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【読書】二足のわらじを履く上での覚悟~『未来のだるまちゃんへ』(かこさとし)~

かこさとしさんが、子ども時代からの自分の人生、そして折々に思ったことをまとめた、自伝に近いエッセイ集です。

↑kindle版


読み始めてじきに出てきたのが、以下の痛切な言葉。

飛行機乗りに必要な数学や理科は勉強したけれど、国語なんか必要ない、西洋史、東洋史なんか、そんなもの覚えたってしょうがないと全部切り捨ててしまった。なんて短絡的で、浅はかだったのか。暗愚の至りです。放棄したものこそが人間には、人生には、必要だったのだと、後になってわかりました。歴史の流れ、社会の動き、政治経済の問題、そういうものを知ろうともしないで、全部失った後でしまった、こんなはずじゃなかったと言っても、もう遅い。あとの祭りです。


「使えないもの」を切り捨ててしまう、プラグマティズム的傾向が年々強まる今だからこそ、心に留めておきたい言葉です。


子どもというのは本当に好きなことなら、こんなふうに何としてでもやるものだと、僕は思います。「やりたいけどできなかった」っていう言い訳は、やっぱり通用しません。どうしてもやりたいなら、親や先生の目をごまかしてでもやればいい。そのくらいの知恵は子どもだってあるはずで、それぐらいの意気込みがなかったら、自ら水準を高めて、何かを達成するというのは難しいんじゃないかと考えます。

子どもに限らず、大人だってそうですよね。「本当にやりたいことなら、誰になんと言われようと、やらずにはいられない」、そこまでの意気込みで私はやりたいことに取り組んできたかなと、反省させられました。


紙芝居は日本独特のものです。日本にしかありません。一見、絵本と同類のようですが、違います。紙芝居っていうのは、文字通り、「芝居」なんです。

これは初耳でした。


子どもたちも自分たちが生きている世界の姿、実体を知りたがっているのです。どういう仕組みで動いているのか、成り立っているのかを知りたいと思っている。でもその糸口が見つけられずにいるわけです。

この世界はどんなふうに出来ているのか、そして人々はそこでどうやって生きているのか。その理解を手助けするために、先に生まれて、失敗などしてきた先駆者として僕なりにまとめた見取り図を手渡してやること。それこそが、僕が絵本を通して、子どもたちに伝えたいと思ってきたことでもあるのです。

これらは教員として、心に留めておくべき言葉だと思いました。


意外だったのは、あれだけの量の絵本を書いてきたかこさんが、マイホームパパとは正反対であったこと。結婚するにあたっては、「セツルメントの活動を最優先する」とご細君に通達したそうです。低所得者層への医療支援を中心としたセツルメント運動については、初めて知りました。今の時代でもというか、今の時代からこそ必要な運動だと思いますが、もう今はないのでしょうか。


サラリーマンと絵本作家、二足のわらじを履き続けたかこさんの覚悟も、印象的でした。

僕は、最初から「会社では百パーセントの力を出していたんじゃダメだ」と思っていました。もっとはっきり言うと、会社で八十パーセントの力を出して、残りの二十で、もうひとつの方をやろうなんて、さもしい考えでいたのでは、会社で生き残れないばかりか、問題をおこす。百パーセントどころか、百二十パーセント出して、何かあっても「文句があるか」と、こっちが開き直れるくらいの仕事ぶりを発揮した上で、やらなければならないと考えたのです。

私も二足のわらじをはくことを目指してきましたが、これだけの覚悟があったかなと、これまた反省させられました。


見出し画像には、カラフルなだるまさんの画像を使わせていただきました。


↑文庫版


なお、この『未来のだるまちゃんへ』を読んだきっかけは、「ビッグイシュー日本版」(VOL.412)で取り上げられていたからです。


また、『未来のだるまちゃんへ』の中で『ソロモンの指環』に触れた部分があるのですが、同書の感想は以下の通りです。


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margrete@高校世界史教員
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