自己紹介✴︎インプット編and新しいアートの世界へ
先日は、自己紹介の仕事編を書きました。固定記事にしたこともあり、沢山のスキ❤︎いただいてありがとうございました。
それがこの記事↓↓↓
いやはや、いろんな仕事やってきましたね。
そして、この43年、いろんなことを学んでもきました。結構多方面にわたっており、今に繋がっていますね。何も無駄はなかったですね。
今回は、9ヶ月後(いや、もう8ヶ月後かな)から始めたいと思っている、アトリエ関係に直結する内容になるので、頑張って書いていこうかな、と思います。
ちょっと長くなります😅
まず、チビの時の頃から書いていきますね。
小さい頃から興味のあった分野
小中高と公立に通いました。普通の小学校です。ただ人と違うのは…学校に馴染めない上に、小学校四年生の時に家庭の事情で夜逃げを経験しています💦
お陰で人とのコミュニケーションが苦手で、友達は動物😥でした。家で買っていたポチという雑種の犬だけが心開ける相手。
そして、家で内職をしていた母親の横でお絵かきとかなにかを作ったりしている時間がとても長い子供でした。
母親の仕事は子供が3人いたので家でできる内職。これが凄かったのです。高級編み物の内職で、おそらく高級ブランドのセーターなどを手編みしたり機械網をしたり、精密な仕事ぶりだったと思います。
出来上がった製品を見ては、感激していたのを覚えています。
色とりどりの毛糸やボタンに囲まれて育ちました。
人とコミュニケーションが取れない上に、学校にあまりちゃんと行かないため、成績が悪い😓しかしながら美術と音楽だけはズバ抜けて良くできていました😊
目指した大学は芸術系
夜逃げなどのパプニングはあるものの、人並みの学力はあり、あとは男の人が放っておかないような人並みの美貌(爆笑)だけは持ち合わせていたので、
普通の高校生だった私。
進路を聞かれて、どうしてもやりたかったのはトリマーという職業。思いっきり技術職ですが、母親はちゃんとした会社に就職して、ちゃんとした人と結婚して、ちゃんと幸せになってほしい、と。トリマーを大反対されて、それならばちゃんとした大学に行くから文句はない?と聞いたところ、オッケーとのことだったので、
芸術文化を学ぶ学科四年生大学を目指します。
美術学科…これが問題だった。ルネッサンス、印象派、キリスト教文化から、心底素晴らしいと思うヨーロッパ文化。一心不乱に勉強したのに…母親から言われた「学費が払えない💦」と😥
こんなことってあるんですよね。無理して奨学金をもらったり、借金してまで入学しても、留学や研修にヨーロッパへ行ける経済力はあるのか…バイトをいくつも掛け持ちしてなんとか卒業しても、職はどんなものにつけるのか、全く未知で自分でも挫折してしまいました。
でも、やはり興味のあるものは、変わらないのですよね。今でもヨーロッパ文化、絵画、本当に大好きです。
ここからは、ちょこちょこと学んだことを箇条書きにします。
ガラス細工・ヴェネチアンガラスアート
先ほども書きましたけど、ヨーロッパの建物や文化とか絵画などに惹かれている私は、とあるヴェネチアンガラスアートというお教室に通うようになりました。
会社員で働きながら、材料代がかかるのでめっちゃ節約しながら、2年通っていました。
とても綺麗なアートで800度の電気釜で焼成してアートするもので、主に小物皿や箸置き、アクセサリーなんかを作っていました。
ステンドグラス
ガラス細工から派生して、ステンドグラスの分野へ。これは一年ほどやっていました。
とても楽しくて、ガラスはこだわってヴェネツィアガラスを仕入れてアートしていました。
この趣味は、ずっと続けていきたかったけど、結婚して子供ができると、夫から子供がガラスで怪我したらどうする!と毎日叱られてました。で、辞めてしまいました💦忙しかったのもありますが😊
ジェルネイル・ネイリストの世界へ
主婦になってからジェルネイルを体験しました。当時はまだまだやってくれるサロンもほとんどなく、単価は一回のネイルで二万円ほど。
これ、趣味でやるというよりも、自分で商売がしたい!と思うようになり…夫の同意が得られないまんま、セルフジェルネイルを先生に教えてもらう❗️と半ば騙した形で先生から学ぶことになりました(笑)ヤンチャですよね。
そして、2年間ぐらいかな、先生のところにちょこちょこ通って、子育てしながら練習を繰り返して、ジェルネイル検定一級まで取得。
晴れて自宅サロンをオープンします。
結構繁盛しました。でも、材料代がかかる💦そして思ったようなアートが完成しない😓その原因は色にある!と思い、また違う道を模索しはじめます。
色の世界へ、色彩心理の世界
ネイリストとして仕事をして家事をし、子育てをしながら、現・株式会社ハレルで原タカコ先生から色彩心理を学びます。
