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■勝ちたい女を捨てにいく、なみだの部活動

「こうあるべきだ、強め」から
「そんな自分をゆるしてお金持ち*」


優雅な星へ導く
お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。


わたしは現在、
心理カウンセリングを通して
心の知恵の輪をほどくお手伝いという
お仕事をさせていただいています。



去年わたしは
ビジネス系の短期集中ワークショップに
参加しました。


講座終盤に差し掛かる頃
いきなり、とても懐かしいことを
思い出したんです。


なんと
そこで自分がやっていたことは・・・


「本来可能なら、学生の時やるはずで
全部、中途半端でお茶を濁してきたことを

いまここでゼロからやり直していた」のです!


ビックリしましたとも・・・
大きすぎる気づきでした。


そして、そこには普遍性という
宝がたくさん隠れていたのです。


今日は
「勝ちたい女を捨てにいく、なみだの部活動」


のお話しを書きます。


よろしければ最後までお付き合いください。


わたしは学生時代のほとんどの部活動

入部→出来ない⇒実力が実らない
⇒結果が見えない
⇒カッコつけたいけどカッコつかない
⇒恥ずかしい⇒耐えられない⇒ミジメ
右矢印退部!


という、ラインを辿ることが多くありました。



入部→自信があった⇒上達しない
⇒上には上が居た
⇒優遇されない⇒ミジメ、かなしい
⇒耐えられない右矢印退部!


というときもありました。


グダグダでも
「退部しなかったら、
わたし的にはハナマル!」という
ハードルの低さです。


いかに、集団のなかで競うことに対し
メンタルが弱いか?
ということでもあります。


だから一人仕事の個人事業主が楽でした。


そんなわたしがこの歳で
冒頭のワークショップに参加することは

置き土産のラットレースに
手をつけ直すことでもありました。

当然お馴染みの展開はやってきました。



お稽古事を習うとき
まず、型を習い、自分なりにやって見て
型から(師匠のやり方から)離れる。


守破離、と言われるものです。

ここでも、それをやるのですが、


すぐ、壁にぶつかりました。



他人の枠に合わせる生き方を
死ぬ思いでこの4年
徹底的にやめていって


やっと、自分のハートと
繋がれるようになったのに
なぜ今更、真逆をやる必要があるのか?


習うことにより
「自分の大事なものが薄くなる!
消されていく・・嫌だ!」


「もう習う、ということそのものが無理だ」


あくまで自分を殺さずに
打破する道はないものか?


そんな調子だから
先生が教える本質の意味はわかりません。


よって『何も変わりません』。


強情はやめようと、行動としては
先生のお手本を
チラシの裏に模写したりもしました。


何も頭に入りません・・


嫌なことを「やらされている」

誰に頼まれたわけでもない、
やめたきゃやめてもいいのに・・

守破離の、守、にすら
気持ちが行ってないわたし。


相当きつい気持ちが続きました。



ある夜、不満というより、
モヤモヤした気持ちの方を
全部口に出し、紙に書き出しました。


「ねえ、わたしはもともと
何のためにこれをやり出したのだろう?」


ふっ、と疑問が湧いてきて


スパッと抜けていた、一番大事なものが
湧き上がってきました。



「らぶ*(肚の声、満ちるもの)」があるのに
伝え方が全くわからない。


だから、先生に習おうとした。


「わたしのらぶ*を、本当に望む人にだけ
伝わりやすい形で送りたい」

型を学ぶことばかりに気が行っていて


わたしの中の両輪
「らぶ*」が
どこかへ行ってしまっていたのです。


「おかえり」

わたしの中のらぶ*が
キラキラニコニコ笑っていました。


急に、先生のお手本をいくつも並べて
自分なりに読み解くことを思いつきました。


「ああ・・難しい。でも、楽しい!
わかると、もっと楽しい!」


内なる車輪が転がるってこんな気持ちなのかな?


