【読書】物語の結末が暗示されている~『プリニウス 1巻』(ヤマザキマリ、とり・みき)~
*この記事は全12巻を読んだ上で再読した時の感想です。よってネタバレに相当することも書かれていることを、ご承知おきください。
完結編の12巻を読んで、もう一度1巻から読み直すことにしました。
↑kindle版
今巻の第1話は、12巻のラストの少し前を扱っているわけですが、10年の時を経て、絵柄が全く変わっていないところがすごいです。『プリニウス』を描き始めた時点で、しっかりキャラクターの顔等の設定が固まっていた証ですね。唯一エウクレスの顔が、ちょっと違いますけれど。
以下、備忘録代わりに印象に残ったところを引用します。
タブレットは粘土板を指すと思っていたのですが、蠟板も指すのですね。蝋板は何度でも書き直せるので、便利そう。
プリニウスのお言葉。
これもプリニウスの言葉ですが、そう達観していたからこその、あの最期だったのかと思います。
プリニウスとエウクレスの会話ですが、エウクレスの自由意志のようにして、まんまと記録を残させたプリニウス、あくどいとまでは言いませんが、ちょっとずるいです。
しかし第1巻に、すでにウェスパシアヌスが出ていたことに、びっくり。
ここでもプリニウスの最期が暗示されています。
ブラーシカはキャベツのことですが、キャベツといえば、ウェスパシアヌス! この段階では偶然かもしれませんが、もしいずれウェスパシアヌスのキャベツ作りの話を描くことを想定していたとしたら、すごすぎです。
「グラエキアの医学書に出ていた」という言い方をしていますが、若き日のプリニウスが実践するシーンが、2巻の96ページで描かれています。「3日間腹を壊した……しかし咳はてきめんに出なくなった」と、プリニウス自身が言っています。11巻の179ページでは、同じシーンが形を変えてもう一度描かれ、「容態が悪化した」となっていますが、一時的に悪化したけど効いたというのが、本人の実感なのでしょうか。
半魚人(ネレイス)が、この巻に出ていたことに、ちょっとしみじみしました。この時はプリニウスは半魚人に会えなかったけど、最後に半魚人の方から来てくれたんだなぁと。1巻でも、もしかしたら半魚人はプリニウスに会いにきたのかもしれない。
「マリ、あなたはもっと絵をがんばらなくてはいけないよ」というのが、すごいです。というか、そう言わしめた、とりさんの画力がすごい。
半魚人を実際に出したことへの、とりさんの言葉ですが、とりさんがそう考えたこと、そしてそれをマリさんが受け入れたことで、この作品の奥行きが増したのではないでしょうか。
人が住まないような土地で地震が起きれば良いのでしょうが、地震はともかく、その原因の1つである火山が様々な恵みをもたらすからこそ、人が集まるわけですしね。
津波を前にしての、プリニウスの言葉。まさに「津波てんでんこ」ですね。
エウクレスに、「どうしてこの場所に逃げろと…」と問われた時のプリニウスのセリフですが、日本でも神社が津波の来ない高台に建っていたりしますものね。しかし、人間はもとより、「どんな神々も 自然の持つ力に勝る事はない」と言いきっているのが、すごいです。
「ここ最近この辺(引用者注:ポンペイ)ではよく温泉が湧く」と地元民に聞いてのプリニウスのセリフですが、後のウェスウィウス山の噴火が暗示されています。
ウェスウィウスなんですよ!
再読して思い出しましたが、初めて読んだ時も、物語の結末というか、プリニウスの最期が何度も暗示されていて、何とも言えない気持ちになりました。プリニウスがウェスウィウス山の噴火を観にいき、その結果死ぬことは史実として分かっているわけですから。やるせない思いだけど、でもどういう経過を経て、最後に至るかが気になるから、もちろん続きを読みたいなと思いました。
でも当初思っていた以上に、すでにこの巻に『プリニウス』という物語の結末が暗示されていたのですね。とりマリコンビの構成力に、瞠目する思いです。
見出し画像には「みんなのフォトギャラリー」から、プリニウスとフェリクス、エウクレスの出会いの舞台となったシチリア島(作中ではシキリア)の写真をお借りしました。
↑コミック(紙)版