめたばかりのわたしに「きっといい記事が書けるよ」と背中を押してくれたおかげで実現した。
そして、わたしが実際に記事を書くとそれぞれにSNSでシェアしては、感想まで送ってくれた。協力隊の仲間を紹介できたこと、紹介したことをありがたがってもらえること。とてもとても嬉しいなぁと思う。
倉敷という街には、移住者を温かく迎えいれるオトナがたくさんいて、みんなが自分の地域の協力隊を盛り上げる。そういう文化が垣間見えた、地域おこし協力隊とのコラボ記事たち。
「しもつい横丁」はオープニングイベントにも行ってきたので、そのレポート記事も現在執筆準備中。活気あふれる楽しい一日だったので、その様子がつたわるような記事になるよう、心を込めて言葉を紡ぐぞ!