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森永卓郎さんの最後の言葉「『楽しい日本』は正しい」、今日からラマダン
久しぶりのnote更新です。
忘れてはいけないことを森永卓郎さんの最後の言葉で思い出し、「今度こそは忘れないぞ」ということも込めてnoteに残します。
森永卓郎さんが亡くなられる前日、大竹まことさんのラジオに出演されて話されたこと。
それは「楽しい日本」についてでした。
「楽しい日本」、石破総理が施政方針演説で言及したことで大炎上。
かく言う私もこの演説を聞いたときは、「(外国人にとって)楽しい日本」でしょ?って冷ややかな目で見ていました。
ですが、森永卓郎さんの視点は違ったのです。
『石破総理の言う「楽しい日本」は正しい』というテーマでラジオの中では語られて、その視点には愛が溢れていました。
…石破総理が、施政方針演説の中で、「楽しい社会を作るんだ」っていった時に、多くの国民が「何わけのわかんないこといってんの?」と思ったと思うんです。かく言う私もそうだったんです。ここに来てあらためて思うようになったのは、案外それが正しいんじゃないかということなんですね。なんでかというと、今世の中で、何が起こっているかっていうと社会を分断して、みんなで弱ってる方を袋叩きにするっていうのを楽しみにしている人が実は本音では多いんじゃないか。一部の人たちを、ボッコボコにすることによってストレスを発散するような社会っていうのが本当にいい方向なのかなっていうのを思うわけです。もう一度、どうしたらみんなが「楽しい社会」「楽しい文化」を追求できるのかっていうのを議論し直さないといけないんじゃないかなって私は思うんですよね。だから、そういう意味でもね。私はエンターテイメントの果たす役割って、すごく大きいって。私も隅っこでは発言してるんですけど、エンターテイメントって、別に何の役にも立たないわけです。でも、そういう時代だからこそ、楽しめる社会を作るために大きな貢献ができるんじゃないかという気がして仕方ないんですよね。本当に、じゃあ我々なんのためにこの世に生まれてきたのかというのは、私は人を袋叩きにするために生まれてきたんじゃないんだと思うんですよ。だから…その、世の中に役に立たないものだけにこういう時代は(エンターテイメントが)一番役に立つんじゃないかと思うんですよね」
我々なんのためにこの世に生まれてきたのかというのは、私は人を袋叩きにするために生まれてきたんじゃないんだ
…ほんと、これなんです。
仕事でも友達関係でも家族関係、日常生活でもそうなんですけど、何かや誰かを非難するために生きてるわけじゃない
何のために生きてるのか?って、一言で表すことは難しいけど、ぜったいに「人や何かを袋叩きにするため」ではないのですよ。
森永さんの言葉を聞いて「楽しい日本」について私も改めて考えてみました。
「楽しい」と言う言葉を非難的に捉えた(炎上した)のは、「楽しい」=「楽(らく)をする」ことは、「何もしない」ことや「誰かの手を借りる」「ズルをする」という意味に捉えられたから、私も最初はそう捉えたらからかもしれません。
最初の捉え方は他人との比較、嫉妬から…何だか自分にもそんな気持ちがあるんだと改めて気づきました。
(いっちょ前に政治批判とかしててお恥ずかしい)
じゃあ、
私にとって「楽しい」って何だろう?
「楽しい日本」って何?
「楽しい日本」にするためには自分は何ができるだろう?
うーん、
とりあえず仕事は楽しいので
自分にできる仕事は引き続き頑張ることにします!!
マレーシアは今日からラマダンです。
ラマダン中の約1ヶ月は日中の断食に加えて、喧嘩や喫煙、人の悪口や汚い言葉を使うことなども禁止されています。
ラマダンの期間中、「楽しい日本」について
ゆっくり考えてみることにします。
本日もお読みくださりありがとうございました。