見出し画像

1万円と決めて本を買う愉楽|自分をもてなす/05 #3|関野哲也

《徹底して楽しむために気合いを入れて、「この日は、人に会わない」と決める。そして、向かう先とは》

関野哲也(Tetsuya SEKINO)
1977年、静岡県生まれ。リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。フランス語の翻訳者/通訳者として働くが、双極性障害を発症。その後、福祉施設職員、工場勤務などを経験。「生きることがそのまま哲学すること」という考えのもと、読み、訳し、研究し、書いている。著書に『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』他。
Xnote

【お知らせ】関野哲也のnoteにて、セキラテスとフィロトンの対話シリーズを公開中 >【随筆】セキラテスと友人フィロトンの対話


ぼくの名前はセキラテス。ソクラテスもどきって言われている。きのうぼくは、友人のフィロトンの催す饗宴に招かれた。

「セキラテス、よくお越しくださいました」とフィロトンが玄関で迎えてくれた。「どうぞ中へお入りください。いまちょうど、みんなで語り合っていたところなのです。テーマはすなわち、きょう1日気分よく過ごすとして、いかにして自分をもてなすか?」と彼は説明した。

「自分をもてなす、かね。そうだね、よくよく振り返ってみると、若いときから、ぼくの自分のもてなし方は変わっていないようだよ」

「ぜひお聞きしたいです。ここにいるみんなも聞きたそうですし」と彼。

「つまらない話だがね。では、話してみるとしようではないか」とぼくは始めた。「ぼくは若い頃、奈良に住んでいてね。自分をもてなす特別な日には、電車に乗って大阪の難波まで出かけたものだよ。まず決まり事があるのだ。この特別な日には絶対に友人・知人に会わないってね。この日ばかりは日常を忘れるためだ。誰に気をつかうことなく過ごすのだ。この点では、かなり気合いが入っているってもんさ」

「え、いつも対話相手を探しているセキラテスが、人に会わないですって? それは意外ですね」と彼。

「うん、誰にも会わない。この日は自分が自分をもてなす日だろう? 自分の対話相手は自分ってもんさ」

「う〜む、セキラテス、うまいこと言えているのかはわかりませんが……」

「それはともかくだよ」とぼくは続けた。「難波に着いたら最初に向かうのは、ぼくたち哲学徒にとっての知の供給地、そうジュンク堂書店・千日前店さ。本代の予算として、奮発して1万円もっていく。ハードカバー1、2冊と文庫・新書を数冊買える計算さ。正直に言って、1万円では少なすぎる。しかしその少なさがよいのだ。なぜなら、書店で本を必死に厳選することができるからだ」

「確かに、わたしたち哲学徒は薄給ですからね。厳しい予算を逆手に取るとは、まるで対話相手の矛盾をつくようですね」と彼は感心している。

「ぼくにとって、ジュンク堂はワンダーランドってもんでね。ただ、この書店は惜しまれつつも閉店してしまったのだ。かつては1階から3階までのフロアに、実用書から専門書、さらには語学や芸術関連の本なども豊富に揃っていてね。見る棚すべてに心が躍る。数時間、店内にいても飽きなかったよ」

「特にどんなジャンルをご覧になるのですか?」と彼。

「うん、哲学書はもちろんのこと、宗教書、文学、語学をひとまわり見るね。古今東西の賢哲たちの言葉はチェックしないとね。それから、あまり興味のない分野の棚も見る。買わないまでも、この分野ではこういう本が出ているのだな、と確認するのだ」

「さすがはセキラテス、そうやって見聞を広めておられるのですね」

「うん、寡聞にして知らないことだらけだけどね」とぼく。「このあたりで少々疲れてくるので、昼食かたがた喫茶店に行く。喫茶店は空いていればどこでもよくて、たとえばサンマルクカフェでもいい。そして、買ったばかりの本にさっそく目をとおす。ブラックコーヒーを飲みながら本を読むなんて、至福の時間というものさ。自分をもてなすとは、こういうことだとぼくは思うね」

「それは同意します。わたしも喫茶店で読書するのが好きです。で、その後はどうされるのですか?」と彼。

「うん、お腹が満たされたら、次に向かうのはアメリカ村のタワーレコードさ。ここも、いまはなくなってしまって残念なんだが、ぼくにとってはワンダーランドだったね。ブルーグラス、カントリー、ブルース、ジャズのCDを見るってもんさ。ジャケットを見るだけで楽しいね。ミュールスキナーやサニー・テリー、ロバート・ジョンソン、ジョン・コルトレーンを知ったのもここさ」

「なるほど。セキラテスの音楽のルーツはそこにあったのですね」

「そうなのだ。さらに音楽を求めて北進する。ここアメリカ村はそれほど広くはないのだが、古着屋が多く立ち並んでいて、いつも若者で賑わっている。まさにぼくの青春の地さ。そして、三木楽器のアメリカ村店と心斎橋店に行く。アコースティックギターのコーナーをのぞくためだ。アコギというものは、芸術品だとぼくは思っていてね。楽器店とは、いわばアコギの美術館さ。とくに、Martin D28やGibson ハミングバードは美しいと思うね。美しいアコギのフォルムと木目を見ながら、どんな音がするのかと想像を膨らませるのが何より楽しいってもんさ。そうそう、いま人気のTaylorギターもいつか試奏してみたいもんだよ」

「セキラテスもアコギを弾かれるのでしたね」と彼。

「うん、だけど、ぜんぜん上手じゃないよ。人に聴かせられるもんじゃないしね。自分ひとりで音を楽しむだけさ」とぼく。

「セキラテスは、意外とお一人の時間が多いのですね」と彼はするどい。「そろそろお腹が空くのではないですか? 夕飯はどこかで美味しいものを召し上がるのですか?」

「いや、ぼくは若い頃から、美味しいものを食べたいという欲がないのだ。お腹が満たされればいい人間だからね。そうだね、夕飯は松屋の牛丼にサラダ付き。もしくは、ジュンク堂近くの金龍ラーメンもいいね。ご飯とキムチのお代わり自由ってもんさ」

「セキラテスがご自分をもてなすとしたら、好きな場所を巡るのですね。しかも、お一人で」と彼は、ぼくがお一人様なのを強調する。

「うん、ぼくは昔から好きなものが変わっていないようだね。一人の時間も相変わらず大好きだし。どうやら、ぼくは成長していないらしいね」

こうしてぼくたちはその後も語り合い、饗宴を楽しんだのだった。

文:関野哲也


>> 次回「今年の出来事/05 #4」公開は1月16日(木)。執筆者は安達眞弓さん


いいなと思ったら応援しよう!