同時に混色について学び、ジェルネイルの施術の際のコストダウンを図ることに成功。
色彩の勉強の方は、とても楽しくて、初級、中級、上級とすすみ…
色だけでなく人間の心理や、メイク、ファッション、カラーコーディネートなど、色が関わるところを先生と生徒さんと一緒に学び始めました。
特に、メイクは全く未知の世界で、興味がなかったところなのにかなりハマりました。みるみる変わっていく自分。見た目の美しさを磨くこと、心の美しさとは…など、沢山興味が湧いてきた時期でした。
心の世界へ・アドラー心理学
心の世界に興味を持ち始めた私は、その当時『嫌われる勇気』で有名になっていた岸見一郎先生の講演会へ行くようになります。
岸見先生のアドラー心理学のお話はすごく引き込まれて、自分の生活にも沢山取り入れるようになります。
イライラしたり、葛藤したり、しんどかった自分の心の中が溶けていくような、そんな感覚。ずいぶん楽にはなった。そして、アドラー心理学は子育てに多分に取り入れていましたので、その影響で息子はすごく素直で素敵な子供に育っていきます。
心屋仁之助・マスターコース受講(76期卒)
心の中を学ぶうちに、自分の生活や自分の家族のことについて考えることが多くなっていった気がします。
ありのままの自分では、愛されない。そんな強い思いに、頑張り続けた自分から逃げるように離婚をします。沢山の弱い自分にがっかりしたり、慰めたり。そんな自分をなんとか救ってあげたい…と、友人の勧めもあり、心屋マスターコースへ。
こうさかあきこ先生のクラスで半年間学ぶことになります。月2回、他の受講生と共に自分に向き合う時間を過ごしていきます。
心の世界を感じ切るための就職
自分の心の中を整理して、社会に出てやっていくことができるのか、人間関係に落とし込んで生活してみたい、あとは安定した生活のため!
そう思って、現在の会社に就職しました。
おかげさまで、人間関係に倒れるほど(笑)悩むことはなく過ごしてきました。少しはありますよね、やはり。
が、、、ものづくりに対しての考え方が、会社員としての時短や利益を求めるやり方と相反するところもあり、会社員として続ける難しさを感じました。
もう一度アートの世界に戻りたい
ネイリストを辞めた理由は、家業を夫婦で継ぐように、夫の家族に言われたからでした。もちろん抵抗しましたが、「そんなに稼げてないだろう」と言われればそれまで。
辞めてからもずっと、私のアートを大好きだと言ってくださっていたお客様の顔が浮かぶ。
信号待ちしている時、横断歩道の向こう側でキラキラしたネイルをお日様にかざして、にこにこ笑って眺めていたお客さまの笑顔…
忘れられなかったです。
好きな仕事をさせてもらえないことも離婚の原因の一つでした。
離婚を機にまた好きなネイリストの世界へ、という道もありましたが、自信も湧かないし、心の在り方を学んだ自分がどう変わったのかもみてみたかった。
でも、ネイリストをしていた熱い自分に戻りたい。またあの暑苦しい自分に戻りたくなりました。
私、もう一度アートを作り上げる世界に行きたいです。
会社員を辞めるまでに沢山もう一度学び、もう一度練習を重ね、ネイリストという形ではないかもしれないけど、この世に私のアートを作り出して、
誰かの元気をつくりだしてあげたい。誰かの癒しとなるものを作り出したい。
それが今まで自分がやってきたことの集大成かな
と、漠然と思っています😊
生活かたわら、アートの世界へ。アートで生きていくのは大変だ❗️
でも、もう決心はついています😊
貧乏でもいい、もう一度思う存分ものづくりの世界へ。
誰にも邪魔されない、自分だけのアートを。
note読者様には、応援してほしいです。
いっぱい届けたいです。
ネイリストをしていた時みたいに、たくさんの人に美しいと、思ってほしい。
だから、これからまた新しいカテゴリーで、マガジン出します✨
マガジン『新しいアートの世界への道』。お見苦しい修行画像が続くことと思いますが、実はネイリストの卵だった時も『ネイリスト検定への道』というタイトルのアメブロをしていたことがあり、それをみて沢山の励ましや、お客様も来てくださってました。熱い思いを綴っていきたいな、と思います。
あれから、歳をとってしまっていて、あの熱量は保たないかもしれないけれど😂泣き笑いして一緒に作り上げてもらえたら嬉しいです✨
長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。
サポートも感謝です🌟
スキ❤︎も嬉しいです。
フォローも大歓迎です「フォロバ100」です😍
今後とよろしくお願いいたします😊
※仕事してる時はこんな感じの人です…笑