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【日記】浅井歴史民俗資料館でバリアフリーを考える(22.11.19)

 高齢の母のリクエストで娘と三人で、週末に小谷城周辺の浅井めぐりの日帰り旅に行ってきた。ちょうど近江に住む友人の画家が装丁画を描いた浅井三代の物語を読み終えたところだったので、奇しくもタイミングが良い。戦国期に北近江を統治した浅井家は、信長の妹であるお市とその三人の姉妹をめぐる物語でも有名だが、今回はそれらの歴史話は省略する。


 娘は生まれつき下肢の麻痺があり、短い距離であれば杖をついて移動することもできるが、長時間は難しいので外出の際は状況に応じて車椅子を車のトランクに積んで持って行く。奈良から、いつものように瀬田南付近の自然渋滞に加えて、彦根周辺の工事による車線規制の渋滞にも巻き込まれて、滋賀県長浜市の小谷城跡の麓に建つ小谷城戦国歴史資料館にやっと着いたのはお昼手前だった。

小谷城戦国歴史資料館

 戦国歴史資料館は平屋で、入口からの距離も短かったので、車椅子は使わずに見てまわった。展示を見てから小谷城跡の本丸に近い番屋跡まで車であがって、娘には車で待っていてもらい、老母と二人で20分ほど登った本丸跡や長政が自刃した赤尾屋敷跡くらいを見てこようかと目論んでいたのだが、シーズン限定で麓から出ているシャトルバスが今日は運行しているために番屋跡までの林道は一般車は走れないということであった。有料のバスは30分おきに出ているが、それに乗っていくとなると娘を1時間半以上は車内に残しておくことになるので、残念だが登城は諦めた。これはこちらのチェックミスでもあるので仕方がない。

年間で30日ほどの限定運行バス。それ以外の日は番所跡前に車を停められる。


 小谷城跡から南東へ下った草野川沿いの、街道筋のような鄙びた集落の古民家を利用したカフェのランチはヒットだった。飛騨牛入りのパティをはさんだバーガーセットは絶品で、ボリュームも充分。娘は女性の店員さんとハリー・ポッターの話で盛り上がり、わたしは純和風な庭の陽だまりに置かれたハンモックやマウンテンバイクなどを眺めながらほっこりとした時間を過ごした。

ピクニックカフェ あかつき 前庭(長浜市東野町)
“ころころバーガーズ”


 ランチ後に立ち寄ったのが、浅井文化 スポーツ公園や市立図書館に隣接した浅井歴史民俗資料館である。ここは敷地が広そうだったので、はじめてトランクから車椅子を出してわたしがついた。入口を入ると、菖蒲池のぐるりに浅井三代をメインとした「郷土学習館」、江戸期の庄屋の屋敷を移築した「七りん館」、戦国期の鍛冶屋の作業場を模した「鍛冶部屋」、地域の主産業であった養蚕を説明する「糸姫の館」などが配置されている。

 「郷土学習館」へはU字にターンする形のスロープで入る。風除室に備え付けの車椅子も置いてある。入館料300円、障害者手帳を持つ本人と付き添い1名は無料である。1階の展示「浅井三代の間」を見てから、浅井三姉妹の再現人形などの展示がある2階展示室へあがろうと思ったところ、エレベーターがどこにも見当たらない。受付の女性に、車椅子はどこから2階へあがるんですか? と訊くと「あ、ここ、エレベーターないんです」 それで終わりだった。

 仕方がないので娘には階段だけ自力で上がってもらい、車椅子は折りたたんでわたしが抱えて持って上がった。2階に上がって気づいたのだが、2階の展示ケースは1階のそれと仕様が異なるようだ。縦長のケースは展示部分が車椅子の視線よりも高く、展示物が見えない。横の平棚タイプの展示ケースは車椅子の目線になる前上部の角に分厚い枠があって目線を遮ってしまうため、車椅子に座った状態では下から覗き込むような形でかろうじて中が見えるような具合だ。これまで娘といっしょに多くの博物館や美術館を訪ねたが、これだけ車椅子から見えにくい展示ケースははじめてである。どうせエレベーターがない2階だからか、と思わず邪推もしてしまいたくなる。

浅井歴史民俗資料館 郷土学習館2階

 2階の展示を見終えて、ふたたび車椅子を抱えて1階へ下りる。最後に別室の「姉川合戦絵巻物シアター」を見て帰ろうかと入りかけたら、何とベンチが邪魔をして車椅子が入れる幅がない。「ベンチ、動くようだから、どかしたら入れるよ」と言ったのだが、娘は、ここで見るから構わない、と入口の手前から映像を見始める。わたしは以前の施設管理の職場で、障害者の権利を必要以上に振りかざして不合理な要求をしたり、平気で迷惑行為をするような人たちも多く見てきたので、たとえば駐車場のブルーゾーンなんかでもほんとうに必要でなければ使わないし、障害者の権利主張といったこともふだんはあまり声高には言いたくない。けれど、このときはさすがに何かがぷっつりと切れてしまった。

