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"コミュ"力と真心と
「どこか悪いところはないですか?」 「悪いところを教えてください」 「95%?ダメよ!96%以上ないと困ります」
耳を塞ぎたくなるような、心が疼く、そんな言葉が聞こえてくる。
電話による健康観察。観察表に従って質問をしていくが、どんな言葉を使うのか、どんな気持ちが言葉に込められているかによって、相手の受け方が違う。
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緩和ケア病棟にいたとき、「死にたいなんて言わないでください。死にませんよ!」と、終末期の人に声をかける看護師がいた。
いやいや、死ぬよ
受け持ちの患者が死ぬ。その事実を受け止められない、死にたいという心の声に応えられない看護師の弱さが、言葉からみえる。
自分が止められないものは、他人も受け止められないと思ってしまう。逃げてしまう。
別に、受け止められなくてもいい。受け止められない、動揺している、怖いと思っている自分がいる。そのことに気づくだけでいい。
担当看護師が目の前の「死」という真実から目を背けると、受け持たれた患者も、同じく自分の死から目を背けるしかない。
本当は怖い。でも、自分の体が死に向かっているのは、患者自身が一番分かっている。
緩和ケア病棟では、患者さんに食事摂取量を聞かなかった。食べれない事実、食べれなくなった事実を、それを数値にして本人に伝えさせるなんて酷いことは出来ない。
食事摂取量なんて、スタッフが下膳する時に確認すればよいだけだ。
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今、ガースー氏の"コミュ"力の無さが取沙汰されているが、このような非日常のときこそリスクコミュニケーション能力が必要だ。
耳に心地よい言葉、相手を傷つけない言葉を発するのが上手い人が"コミュ"力が高い訳ではない。
相手は傷つけないに越したことはない。それでも、言うべき真実は伝えるべきだ。
伝える情報の中身は同じでも、伝える方法や誰が伝えるかが大切になる。
ところで、電話による健康観察だが、埋めるべき項目は同じでも、どんな質問を投げ掛けるか、その言葉には相手を思いやる気持ちや覚悟はあるのか。そこが肝要。
自分が納得、安心するため、自分の気持ちを優先させて健康観察をしている人がいる。
その言葉が、その質問が、その態度が、その聞き方が、その声のトーンが、相手をどんな気持ちにさせるのかなんて考えないのかな?想像しないのかな?
普段はあんまり意識しない"真心"の二文字。
気くばり、心配り、思いやり、どんな呼び方でもいい。わたしの言葉や態度には、真心"がちゃんと添えられているかな?
イラストは、shiki_haraguchiさんのものです。ちなみに、95%とかの数値は血中酸素飽和度のことです。コロナでは、96%以上をキープとありますが、今後はそれより低くてもホテルなのかな、、。では、今から夜勤を頑張ろう!