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【読書】どこか狂気を含む恋愛小説集~『きみはポラリス』(三浦しをん)~

*この記事は、2020年3月のブログの記事を再構成したものです。


私の趣味の1つは読書で、図書館には2週間に1度は行っています。なのに現在(注:2020年3月)、新型コロナウィルス騒動のせいで、横浜市立図書館は閲覧ができません。でも予約した本の受け取りは可能なので、良い機会と思い、読んでみようと思いつつ読みそびれていた本を予約して読んでいます。


で、この『きみはポラリス』もその1冊なのですが……。

↑なぜか400円と表示されていますが、定価は737円です。


受け取って裏表紙の内容紹介を読み、「なぜこれを予約してしまったんだろう」と思いました。「最強の恋愛小説集」って……。

しをんさんの本という理由で「読みたい本リスト」には入れていたけど、内容を知らなかったのです。「きみはポラリス」というどこかとぼけた響きと恋愛小説が、結びついていませんでした。

でもまぁいいやと思い、読み始めたら……。


うん、結果的には読んで良かったです。解説の中村うさぎの言葉に同感。

三浦シェフ、どの皿も、本当に美味しゅうございました。 他人の恋愛物語というものは、ともすれば甘ったるくて食えたものではないのですが、そこはさすがシェフの腕の見せどころ、これほどまでに味わいの妙が施されていれば、普段は決して「恋愛小説」を口にしないこの私ですら、瞬く間にたいらげてしまいました。

ま、私の場合は瞬く間とはちょっと言えず、1週間かかりましたが……。結構重い愛の話が多いもので。でも重いのに、読むのをやめようとは思いませんでした。


印象に残った作品だけ、取り上げていきます。



「夜にあふれるもの」

しをんさんの出身校を思わせる、カトリックの中高一貫校出身の女性2人の物語で、以前ご紹介した『ののはな通信』に通じるものがあります。

でも『ののはな通信』以上に、学校とそこで学んだ聖書が登場人物たちというか、しをんさん自身に与えた強い影響を思わせる内容です。

主人公の友人夫婦の真理子と芳夫はマリアとヨセフ(人間としてのイエスの両親)から取られたんでしょうし、物語の終わり近くにある下の言葉も、聖書の言葉を踏まえています。

私は行く。求めても与えられず、探しても見いだせず、門をたたいても開かれることのない道を。

原典の言葉は新共同訳聖書だと、こうなります。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」 (新共同訳、「マタイによる福音書」第7章第7節以降)


「骨片」

主人公の祖母は、「体はどこも悪くないのにいつでも床に伏せって」おり、「風邪に対する異様なまでの用心」をするという、かなり異常な人です。でも主人公もまた、あんこ屋を営む実家だけを生きる世界とする、せざるを得ないという意味では、祖母と同じ穴の狢なわけです。

とはいえ物語の終盤、主人公は祖母とは違う道を選択することを決意します。

私の心の中に嵐が丘はある。(中略)そこには人間のすべてがある。私は小さなその土地に踏みとどまって、あらゆる移ろいを見つめ続ける覚悟をつけた。

コロナ騒動で多くの人が移動の自由を制限され、国によっては自宅に閉じこもるしかない今、この言葉が染みる気がします。


「森を歩く」

この作品、読んだ記憶があるんですよね。途中で、その後の展開が分かったので。でもこの作品の初出って、『結婚貧乏』っていうアンソロジーなんですよ。それを読んだ記憶がないし、題名からして読まなそうだし、不思議です。


「春太の毎日」

この短編集の中では上記の「森を歩く」と共に、数少ない気を抜いて読める作品です。他の作品はすべて、どこか狂気とか後味の悪さを含むものなので。






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