車椅子が入れない「姉川合戦絵巻物シアター」入口

 受付の先ほどの女性スタッフのところへ行って、さすがにこれはおかしくないか、とクレームを入れたのであった。「入口のところはスロープがあって、風除室には館備え付けの車椅子もあって、それなのに2階の展示へ向かうエレベーターがないって、矛盾してませんか?」と言うと、彼女は先ほどのそっけない表情と違って「そうなんですよ。わたしも、いつもそう思って言ってもいるんですけど、なかなか難しいらしくて・・」と困ったように答える。ああ、この人もおなじように感じてくれているんだなと思ったら、わたしの態度もきっと、ちょっと和らいだかも知れない。

「まあ、建物も古いでしょうから、新たにエレベーターを設置するのもお金がかかることですしね。でもね、エレベーターは百歩譲って諦めるとしても、それだけじゃないんですよ」とわたしは、2階の展示ケースが如何に車椅子の目線を遮っているかを説明した。「そして車椅子を抱えて階段を下りてきて、最後にシアターを見ていこうと思ったら、これですわ。車椅子が通れない入り口の幅。物理的あるいは予算的に仕方がないだけじゃなくて、心がないっていうかね。わたし、娘といっしょにこれまでいろんな資料館や美術館・博物館など行きましたけど、ここまで車椅子に配慮のない施設ははじめてです。あまりにも、ひどいですわ」 もちろんあなた個人を責めているのではなくて、こういう意見があったということをぜひ上の人に伝えて頂きたい、とわたしは言って資料館を出たのだった。

 入口には車椅子用のスロープがあり、風除室には備え付けの車椅子を置いているのに、車椅子の者が2階に上がれる手段はなく、1階のシアタールームですら車椅子の進入を阻んでいる施設とはいったい何だろうか? とわたしは考える。「バリアフリー」の「バリア」とは障壁のことである。以前に障害者施設の現場で働く人の講演を聞いたとき、こんなたとえ話をしてくれた。

質問) 住んでいる人の9割が「目の見えない人」という町があった。町の住民たちに「あなたが市長になったらどんな条例をつくりたいですか?」と訊ねた。

答え) 「まずは、街中の電気をぜんぶなくします」 

 目の見えない9割の多数の総意で町中から電気が撤去され、1割の目の見えるひとたちが暗闇で暮らさなければならないのが、いまの社会の有り様ではないだろうか。バリア(障壁)は何も障害者だけではない。目が悪くなっていくと、わたしたちはメガネをかける。メガネがないと困ってしまう。 これは一般によくある「社会に参加するための道具」である。車椅子も白杖もスロープも駅のエレベーターも視覚障害者誘導用ブロックも、じつはみなおなじことで、バリア(障壁)は障害者だけに存在するのではなくて、多数の人のバリアフリーが進んでいるだけのことなのだ。

 そう考えると、バリアフリーを考える目線が変わってくるし、バリアフリーは(いまは)障害を持たないわたしたち一人びとりにも深くかかわってくる問題なのだと気づく。わたしたちの社会にはさまざまなバリア(障壁)がある。糖尿病の人のバリア、不登校の子どものバリア、目の見えない人のバリア、日本で働く外国人のバリア、お年寄りのバリア、年金生活者のバリア、独身者のバリア、女性のバリア、在日コリアンのバリア・・  そうしたさまざまなバリアをなくしていって、だれもが平等に参加できる居心地のよい世の中をつくっていくことが、ほんとうのバリアフリーだとわたしは思う。

 浅井歴史民俗資料館を後にして、わたしたちは姉川の古戦場跡と江戸時代に灌漑用水の争いを解決するためにつくられた底樋(地下水路)跡などを見てから、ほんとうは国友鉄砲ミュージアムにも立ち寄りたかったのだが時間切れで、東近江の知人から近江米30キロを買い、それにたくさんの取れたての野菜を頂いて、いつものように近くの神社の名水を汲んで帰途についた。小谷城跡へは残念ながら登れなかったけれど、こころに残る浅井めぐりの旅となった。長浜市にはぜひ、ほんとうのバリアフリーについて、もういちど再考してみていただきたい。

※浅井歴史民俗資料館 郷土学習館について「展示の撮影はご遠慮ください」との表記はあったが、車椅子の状況説明のために全体風景だけ撮影させて頂いた。


後記

 これを書いた日、資料館を管理する長浜市のサイトの「市政への意見箱」で設備の改善検討を要望する意見を送らせてもらったが、二カ月が経った現在も長浜市からは何の返答もない。残念である。


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