メモ 評「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由(ベンジャミン・クリッツアー)
「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由(ベンジャミン・クリッツアー)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81804?imp=0
を読んだので走り書き。
もっともな記事と論旨だけれども末尾の参考文献?が2000年代に邦訳が出た、つまり世界では1990年代に決着がついたニセ科学でびっくりした。「男女の心理の違いは進化で生じた!」的な俗説だ。
繰り返すけれど、もっともな論旨でも前提だけおかしい。
「男女の心理の違いは進化で生じた」的な俗説
要はそういう傾向が全体にあったとしてもそれで個人を責めても埒は開かない、仕方ないという話だが、そもそもそんな違いなどは科学で否定されて20年以上経つ。
「進化で生じた男女の心理や脳の違い」とやらは、進化論※を提示された当時の人々が次にすがった迷信だったし、今もそうだろう。
※進化論自体は中世後期から存在する
ともあれもしその「進化による男女の脳や心理の違い」とやらが実在するなら生物学/医学的に特定されるはずだが、ヒトゲノム解読でも結局見つからず、結局1990年代の終わりまでに
「ヒトの男性は女性の一種で、しかも高度版じゃなく簡易版に過ぎない。進化による男女の心理の違いなどもともと皆無。」
と確定したことにより、男女の違いを解くと称する進化心理学は1990年代を最後に廃れた。
進化心理学は、男女差については完全に否定された疑似科学
結局、古代や中世の仮説あるいは昔の男性の自己愛がうんだ単なる願望が、検証不可能なまま現代の「脳科学」や遺伝やホルモンの仮説にまで残り、法制度や産業での男尊女卑にまで影響してきただけのことだ。
旧来主に男性の学者が主張してきた性差は、今でも日本では主張されるが、主に男性による壮大な集団ヒステリーの産物であり、天動説並みのニセ科学の山だ。
科学史にはそういう転回が時々あり、当該記事の筆者もその時代に居合わせている。
生物学的には性別があまりにも無意味である事実は日本のそこそこ良い学校でも常識だろうし、以外の世界では西洋でもアジア・アフリカでも中学高校理科程度の常識だろうし、政治家や経営者でも当然の常識だ。
だからこそ今の世界では
「女性が約半数以上を占めるのが自然。男の多いトップ大学もトップ企業も、つまりそれだけ無能が多い」
くらいに男でも必死に取り組むんだが、筆者さんを見るとちょうど習う前に社会に出たのかもしれない。詳しくは前にも書いた。
また、
進化心理学の依拠する「人類学」の知識が古い件
「かつて男が狩猟をし肉を持ち帰り、女達はその分配を巡って生存戦略を」
的な考え方は、中学生が読む文化人類学の新書レベルですらすでに古い。
人類学の常識から見れば非常に古いというより、それこそほぼ
20世紀の西洋特有の男女の有り様を科学でこじつけて自然だと思い込んだ
よくあるニセ科学であるのも常識だろう。
昔の男性の愚かさがうんだニセ科学のひとつだ。
最後に論旨とは関係ないが、
高収入の女性も上方婚志向ってやつは被差別集団としての結果ではなかろうか。
差別は単なる収入の格差ではない。差別に依存する構造の社会では低い賃金や不安定雇用も付随するものだ。
配偶者となる男性も女性の不安定雇用を当てにし、女性の無償労働や低賃金労働に守られる前提で人生設計を組むのが普通だろう。社会の仕組みが女性依存でできているのだから。
また、人間は似た階層の者同士で付き合いがちであるから、高度な専門職同士などの似た者同士でカップルを作った結果、被差別集団出身者の賃金が低い状態は当然生じがちだろう。
いずれにせよ論旨自体はしっかりしており、前提が男女の心理の違いという古代の迷信でもきちんとした思考があればこれだけ書けるものなんだなと感心した。