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【読書】設定は面白い~『ひかり舞う』(中川なをみ著、スカイエマ絵)~

スカイエマさんの絵が目につき、手に取ってみました。

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子ども向けの時代小説です。本能寺の変や秀吉の朝鮮出兵などが背景として描かれていますが、主人公は架空の人物なので、歴史小説ではありませんね。


子ども向けを意識しすぎたのか、文章の達者な子どもが書いたような文体が、ちょっと気になりました。しかし後半になると、自然な文体になっていきます。


素振りをつづけたいわけではない。できたら、すぐにでもやめたいほどだ。武術など、この世からなくなってしまえばいいとさえ思う。たまたま男に生まれてきたばかりに、朝晩の素振りからのがれられない。

p.6

武士の子でありながら、こんなことを考えてしまう平史郎が主人公です。紆余曲折の末、彼は縫い物師となります。


「おまえにやるものが、なにもない。だから、父上の言葉をつたえる。『慈しめよ』と、つねにいうておった。しあわせになるためには、自分も他人も慈しむことだそうだ」

p.57

母と別れる際、平史郎が言われた言葉です。


対馬は不思議なところだった。
日本国なのに、多くの朝鮮の人が居住していた。日本人とはまったくちがった朝鮮の民族衣装を着て、朝鮮の言葉で話している人たちが平史郎にはめずらしくてならない。
対馬の北方に朝鮮があるが、わずか十数里しかはなれていない。古代より、対馬は日本と朝鮮をむすぶ大事な拠点だったため、交流もひんぱんだった。
(中略)おどろいたことに、対馬には朝鮮の言葉を話す日本人もいっぱいいるとのことだった。
宗家で働いている女性の中にも、朝鮮の着物を着ている人が何人かいた。日本の女性でも、朝鮮の着物を着ている人がいるというから、彼女たちが朝鮮の人かどうかはわからない。朝鮮の女性の着物は、下がふわりとひろがっていて仕事をするのに便利だということだった。

pp.166-167

最後の段落の記述が史実にのっとっているかは分かりませんが、そうであっても不思議ではないくらい、対馬は距離的にも文化的にも朝鮮半島に近いのだと、実感しました。


根来寺がやかれ太田城が落ちたあと、雑賀衆はほうぼうにちったが、拠点は北九州にあった。朝鮮への戦がきまったとき、彼らは加藤清正(秀吉が信頼する家臣で、行長とは対立することが多かった)に高額な金でやとわれて鉄砲隊の本領を発揮したが、清正の冷酷な戦いぶりに嫌気がさして、清正軍を脱走。この戦はあきらかに日本がまちがっているとして、朝鮮の一般の人々の反乱軍に身をよせた。

p.195

この記述も史実かは分かりませんが、そういう義侠心のある人たちがいたのであってほしいです。


ちなみにこのお話、途中からはジュリアおたあ(おたあジュリア)の話になっていきます。もちろん最後まで、表面上の主人公は平史郎ですが。しかしキリシタンとなったおたあが、頑なに神社に行くことすら拒むシーンはリアルです。信者になって浅い人が見せる頑なさですよね。信仰が熟成されてくると、他の信仰にも寛容になっていく人が大半ですが。


平史郎は周二に、「あなたは何者ですか」と聞きたい。どこからきて、どこへいくのですかとたずねたい。それほどに、周二は平史郎の歩むべき道すじを見通している。つまらない横道にそれず、まっすぐに歩いていけと静かに示唆する。周二との出会いは偶然だったのだろうか。善意にあふれた偉大な力が、この自分のために送ってくれた人のように思えてしかたがなかった。
(中略)
(周二どのを送ってくれたあなたはだれですか。どこのだれですか)

p.227

この疑問が、ラストに向けた伏線と言えます。初出は『百万人の福音』ですし。まぁ考えてみたら、伏線は最初からあったと言えますね。


「だからデウスさまのお力にたよりたい。人も世の中もつじつまのあわないことだらけだが、すべてはデウスさまのご計画どおりなのだ」
「では、神様は人が苦しむのをわかっていて、ほうっておかれるとおおせですか?」
行長が、ひざにおいた両手をにぎりしめている。
「平史郎。神は人のすべてを理解するが、人は神のすべてを理解できない。なぜなら、偉大すぎて把握できないからだ。われわれは神を信じて自分のおかした罪のゆるしをこうしかない。神はかならずわれわれに最善をなしてくださると信じるしかないのだ」
偉大すぎて全容を理解できないものをひたすらに信じていく。つらいことだと思った。そのうえ、神は人間の目に見えない。なぜそんなにつらい道を歩もうとするのか、平史郎にはまったくわからなかた。

p.326

キリスト教(他の宗教もそうかもしれませんが)が抱える最大の疑問の一つである、「神がいるのなら、なぜ戦争や災害が起きるのか」という問いへの答えが書かれています。これに納得がいくかは、人それぞれだと思いますが。


最後は結局「神落ち」というやつで、ややがっかりしたところもあります。感動のラストだと思った方には、申し訳ありませんが。あの後平史郎がどのような道を選ぶかは、書かれていないものの、ほぼ明らかですし。


武士の家に生まれた男子でありながら、縫い物師の道を選ぶ主人公という設定が面白かっただけに、結局描きたかったのは「それ」か、と思わなくもありませんが、戦国時代末期をちょっと珍しい視点から描いた作品であることは、確かです。


見出し画像は伏見城です。遊園地のアトラクションの一つとして建てられたもので、作品当時の姿ではありませんが。


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