アクセルを踏むのが早かったのかもしれない
5月の後半に入った途端、微熱の37℃あたりをうろうろし続けて一向に下がらず体が重くて重くてまったく動けない日、ばかりで。
以前から定期的に長期にわたってアレルギーが悪さをするらしく流行り病の類ではなさそうだ、と見込んで、ただただ転がって過ごしている。
こういう時、不思議なことにすべてが良くない方向に向かってしまうもので、知りたくもないことを聞かされたり、言葉の端々にとげを感じたり、小さいことも大きいこともダメージが積み重なる。
そうしてるうちにメール1通を読むことも、LINE1件を返信することも、とてつもなく体力を奪われてしまって、表示される未読の通知が増えていく。
簡単なこともできなくなってしまう。会社を休み始めた時も確かこんなんだったな、と思い出しては成長していないことに悲しくなってしまう。
それから自分ってだめなんだろう、と負のループに入ってしまっていた。
これまでも何度だってあったはずだけど、そのたびに、どうやって立ち直ってきたんだっけ、を思い出せずにどんどん深みにはまっていく。
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好きだと思っていた、写真を撮ること。
でも、どこかへ行く元気もなければ、撮りたい物すら浮かんでこない。
SNSを見るたびに素敵だと思う反面、勝手に羨ましくなったり嫉妬してしまったりしそうで、ほとんど見るのをやめている。
心が悪い方に、悪い方に向かってぐらぐらしてるうちに、いい方にはぴたりと動かなくなってしまった。
だめなときは何をしたってだめなんだよな、とため息をつく。
そもそも何を撮りたかったんだっけ、何を撮っている時が幸せだったんだっけ、ってカメラロールを遡ってみた。
そしたら、春を待つ沖縄が残っていた。
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体の芯まで冷えてしまう京都の冬とは違って、朝の空気があたたかくてやわらかかったっけ。
空がだんだん明るくなってピンクと水色が混ざり合う。
葉の影一つとっても、こっちよりくっきりしてる気がする。
道の向こうに海が見える世界線に生きていられたら、どんなにいいだろう。
普段見えていない星も、ここでは手が届きそうなほど。
朝露がしっとりしている姿さえ、愛おしかった。
どこを思い出しても、時間がゆったり流れていた。それもただただ穏やかな心地いい時間。
体質に合ってるんじゃないかな、とさえ思う。
懐かしくて、いつもおかえりって言ってもらえそうな場所。
この空気感をまるっと残しておきたいって思って、カメラを持って走り回ったんだ。
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GWの終わりと同時に転職活動を始めた。それも割とフルスロットルで。
早く働かないと……ううん、どこかに所属しないと、その資格を誰かに認められないと、価値がなければ生きてる意味もないんじゃないか。
そんな風に考えていた。
でも、元々得意じゃない自分を売り込むのはまだまだしんどかったみたい。
画面越しに「第一希望で」「すぐに働けます」って笑顔で、元気に言い続ける度に、どこかで違和感を覚えていたのも、多分本当。
体調を崩したのは、自分へのブレーキなんじゃないかと考えてみるのはどうだろう。まだまだ本調子じゃないのだとしたら、きっと無理するタイミングじゃないはず。
それから、どうしたら心地よく過ごせるかを考えてみよう。止まっていた心が少しでも動く様に。
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