聴覚障がいのあるわたしが、倉敷市地域おこし協力隊になったワケ。|2024.小寒・水泉動
■水泉動(しみずあたたかをふくむ)
「まりこさんを見て、わたしも挑戦しようと思ったの!」
と、目を輝かせるあの子があんまりにもかわいいから。1秒でも長くあの顔を見られるのならちょっくら頑張ろうかな、と本気で思える。
わたしが半径90cmの人たちのことを思って行動したら。それらはぐるりとまわって、いつかあの子の、みんなの常識になるだろう。
そうであって欲しい。
「地域おこし協力隊になったきっかけは?」という質問に対する答えを、濁し続けている
なぜ、地域おこし協力隊になったのか。たいそうに「地方の活性化に尽力したいです!」とか「自給自足の生活に憧れています!」とか言えばよいのかもしれないけれども、わたしはそんなに広い世界のことを考えられるような人間ではない。
だから、この質問には常々「WEBメディアに携わる友人から、倉敷で一緒に文章を書かないかと誘ってもらったので、今ここにいます」と答えている。これはこれで事実なのだけれども、地域おこし協力隊になったきっかけというよりは、ライターに転職したきっかけになってしまう。
確かに、20代のうちに書くことを仕事にしたいと思っていた。だから、とてもよいタイミングで友人に誘ってもらったこと。それが、いつか住みたいと思っていた街の真ん中に川が流れていて空が広く、穏やかな瀬戸内の凪の美しい場所であったことは、本当にラッキーだなぁと思っている。
それでじゃあ、わたしはなんで「地域おこし協力隊」になろうと思ったのか
そう尋ねられるたびに、頭にぱっと顔の浮かぶ人がわたしには何人かいる。それはみんな、わたしと同じ聴覚障がいのあるお耳の後輩たち。
ろう学校でもなく特別支援学級でもなく、キコエル人たちと同じ環境で育ったわたしにはずっと、同じ聴覚障がいのある仲間がいなかった。そんなわたしに初めてお耳の仲間ができたのは、大学に入ってから。
大学で特別支援教育を学んでいたわたしは、学習支援ボランティアを通して聴覚障がいのある子どもたちに出会った。
耳には色とりどりの補聴器を装用して、手話だったり読唇(口の形の読み取り)だったりを駆使しながらコミュニケーションを楽しむ。幼いころ、自分が聴きとりにくいことをあまり肯定的にはとらえられていなかったわたしには、その光景すべてが新鮮だった。
そのうえ、手で言葉を紡ぐお耳の後輩たちがあんまりにも生き生きとしていて、音のない世界も悪くないもんだなと思えるようになった。「学習支援」なんて名前が付いた活動だったけれど、生まれて初めて「目に入れてもいたくない」とはこういう存在をいうんだろうなぁなんていう大切な気持ちを教えてもらっていたのはわたしのほうだ。
この子の、この子たちのキラキラした瞳をただただ守りたい
そんな尊さを教えてくれた子のうちの一人から、秋の初めに短大合格の知らせが届いた。
よくよく聞くと、幼稚部からずっとろう学校で育った彼女は、聴覚障がい学生の受け入れ経験がほとんどない短大への進学を決めたそうだ。ろう学校は特別支援学校ということもあって、障がい者雇用枠での就職もできたはずだ。それなのに、なんで?と過保護なわたしは心配してしまう。すると、彼女は目をキラキラとさせながら
「大学生のまりこさんたちを見て、大学生楽しそうだなって思ったの。授業の内容が分かるのか、聴者の友達を作れるのか……いろいろと不安はあるけれど、いろんな考え方の人に会ってみたいんだ。今は、合理的配慮だってあるし。」
と教えてくれた。あの頃のわたしにとって、きこえに理解のある友人に囲まれた大学生活やかわいい後輩たちに恵まれた日々は本当に楽しくて。それが、小学生だった彼女にも楽しそうに映っていたんだなぁと思うとなんだか感慨深い。
思えば、わたしが大学に進学したころはまだ「聴覚障がい者は、通訳の体制が整っている大学の中から進学先を選ぶ」ということが一般的だったように思う。
でも、そんなのはおかしいよねと。全国に大学はたくさんあるんだから、聴者のように学びたいことが学べる大学を自分で選びたいよね。と、高等教育機関の情報保障の充実を求め続けた。
「お耳の仲間の人生の選択肢が、少しでも増えますように」
そう願いながら活動をしていたあの頃から約10年もたってしまった。目に入れてもいたくないと思うほどかわいがっていたあの子が「学びたいことがあるから」と進路を決定した節目の年。この冬休みは、彼女と久しぶりに再会して直接お祝いをしてきた。
また、倉敷での日常が戻ってきた。そして改めて「地域おこし協力隊になったきっかけは?」と尋ねられる。そのたびに、音の世界へ飛び出すことへの不安を手で紡ぎつつも期待で目をキラキラとさせる彼女の顔がぱっと思い浮かぶ。お耳の後輩たちの人生の選択肢は、1つでも多いほうが良いだろう。
それが、地域おこし協力隊かもしれない。
相変わらずたいそうなことはいえないけれど、それでも……
あの顔があんまりにもかわいかったから。ちょっくら頑張ろうかな、と本気で思える。わたしが半径90cmの人たちのことを思って行動したら。それらはぐるりとまわって、いつかみんなの常識になるだろう。
そうであって欲しい。
【情報モトム】地域おこし協力隊を経験した聴覚障がい者って、いるのかしら
協力隊になって1ヶ月とちょっと。実はまだ、聴覚障がい……というか身体障害者手帳をもつ障がい者の協力隊にめぐりあえていない。この広い日本のどこかにいるのかしら。それとも、わたしが第一号?