そして・・・

・わたしは根気がない人だと思い込んでいたこと

・わたしは失敗して心が折れたら
全部放り出す人だという思い込みがあること

に気がつきました。


幼少時から
「あんたは最後まで何も続いたことがない」
と言われ続けすぎていて


わたしもいつしか、そのレッテルを
自分に貼っているので


一見いろんな理由はあるように見えますが


実は自分でうまく行かないよう
夢を叶えてあげていたのです。


「どうせなにをやっても
もとらん」(※うまくいかない、の方言)

「どうせ途中で放りだす」


「やってみたいなぁ」と
子供の素朴な好奇心を
口にだすと


ことごとく
「過去に達成できなかったあれこれ」を
持ち出され
やる前に、未来を決めつけられることが大半で


今風に言えば、
やる気スイッチのブレーカーを
あらかじめ落とされている状態でした。


それも続きすぎると、いつしか
「どうせ・・」が先に立つようになり


新しく何かを取り組む場面に遭遇すると
楽しみより
苦痛の方を多く感じるようになりました。



しかし!
後天的努力で培ったイラスト業で根気がつき


こちらも後天的ですが
心理カウンセリングの勉強をし出し


それから、男女性ご自愛ワークを
あきらめずやりつづけたことが
この時の自分を救ったのです。



こういう役割を担っていたなんて・・
深すぎます。



この後、
せっかく思い出せた「愛がわかる」も
ときどきポキポキ折れることはありました。


「なんのためにやってるの?」


その都度、自分に問いかけます。


「愛です!あふれる愛を伝えたい
ジョン・レノンのこころです!!!」


そう、わたしは、わたしが思い込んでいるより
ぶれたまま倒れていく女では
なかったのです 。



立ち止まって足ぶみしながら
ゼロに立ち返って
仕切り直す勇気は健在です。


「そのこと自体が」繋がる感覚でもあり
こころから嬉しかったです。


いい体験が出来たな、と思えたことは
もうひとつあります。



立て直したその先、という未知の世界を
経験できたことです。


講座が進んでいくうち
誉められることも時々ありました。


思考、承認欲求、損得が
絡んでいない、ただ純粋な
がむしゃらさだけでやってきたことなので

とても嬉しい反面、

その「誉められチャンピオンベルト」を
死守したい!などと
おかしな欲が出ることがありました。



もちろん、そうなると、
他者基準にスライドしているため
らぶ*なんか出るわけありません。


そしてスランプになり

他人の方が調子が上がってきて
追い抜かれていく・・
わたしだけ置き去りにされるという
不安がよぎり


また、奈落に落ちきると


当初の自分の目的はなんだったのか?

と問い直すわたしが
白い馬に乗って現れるのです。


ぶれた軸を建て直すとき
ゼロに戻そうと思える一番大事な気持ちは


あい!

わたしからわたしへの、あい。らぶ!


他人、評価されるわたし
どう見られるか?も関係ない
愛は沸いているか?

そこに思いは募っているか?

あいは、あいでしか
動かない。


「らぶ!のみ!」とハートが答え

「わたしはらぶを伝えたいだけ!」と
褒められチャンピオンベルトは
全部捨て


いま、もう一度ゼロから行く!と仕切り直す
あたらしい一連の出来事が
何回もあり

あたらしいパターンとして
わたしの中にインプットされて行きました。



結局は競争という場に放り込まれても
最終的には

なにくそ根性でも
ひとより秀でたいでも
見返してやるではなくて


自分の屋台骨が一番大事。

それありきなのだなぁと。


わたしにとってのこの経験は、

ぶれることがあっても
真ん中に戻るということを
体感で掴み、

それを太くしていく
カルシウム養成講座だったのです。



そして、この一連は
これまで避けてきたり
放り出してきた人生に照らし合わせてみたら

あのとき、何をしそびれて
どこを大事にすれば良かったのか?が
よく見えるのです。



これ、もしかしたらあの頃、
ちょっとでも
らぶ*が育っていたなら・・・


この一連
部活も含めて十代の頃のなかで
学べたことだったのかもしれないなぁー


などと・・
たらればも浮かびましたが

わたしには
このタイミングが必然だったのでしょう。



どんどん反抗期が終わっていく・・・・・


先生始め、周りの皆さんも、ありがとう。


わたしも、がんばりました!

ありがとうね。

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