世界は知らない、分からないことだらけ。でもね、それがいい!
世の中、自分の目の届く範囲なんて、たかが知れてるし、知っている、分かっていることよりも、きっと、知らない、分からないことのほうが多いんだろう。
工夫すれば、もっと知ることも分かることもできると思う。でも、自分のキャパを越えて得た知識や理解は、自分を自由にさせるより不自由、不幸にさせそうな気がする。
知らなくていい、分からなくていいことを、「知りたいし、分かりたいから教えてよ~」と無理しちゃう癖があるわたし。
積極性と貪欲さは紙一重。
積極的で、前向きな人と善意に捉えてくれる人がまわりにいたら、わたしは自由を手に、組織や集団のなかで力を発揮する。
しかし、貪欲で図々しい、利己的な奴と思われると、自分の積極性が自分の首を絞める。
組織や集団は、おとなしく、素直に言われたことを言われた通りにする人を好むようだ。
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20代の頃、短期間だが海外で暮らした経験があるわたし。オーストラリアでは、「もっと自分を出そう!」と言われ、自分自身が解放されて帰国すると、「もっと抑えて、周りと合わせてください!」と言われた。
出したり、引っ込めたり。あの頃のわたしの個性は、ヤドカリみたいに周囲を見回しては用心深く、ソロリソロリと顔を出した。
それでも、たまにやらかした。
看護学校の学生だったわたし。2年目に看護実習が始まると、クラスに慣れてきたこともあって、つい、顔を出しすぎた。
「こんな風にやったら、いいんちゃう!?」
いろんな提案をしては、効率的に看護実習ができる工夫をしていった。しかし、上級生は古くからのやり方で実習をしていた。つまり創意工夫がなく、ダラダラと時間だけ過ぎていっていた。
個人的にも、そしてクラスの同級生も、創意工夫した実習にやりがいを見出だしていた。
だが、古いタイプの教師も上級生も、互いに変化を好まず、ダラダラと時間ばかり過ぎるやり方をするように求めてきた。
「社会人としての経験があって、工夫したいのは分かりますが、今は社会人として経験をしたことは忘れ、高校を卒業した頃の自分に戻ってください」と教師が言った。
意味が分からないわたし。
分からない、理解できないことをそのままにしておけないわたしは、教師に確認した。
知らなくていい、分からなくてもいいことを知る、分かることの代償は、人への不信感であり、この世の不条理への怒りと諦めだ。
「これまでのやり方をやろうとしない学生がいると、集団の和(輪)が乱れるし、一貫した指導ができない。」らしい。
意味が分からないわたし。
「3年生の実習グループよりも2年生の方の実習内容が優れていて、上級生のプライドが許さないって言っている。」らしい。
意味が分からないわたし。
「花留さんが上級生に呼び出されている!と先生に助けを求めに行ったけど、口では負けてないと先生が言って、帰ってしもうた。」と、同級生が苦笑しながら報告に来た。
おいおい、助けにこんかい! ますます、意味が分からないわたし。
知ろう、分かろう、繋がろう、とすればするほど孤立し、身動きが取れなくなった。
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ところが、3年生が卒業する頃には、実習のやり方が変わってきた。何がどうなったかは知らないが、いつの間にやら、わたしたちの創意工夫が採用されていた。
いつの間にか、わたしの立ち位置も変わり、居心地のいい看護実習の環境が整えられた。
年を取っていた割には記憶力もあり、成績はいつもトップだったわたし。実習先でもある大きな病院に就職するもの、と誰もが思っていた。もちろん、わたしも。
しかし、隣の大きな病院が独立行政法人国立病院機構になった年に卒業したわたしたち。誰一人、採用はなかった。
附属の看護学校だったので、成績がよい人は採用される慣習だった。
「引っ越し手伝いもやったし、来年はここの看護師になる!」すっかりそう信じていた。
まさか、国立病院から独立行政法人国立病院機構に変わることが、自分の未来にも影響があるなんて、知らなかった。
知っていたら、何が変わっていたのかな?
この世の中なんて知らない、分からないことだらけ。でも、それが幸せかもしれない。