もし、なにか情報をお持ちの読者さんがいらっしゃったら、こっそり教えてほしいです。
なんていうのかな。障がい者って「支援される側」になることが多いけれども、「支援する側」にだってなりたいじゃない。それってたぶん、わたしだけじゃあないと思うから。
なんて夢を語りだしたら長くなってしまうし、照れくさいでしょ。それにわたしは、まじめな話になればなるほどおどけてしまうので。だからまずは、このnoteにこっそり綴ってみるなどする水泉動。
凍っていた水が、少しずつ動き始める季節。
地域おこし協力隊としてのわたしの活動も、じわじわとスタートする予定。
冬空のもとキンと澄んだ空気の気持ち良いこの街では、朝も晩も吐く息がほわっと白く染まる。
わたしの活動は、どんな色に染まっていくのだろう。
命芽吹く春まであともう少し猶予がある、今だからこそ。長夜をギュッと抱きしめて、じっくりコトコト考えを整理していきたい。
■地域おこし協力隊
地域おこし協力隊とは
地域おこし協力隊は、三大都市圏をはじめとする都市地域から移住して地域協力活動に取り組む制度です。一定期間(1年~3年)地方自治体に所属し、受け入れ団体でまちづくりの活動に協力します。
活動内容は地域によって多様多種。地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR、空き家や空き店舗の活用、農業や漁業への従事などがあります。地域によって課題が異なるため、受け入れ団体によっても活動内容は変わってきます。
地域おこし協力隊 ~高石真梨子の場合
わたしは、前回のnoteで紹介したように倉敷市のくらしき移住定住推進室から委嘱を受けて活動をしています。受け入れ団体は、倉敷の今を伝えるメディア「倉敷とことこ」や福山・尾道・笠岡をもっと好きになるメディア「備後とことこ」などの運営をしている一般社団法人はれとこです。
美観地区や倉敷デニムなど、観光地として有名な倉敷市。一方で、少子高齢化の影響もあり人口は減少傾向にあります。そんな倉敷市におけるわたしのミッションは、「Webを通じた生活者目線での情報発信や、移住関連イベントへの協力」。この note での発信も、活動の一部です。
まずは、さまざまな方向にアンテナを張りたい1月
もちろん「観光で訪れて住みたくなった!」「地場産業に従事したくて移住を検討している」というかたもいらっしゃると思うので、情報発信をする者としてさまざまな方向にアンテナを張っていきたいと思います。
また、わたし自身聴覚障がいのある当事者です。障がいのあるかたやその家族が移住したいと思えるような情報、ここにいる仲間と共に定住していきたいと思えるような情報発信をしていきたいと考えています。
【募集】「倉敷市周辺でこんなイベントがあるよ」等ありましたら、お気軽にお声がけください
人と関わり、その中で感じたことを文字や手話で発信しています。InstagramのDMおよびFacebookのメッセンジャー、もちろんこのnoteのコメント欄でも構いません。
手を取り合いたい、わたしの半径90cm以内にいてくれる人が一人でも増えること。それがきっとぼちぼちと、わたしにとって大きな武器になってくれるはずだと信じて、今日も明日も活動を楽しんでいきたい所存です。