【読書】建国時から変わらないアメリカ~『対米従属の起源「1959年米機密文書」を読む』(谷川建司・須藤遙子編訳)~
*この記事は、2019年6月のブログの記事を再構成したものです。
この本は、1960年の日米新安保条約調印前後に書かれた2つの文書を手掛かりに、アメリカによる日本への文化工作を暴き出しています。米国立公文書館所蔵の機密解除文書「マーク・メイ報告書」の全訳と須藤氏による解説、そして「精査報告」の部分訳と谷川氏による解説からなっています。
読んでまず感じたのは、アメリカという国は建国当時から変わらないんだなぁということ。先住民を追いやりつつ西部開拓を進める時には、「マニフェスト・デスティニー」(明白な天命、膨張の天命)を主張し、ウィルソン大統領は、「ラテン=アメリカに対し民主主義の理念を広めるという、道徳的使命を果たさねばならない」として、宣教師外交を行いました。民主主義の正しさを微塵も疑わず、それが根付いていない国や地域にそれを広めることは、「神が合衆国に与えた使命である」というわけです。まさに本文中で引用されている言葉を借りれば、
というわけです。
ま、自覚はなくはないようで、日本で配給するアメリカの映画を選出するにあたり、
と、メイも分析していますが。ちなみにUSIA(アメリカ広報・文化交流庁)は、日本を含め各国で文化工作を行っている元締めです。
いや、民主主義自体は良いんです。それをいうなら、21世紀の今でも、日本には真の民主主義は根付いていないのかもしれない。問題は、根付かせようとしたのが、あくまでも「アメリカ流の民主主義」であるということです。
というわけで、第二次大戦後の日本にも改めて民主主義を根付かせようと、あの手この手で奮闘します。「まえがき」を引用すると、
とのことです。しかも、やり方の効率の良いことといったら! 割と容易にアメリカ寄りの方向に引き込めそうな人だけでなく、労働組合のトップなど、「ちょっと頑張って引き込めば、その波及効果がすごい」人をターゲットにするのです。本文中の言葉を借りるなら、
ですね。
そして、工作の背後にアメリカがいることは基本、隠そうとします。場合によっては、アメリカの関与が明らかになると、手を引くことさえする。直接セミナーのスポンサーになることとかも避け、市の教育委員会とかをスポンサーに「国連セミナー」と称するものを開いたりするわけですが、国連は英語で言えばUnited Nationsで、それって第二次世界大戦における連合国のことだってことを思えば、隠しているんだか隠していないんだか……。でも圧倒的多数の日本人は、国連と聞けば公平なものだと思ったんでしょうし、今もそうなのでしょう。
読んでいて頭が痛くなったのは、世論調査での日本人の「わからない」「無回答」「どちらともいえない」の多さ。例えば1958年の世論調査における、自衛隊の拡大に賛成か反対かという質問に対し、20%が「わからない」なのです。
考えた末に、どうしても結論が出せず、「わからない」「無回答」「どちらともいえない」なら分かりますが、何か違う気がするんですよね。この問題についてはメイ自身も考察していますが、当時も今も変わらず、日本人は「自分の意見を他人はどう思うのか」ということを気にしすぎるのだと思います。自分の意見が少数派であることを、異常に怖がるというか……。
人の顔色など気にせず、自分の思うことを言いなさい、と声を大にして言いたいです。意外と他の人だって、同じことを思ってたりするのだから。
<追記>
『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』を読むと、令和の若者では他人にどう思われるか気にしすぎる傾向が、更に強まっていることが分かります。
あと、脱力したのはメイが引用している日本の知識人たちの言葉。
「何がわからないかも、わからない」、ってやつですね……。
でもひょっとしたら、「わからない」と言ったり黙っていたりするだけなら、まだましなのかも。
と文中にあるのですが、もやもやと抱えている気持に言葉を与えられると、変な風に活気づいちゃうのが現代の問題ですよね。現実世界でもSNSでも、声の大きい人の言葉に賛同し、乗っかるという。ポピュリズムを通り越し、衆愚政治になりかねません。
かなり歯ごたえのある本ですが、たまにはこういう本を読み、いろいろ考えてみるのも良いかもしれません。