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どの町もそれぞれに愛してきた


#この街がすき

私は大学以降の人生で、4つの町に住んできた

東京1年(専門学校)

アメリカネバダ州(大学)

大阪(社会人)

現在地@東北

転勤と結婚で今の地に落ち着くまでの3か所には、それぞれ住んでいた年齢も境遇も違うせいか、まったく異色の思い出がある

まずは東京。高校卒業後、留学するための専門機関に入学し、女子寮生活をした。学校専門の寮ではなくて、都内の大学生であれば誰でも入寮できる場所で、私は一番家賃の安い4人部屋だった。

同じ学校に通う2人と、中国からの留学生1人。

家賃が安いから相部屋を選んだわけではなく、これは今も昔も変わらず、私は「他人と一緒に住む」ということにまったく抵抗がない人間。だからか?これ以外のルームシェアでもこれと言って嫌な思いをしたことはない。

で、肝心の寮生活はもう笑い死にするのではないかというほど楽しかった記憶。もう・・10代の学生の寮生活なんて楽しいしかないですよ、ほんとに(笑)

毎日食堂や勉強部屋でみんなで課題をこなしたりバカなことして笑ったり・・人ってこんなに毎日笑えるんだと思うくらい無邪気だった。

お風呂は寮全体で共同で、予約すれば食堂でバランスの取れた食事が食べられて、洗濯機は有料だったので手洗いをしていた1年間。それすらも懐かしい。ろくに家の手伝いもせず18歳まで育った私は家事のイロハも分からず、洗剤ではなく柔軟剤で約1年間洗濯していたことはここだけのヒミツです笑

ちょっと思い出を深堀りしすぎた、、けれど、1つ1つの思い出を取り出せばどの地もキリがなくて。

結論、私がそれぞれの町について思うことは、

その町を思い出すときは、その町に存在した自分の心境と重ね合わさるような1コマが常にフラッシュバックするということ。

例えば東京新宿のネオンや、寮の洗濯室の湿気のにおい。笑いすぎて痛くなった腹筋の感覚や、オールした後の丸の内線の始発の車内。人生の苦労のたった1つも知らずにひたすら目の前の雑多な日々を謳歌していた時代。

そして、20時近くなってもまだ明るいネバダ州の灼熱の空気や、早朝6時からもうすでに汗だくになるカラッとした暑さ。豪快なカフェテリアの調理場や、煌びやかさと汚さが混ざったカジノ街の景色。言語も文化も違う環境で、いつどこにいても無意識に気を張っていたような気がする留学時代。

飲み屋が並んだ小道や活気のあるアーケード。先輩たちと夕飯を買いに行ったデパ地下の景色や、毎週末のようにふらふらとあてもなく出かけた梅田駅界隈。新卒1年目。留学とは別の意味で右も左もわからなく、迷ったり悩んだり考えたりする暇もなく過ぎていった大阪での社会人時代。(もし過去に住んだ町に1か所だけ戻れるなら大阪を選びます。もう一度ちゃんと、大阪という町の魅力を確かめたい・・)

その町にしかない空気感やにおいや音や気温。

そういうものを私はなるべく日常の中で意識して思い出すようにしている。

写真や日記のように、当時を思い出せるものはあるけれど、感覚的なものは、ビジュアルや文字では再現できないから。

なるべく忘れないように思い出すようにして、頭の中で思いを馳せる

今いる町はもうすでに、この3つの町に住んだ期間のどれよりも長くなってしまった

現在進行形でこの町で日常を繰り返しているけれど、ここもまた今までとは違った思いや経験を細く長く、積んでいけたらいいなと思う

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