【読書】この本での「子ども」には若者も含まれる~『子ども白書2022』(日本子どもを守る会編)~
表紙の絵の可愛らしさに加え、カバーの見返しと冒頭に「児童憲章」があるので、この本が指す「子ども」は乳幼児から小学生までかと思い、読み始めました。学校教育法的には、児童は小学生のことなので。
しかし読み進めるうちに、中高生・大学生に加え、どうも20代の一部も含めているらしいと判明しました。そういう意味で、『子ども・若者白書』と呼んだ方が、内容を反映していると思います。ただそれでは、内閣府が発表している『子供・若者白書』と被ってしまいますね。
ちょっと気になったのは、時々カタカナの専門用語を、きちんとした説明なく使っていること。言うまでもなくそれぞれの著者は専門家なわけで、自明の理として使ってしまうのでしょうけど、知識のない人が読んでも分かる文章になっているか、編集の段階でチェックが必要ではないでしょうか。例を挙げるとすれば、アドボケイト(アドボカシー)が意味するものが、最初どうもうまくつかめませんでした。多分その言葉が出てくるのが3記事目にあたる、坪井節子さんの「一時保護の司法審査・意見表明等支援制度」を読んで、ようやく分かりました。つまり、子供の意見表明を支える人、ないしは支えること自体を指すのですね。
以下、心に残った部分を備忘録代わりに書いておきます。
成田弘子さんが東京大学大学院の酒井邦嘉教授の言葉を引用した、「液晶画面で読むものは紙の教科書と違い、『空間的な手掛かりがつかみにくい』ため記憶に残りにくく、『ネット検索で情報過多になり、考える前にすぐ検索してしまい頭を使わなくなる』というのです」という言葉には頷かされました。
インタビューのなかでの山崎ナオコーラさんの言葉も印象的でした。
遠藤さんが引用していた、神奈川県の黒岩祐治知事が署名活動を行っている高校生に語った言葉も印象的でした。
山下美紀さんの記事で引用された、「小学生でも1割以上が、高校生では3割近くがネット依存度において『病的利用』の状態」、「中程度以上の『うつ状態』である小学生が9%、中学生が13%」というデータは衝撃的でした。
重い宿題です。寛容については、以下の記事もご覧ください。
『スマホ脳』や『最強脳』の翻訳者として有名な久山葉子さんが、インターネットのメリットについて語った以下の言葉には、ちょっと考えさせられました。
なお『スマホ脳』と『最強脳』の感想は、以下の記事をご覧ください。
デジタル資本主義について語った藤田実さんの言葉には、大いに頷かされました。
暗澹たる気分になったのは、同じ藤田さんの以下の言葉。
新聞を読まない大学生は、ネットの情報は100%中立だとでも思っているのでしょうか。
また、以下の言葉は心に留めねばと思いました。
グレタ・トゥーンベリの活動のキーワードの1つである気候正義(Climate Justice)」について、高橋英恵さんの記事でまとめられていました。
また同じ記事にあった、「公害が差別を生むのではなく、差別が公害を生んだ」という言葉も印象的でした。
福嶋尚子さんの記事で語られた、公立の学校における教員の現状の過酷さは、想像以上でした。福嶋さんの以下の指摘には、心底同意します。この指摘は、私立の学校にも当然当てはまります。
須藤遙子さんの「子どもが再び『少國民』になる日 コロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻のなかで」で述べられた、ゆるキャラをはじめとするあの手この手で、子どもたちにとって自衛隊を身近なものにしようとする手法には、涙ぐましさと同時に恐ろしいものを感じました。たとえそれが今のところ、慢性的な自衛官不足を補うことにはつながっていないにせよ。
なお同記事の中で触れられている『はじめての防衛白書』ですが、なんといいますか、いろいろ考えさせられます。
中山祥嗣さんの「環境が子どもの健康に影響する」も衝撃的でした。データに基づく日本やアメリカでの発達障害の急増ぶり、そして化学物質が子どものIQや出生体重に確実に影響すること、そしてそれが国としての経済損失につながること。「一人ひとりの影響は目に見えなくても、国のレベルになると大きな影響として現れる」という言葉は、心に留めるべきです。
田中智子さんの「障害のある子どもの母親の就労とケア」に出てきた「マミートラック」という言葉は初めて知りました。「子育てに支障のない働き方、すなわちパートタイムや非正規、あるいは責任が大きくない仕事を引き受けるなどの選択」のことだそうです。
平澤慎一さんの「成年年齢引き下げ 若年者の消費者トラブル増加の懸念」の内容も深刻でした。
この一連の動き、意外と根が深い気がします。国民投票は実際にはまだ行われていないので、その時にどうなるかは分かりませんが、18歳・19歳の人を始め、若者の国政選挙における投票率は現に低いですよね。でも投票権自体は与えられているのだから、投票に行かなかったところで、その結果は受け入れざるを得ないわけです。たとえその結果、憲法が改悪されようが、徴兵が決まろうが……。
加えて金融教育という名の、投資の勧めとしか思えない教育も始まっています。「成人なんだから、自己責任で資産を増やすよう、投資信託とかもやってみましょう」とか言われて、言われるがままに変な商品を買い、元本割れしようが、自己責任、と。
平澤さんがおっしゃる通り、「つけこみ型不当勧誘取消権」(知識・経験・判断力の不足など消費者が合理的な判断をすることができない事情を不当に利用した場合の取消権)」は、必要だと思います。
嵯峨山聖さんの「学校で希望と連帯を紡ぐ 文化祭での『蟹工船』の映画製作を通じて」で紹介された「学校は、私たちが希望を見つけ、生きることを励ます場所であってほしい」という言葉には、教員の一人として背筋が伸びる思いでした。そういう場所を作るよう、及ばずながらがんばらねばと思います。
見出し画像には、「みんなのフォトギャラリー」から可愛らしいイラストをお借りいたしました。