冬隣り
昨日は、初氷、初霜が観測されました。とは言え、底冷えするような寒さはまだで、猫も元気にお出かけしています。
わたしも、久しぶりに近所の温泉に浸かってきました。と言っても、温泉とは名ばかりでして、塩素ですか、鼻につく臭いがしていましたが、安全には臭いは付き物です。
わたしにとっては、曰く付きと申しますか、忘れられない温泉です。
今日も、女風呂は向かって右側でした。わずかな期間、男風呂が右側で、女風呂が左側のことがありましたが、ある騒動のお陰で(それとも、せいで?)、間違わぬように週代わりはなくなりました。
右側の女風呂を堪能し、垢擦りもやってもらいました。もちろん別料金です。
垢擦り中は夢見心地で、俳句は浮かんできませんでした。でも、帰るときに声を掛けられ一句、浮かんできました。
冬隣りお気をつけてと湯守の声
季語は「冬隣り」です。垢擦りのお姉さんが湯守(ゆしゅ)という訳ではないですが、たまたま耳にして、使って見たかった「湯守」を入れてみました。
擦られすぎて、少し痒くなった背中。でも、ぽかぽかして気持ちいい。
湯冷めしないように駆け足で我が家へ。ふと目をやると、石臼が埃をかぶっている。
昔、祖父母や両親、弟、家族が賑やかだった頃は、年末に家族総出で餅搗きをして、新年の挨拶を兼ねて、まだ柔らかい餅を親戚中に配りました。
わたしが餅を捏ねる役で、石臼に餅がへばりつかないように、手にみずをつけて、うまくひっくり返したもんです。
もろぶたが何段も重なるくらい餅を搗いて、丸めていく、そんな家族みんなでやる作業はとても楽しいもんでした。
餅搗きが終わった頃には、石臼で擦られて、わたしの爪は短くなっていました。
「カルシウムが入っちゅうき、餅を食ったら骨が丈夫になる」と父がおどけていたっけ。
でも、年の順にみんな死んでいったし、弟は県外だし、石臼の出番はなく、冷たいまんま埃をかぶっている、そんな句です。
そこからの発想で、さらに三句です。
石臼や餅肌忘れ寝正月
餅搗きの響き忘れし石臼や
餅搗きの響き懐かしい年の暮れ
今では、我が家だけでなく、近所の家からも餅搗きの威勢のいい掛け声も、杵が餅を搗く音もしなくなりました。
石臼もあのぬくぬくした、餅の柔肌が懐かしいやろうな。あれ?もしかしたら、石臼って男だったんかいな?
道理で、祖父や父とは相性が合わなかった筈でした。